第26話 エンカウント

 夕葵


 歩先生の部屋のお風呂で服を脱ぐ……いやいや、ただシャワーを浴びるだけだ。それにもう1人、子どもだけれどいるんだ。


 何か起こるわけがない。

 服と下着を脱いで脱衣カゴの中に入れる


「あっ」


 脱衣所には昨日、歩先生が脱いであろう服が籠の中に入れてあった。ダブルストライプのワイシャツだ。


 ――昨日、歩先生が来ていたワイシャツ……


 それを見つけた時、私の中で天使と悪魔が葛藤を始めた。


 悪魔) ちょっとくらい、いいではないか。歩先生も好きに使っていいと言っていた。

 天使) ダメだ。人の物を勝手に触っては!

 悪魔) すこしだけ、少しだけだから

 天使) ダメだ! ……でもワイシャツをこのままにしておくとしわが寄ってしまうよね。せめて畳むくらいは……


 天使が天使の皮を被っていた悪魔だった。


 先生のワイシャツを手に取り広げてみる。

 パッと見て汚れはついていない、綺麗なワイシャツだけれど、一日着ていたワイシャツはきっと汚れている。これも洗濯するつもりだったのだろう。


 ――洗濯するのなら……。


 私はワイシャツを手にして、ぎゅっと抱きしめる。

 先生の残り香が、はっきりと伝わってくる。さっき先生に貸してもらったハンドタオルとは比べ物にならない。


「こんなこといけないのに……」


 ワイシャツを再び広げて、私に合わせてみる。

 やっぱり先生は大きい、身長だけじゃなくて、背中が広くて、腕も長い。

 私は女子の平均身長より少し高めだ。けれども女子と比べるまでもなく、先生は大きい。


 ――どれくらい大きいのだろう。


 先生のワイシャツを私は羽織って袖を通す。

 正直に言おう。

 もう罪悪感なんて感じていなかった。

 私はみんなが思っている程、真面目な生徒なんかじゃない、自分の欲望に忠実なただの女だった。誰にもこんなことは言えない。


「……やっぱり大きい」


 通した袖と腰の布は余る。

 鏡を見ても下着を介さずにワイシャツを身に羽織るのは些か破廉恥だ。

 昨日の洗濯物なはずなのに、どこか先生のぬくもりに包まれているみたいだった。


「こんな変態みたいなこと……けど、ふふふっ」


 でも、これはすごい。

 本当に癖になってしまいそうだ。


 けれどもこの余韻には、浸ってはいられない。

 急いでシャワーを浴びないと、歩先生と陽太君が風邪を引いてしまう。それだけは避けなければならないことだ。


 名残惜しい気もするが、歩先生のワイシャツを脱ぎ、綺麗に畳んで洗濯かごの中へ戻す。


 いつも先生が使っているお風呂場にゆっくりと入る。

 浴槽に湯は張っていないから風呂場は少し冷たい、床もまだ少し湿っている。


 シャワーの使い方はどの家もそうそう変わりない。

 温度を調節してシャワーのノズルを回す。

 温かいお湯が、冷えた身体や室内を温めてくれる。


 ◆


「歩先生、その、お湯ありがとうございました」

「うん。ドライヤーはこれを使って」


 そう言って風呂場から出てきた夏野さんは、俺のジャージに身を包みポニーテイルを解いて長い黒髪をおろしている。

 脱衣所にドライヤーはない。リビングにドライヤーを置いてあるのでそれを渡す。


 オリエンテーション合宿でも見たことがない夏野さんの一面に、不覚にもドキッとした。

 だぼっと袖が余ったジャージがまた可愛らしい。これがいわゆる“彼ジャージ”という奴か。いや俺は夏野さんの彼氏ではないけれど。


「夏野さん、髪おろすと印象変わるね」

「そう、でしょうか」

「大和撫子って感じだ」

「あ、ありがとうございます」


 赤くなってうつむき気味になる夏野さんはなんというか、可憐だった。


「陽太。風呂入るぞ」

「えー……もうかわいたー」

「ダメだ。風邪ひいたら学校に行けないぞ」

「やだっ!」


 風呂嫌いの陽太とそんなやり取りをして、俺は陽太の分のタオルを持ち浴場へと向かう。


「テレビとか好きに見てていいから、自由にくつろいでいてくれ」

「はい……」


 そう言って夏野さんはリビングに行儀よく正座して座る。

 担任教師の家でくつろげっていう方が難しいか。

 観月は……俺が学生の時から出入りしているから例外。観月にとっては俺は先生っていうより、ご近所さんという感覚の方が強いだろう。


 だが、俺の部屋で昼寝とかはやめておいたほうがいいと思う。

 観月は、露出の多い服や短めのスカートを好むので、稀に下着が見えそうになっている時がある。指摘したらセクハラ扱いされるから絶対、言わないけど。

 手に持っているシャツも乾かした方がいいだろう。


「シャツは部屋にかけておいて、乾かしておこう」


 そう伝え、ハンガーを夏野さんに手渡すと俺は、陽太を連れて風呂場へと向かった。



「ほれ、服脱いでここに置いておけ」

「はーい」


 どうやら服を脱ぐのは自分でできるようになったみたいだ。

 昔は服を脱がすのも手が必要だったが、小学生だった観月が高校生になっているくらいだ。やっぱり年月は流れているんだなーと感じる。


 汚れた服は袋に入れて別の場所に置いておく、後で大家さんに渡せばいいだろう。


 脱衣所から風呂場に移ると、まだ浴場がほんのりと温かい、さっきまで夏野さんが使っていたと意識するがすぐに邪な思考を追い出した。


「まずはシャンプーからな。できるか?」

「やってー」

「……はいよ」


 どうやら、まだ洗髪はできないみたいだ。


「目、つむってろよー」

「はーい」


 ◆

 観月


 アタシ達はファミレスから帰るころには天気はさっきまで、どしゃ降りが嘘のように空は晴れ渡っていた。


 陽太が心配で急ぎ足で家まで帰ってきたのだけれど、部屋の前まで来てから扉に一枚の紙が張り付けてあるのに気が付いた。


「あ、歩ちゃん帰ってきたみたいだね」

「ホント?」


 これは、いつも歩ちゃんが使う連絡手段だ。

 折りたたんである紙を開く。


『息子は預かった』


 何とも紛らわしい一文が記されていた。

 どうやら陽太を預かってくれているみたい。


 ――なら迎えに行かないとねー。


「陽太、歩ちゃんのとこいるみたいだから迎えに行くけど、どうする?」


 意地悪い笑みを浮かべてアタシは2人に伝える。


「行くわ」 「行きます」


 即答する2人にアタシは苦笑する。

 だよねー。わかってた。

 教え子JK3人が部屋に行くと、一体どんなリアクションをするのかなー?


 ◆


 ピンポーン


「……お客さん?」


 歩先生の部屋で、借りてきた猫のようにおとなしくしていると、インターフォンの音が部屋に響いた。


 歩先生は今お風呂に入ってるから対応できない。

 かといって私が出る訳にも行かない。それにこの恰好は……


 歩先生のジャージを着ている、先程のワイシャツと同じように袖が余っているから明らかに借り物ですといった感じだ。


 ズボンの大きさが合うわけがないので、私のショートパンツをはいている。

 けれど、先生のジャージが大きく、丈の短いワンピースのようになっていている。ショートパンツは隠れて見えず、まるで下を履いていないようだった。

 ……申し訳ないがここは居留守を使わせてもらおう。


 ピンポーン。ピピピ、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン


 扉の向こうの相手は、しつこいくらいにインターフォンを鳴らし続ける。

 もしかしたら何か重要な要件なのかもしれない。


 ――応対した方がいいのだろうか……。


 お風呂場にいる先生には、どうやらこの音は聞こえないみたいだ。今も続くインターフォンの音に気が付いた気配はない。


 ――あ、止んだ。家主は不在ということにして応対しよう。顔だけ出せば下は見られない。


 私は身だしなみを少し整える。

 立ち上がって玄関へと向かった。

 鍵を開けようかと思って扉の鍵のつまみに手を伸ばすと


 ガチャリ――


 鍵が勝手に開いて――


 ひとりでにドアノブが回った。


「え………」


 ◆

 観月


 ピンポーン。ピピピ、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン


 ――出ない。


 アタシはしつこく連打を繰り返す。


「ちょ、観月それはさすがに」

「迷惑ですよ!」


 インターフォンを連打するアタシを涼香とカレンが止める。

 いつもこれくらいやってるんだけどなぁ。

 これをやると、寝ていてもいつも面倒くさそうにしながらも歩ちゃんは出てくる。


「おっかしいなー……駐車場に車あったし、いるはずなんだけど」


 出かけているという可能性は低い。インターフォンは鳴らし続ける。


「トイレかもしれないじゃない」

「それでも陽太が出てこないのはおかしい」


 あの子、勝手に届け物とか受け取ったりする。さらにハンコとか渡せば嬉々として押しに行く。


「もしかして、居留守を使われているとか」

「なんで?」


「……女の人を連れ込んでたり」


 ブチッ――――。


 何かが切れる音がアタシの脳内で響いた。

 これは2人も一緒だ。

 だって2人とも笑顔だけど、目が笑って無いし。


「鍵、とってくる!」

「お願い!」


 涼香の頼み声を背に、アタシは家で管理しているマスターキーをダッシュで取ってきた。多分、過去最速。


 ――……ふざけんなよ~~。人の弟の前で、女といちゃつくだと~。一足早い保健体育の授業ってやつ?


 あ、ヤバい。ホント、イライラしてきた!

 鍵穴にマスターキーをはめ込む。


「いいのでしょうか……」

「大家の特権!」


 そんな特権なんかないけれど。

 プライバシーという言葉をガン無視のこのことは、あとで絶対にママと歩ちゃんに叱られる。それでもいかなければならない。


「よっし!」


 少し息を吸うとゆっくり、ドアノブを回した。


「え………」


 女の声が聞こえてくる。


 ――あれ、でもこの声って


 扉を開けばそこに知っている人がいた。


「夕葵!」

「観月か!?」


 アタシの声に反応して涼香も驚く。


「うそ!」

「涼香!?」


「oh……」

「カレンまで……」


「「「「なんでここにいるの?」」」」


 アタシたちの声が重なった。


 ◆


「……思っていた以上に時間かかったな」


 理由は言わずもがな、ここにいる男児の所為である。

 髪を洗っている途中で眼を開けて騒ぎ出し、暴れるので大変だった。観月はいつもこんなモンスターを風呂に入れているのか。


「つかれたー」

「俺の方が疲れたよ」


 脱衣所で私服に着替える。

 陽太には俺のシャツを渡してある。

 夏野さん以上に布が余りまくっているけれど、家は直ぐ下なこともあり、少しの間は我慢してもらおう。余った袖振り回して楽しそうだし。


 ――昼飯、何か作ろうか……せっかくだし、夏野さんにも食べて行ってもらおう。


 さすがに自分だけ食べるだけにはいかない。

 服が渇くのにだって、時間はかかる。俺の分も洗濯もしないといけないし。


 ふと脱衣所に置いてある服をみる。


 ――あれ? こんな風に綺麗に畳んで置いてたか? 


 そんな疑問を思いながら脱衣所を出る。

 

 髪を拭きながらリビングへと戻る。

 前は見えなくても歩き慣れた部屋の中だ、ぶつかる心配もない。


「夏野さん、昼飯何か食べたいのはある?」

「あの……歩先生」

「ん?」


 頭にかけてあるタオルをとり、視線を上げるとその先に――


「「「お邪魔してまーす」」」


 観月、カレン、桜咲さんがリビングに座っていた。


 なんで、お前らが俺の部屋にいんの?

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