2(天文部)
女三人寄れば姦しい、とはよく言ったものだけれど、わたしの属している女子グループは全部で五人で、みんなが集まるとやっぱり賑やかにおしゃべりしあうことになる。
女子グループにもいろいろあるけれど、わたしの属しているのはリーダーというか、グループの基本方向を決めるというか、何をするときにもまずこの子に確認をとる、という人がいる。
そう聞かされると、「ああ、なるほどな」というようなところがないわけでもない。何をするにも自信満々で、そつなくこなすのだけど、自分が前面に立っているのを当たり前に思っているというか――
わたしたちのグループでは、基本的に彼女を立てる方向でやっていれば、大概のことは平和だった。時々、少しは困ったこともあるけれど、わたしとしてはそのほうが楽ちんではあった。みんなの前に立つというのは、それはそれで大変なことではあったし、少なくともわたし自身はリーダーなんて柄じゃない。
元々、このグループは香坂さんを中心にする三人がいて、そこにわたしと、それから前にも言った藤かなみというわたしの友達がくっつく形で成立している。わたしがこのグループに加わったのはかなみに誘われたからで、実のところわたしのほうにはあまり主体性と呼べるほどのものはなかった。
だからといって、わたしは香坂さんにしても、ちょっと取りまきっぽいところのある残りの二人(
わたしは女子のグループ問題というようなものに対しては、面倒というか苦手というか、なるようにさえなってくれればいいという、投げやりなところがある。だから、現状に関しても特に不満を抱くようなことはなかった。学校生活においては、こういうグループに属しておかないと、何かと困ってしまうことが多い。
もっとも、かなみのほうでは事情は別で、香坂さんに対して憧れみたいなものを持っているようだった。その気持ちは、わからないでもない。香坂さんには一種、カリスマ性みたいなものがあって、それが人を惹きつけるのだ。いつもはガラスのショーケース越しに見ているものが、実際に目の前に現れたみたいに。
ともかくも、わたしがそうやって大禍なく――大禍なくというのは、例えばクラスで浮いていたり、昼休みにお弁当をいっしょに食べる相手がいなかったり、体育の時間のグループ分けなんかで一人だけ残されてしまったり、というようなこと――過ごしている一方で、葵ちゃんはいつも一人だった。
そう、葵ちゃんは一人なのだ。
それは例の、「見えないものが見える」発言のせいだった。それは別に葵ちゃんが自分で言いふらしたとかそういうわけではなく、たんに人からの質問に対して葵ちゃんが正直に答えているだけだった。「宮瀬さん、何してるの?」――「そこに光の線が降ってるんだよ」
葵ちゃんがみんなから敬遠されはじめるのに、たいした時間はかからなかった。それは当然といえば当然のことかもしれないけれど、やっぱり悲しいことだった。しかも葵ちゃん自身はそのことをちゃんと理解していて、そのくせそういう発言をやめようとはしないみたいだった。「宮瀬さん、今日も何か見えてるの?」――「うん、見えてるよ」――「それってさ、きっとこの学校で死んだ人の幽霊だよ」くすくす。
かく言うわたしも、葵ちゃんと話すときは注意して他に人がいないようなところに限っている。そうしないと、わたしもあっというまにクラスの輪から弾きだされてしまうからだ。そして情けないことに、葵ちゃんはそんなわたしのことに気づいていて、気づいていながら初めて会ったときと同じような笑顔を浮かべるのだった。「ハルちゃん、みんな来るからもう行ったほうがいいよ」――
わたしは時々、泣きたくなってしまう。どうして、葵ちゃんは一人なんだろう? どうして、葵ちゃんはどのグループにも入れないのだろう? どうして、葵ちゃんはあの奇妙な発言をやめないのだろう? どうして、葵ちゃんは――
葵ちゃんは一人で、わたしは葵ちゃんのことが好きで、そのくせわたしは自分が一人になってしまうことを何よりも怖がっていた。
「ずいぶん、変わった子みたいだな」
と、先輩は言った。
先輩――名前は、
わたしと先輩がいるのは、狭い部室の中だった。部室というのは、天文部の部室のこと。文化部の部室はどれも校舎の一角にあって、どれも同じくらいに狭い。この場所も、スチール棚に参考図書やら今まで集めた資料やら、いくつかの私物やら観測機材やらが詰めこまれて、残ったスペースに長机が一つと、イスがいくつか置かれている。広さ的にはそれだけで、あと四、五人も人数が入れば身動きが取れなくなってしまうだろう。
現在、部室にいるのはわたしと先輩の二人だけだった。他にも三名ほど部員はいるのだけど、今日は来ていない。一人は家の用事で、一人は委員会の仕事、もう一人はバレー部と掛け持ちで、今日はそっちのほうに行っている。
わたしが天文部に入ったのは、実のところ星が好きだとか、そういう理由ではない。人並みにロマンや憧れはあるけれど、それはあくまで人並みの話だ。
実のところ、わたしが天文部に入部したのは、目の前の人物――二年生で部長の、羽崎晶先輩のせいだった。
それは入学式から数日した頃にあった、部活動紹介でのことだった。天文部の番がまわってくると、壇上には先輩がたった一人で現れた。たった一人で、でもその姿は他の紹介者と比べるとひどく堂々としていて、立ち姿そのものからして違っていた。簡単に言うと、先輩は凛々しかったのだ、とても。
先輩は壇上の中央まで進み、演台に置かれたマイクの前に立った。体育館はしんとしていて、先輩の姿は校長先生がその場に立ったときよりも立派に見えるくらいだった。
「――みなさんは夜中、空を見上げたことはありますか? たぶん地底人でもなければ、そうしたことはあるでしょう。暗闇に光る無数の星々、まるで何かを伝えようとするように瞬き続ける幾百、幾千の鈴の音。それらはほとんどが昼の太陽よりも大きな恒星で、地球からもっとも近い星でも、光の速さで四年以上、つまり37×1012キロメートル以上の距離にあります。これは太陽までの、およそ25万倍にあたります。夜空に輝く星々と私たちは、そんなにも離れているのです。それは私たちがどんなに手をのばしても、届かない距離です。どんなに歩き続けても、たどり着けない距離です。ですが、そんな遠くから、星の光は私たち一人一人のところへと届けられました。そうした星の光には、一つ一つにメッセージがこめられています。天文部では、そのメッセージを読み解こうとする活動を行っています。あなたがもし、人の耳では聞くことのできない星の囁きに興味があるのなら、どうぞ天文部へ。私たちはあなたを歓迎します」
先輩はそれだけのことを、原稿も見ずに、少しのひっかかりもなく、滔々と口にした。言葉にはきちんとした抑揚があって、語調は強すぎず弱すぎず、まるでお芝居のセリフでも聞いているみたいだった。
わたしはそれからほどなく、天文部へ見学に出かけた。そこで先輩と会って話をして、入部することを決めたのだ。
「……実はあまり星とかに興味はないですけど、大丈夫ですか?」
わたしがそう訊くと、先輩はあっさりと答えた。
「全然、平気さ」
何だかわたしは天文部に入ったというよりは、先輩と近づきになりたかっただけみたいだけど、事実としてはそのほうが近いのだから仕方がない。でも一応、他に入りたい部活が特にはなかった、というのも理由といえば理由の一つにはなっている。
ちなみに、わたしは先輩の男装姿というものを一度見てみたくて頼んだことがあったけど、すげなく断わられている。「真野もやるなら、やってもいいよ」。もちろん、丁重にお断りした。
話がだいぶ逸れたみたいだけど、わたしと先輩の二人は放課後の部室にいる。
「宮瀬葵とかいったっけ、その子?」
先輩はさっき屋上で記録してきたばかりの太陽黒点スケッチの紙を整理しながら言った。
天文部の主な活動というのは、実は星の観測ではなくて、ほとんどが太陽の観測である。理由は簡単で、夜は学校が閉まっていて入れないから。だからわたしはまだ、望遠鏡を使っての本格的な天体観測の経験はない。せいぜい、プラネタリウムに連れていってもらったくらいだ。
太陽の黒点観測は、太陽活動を知るうえでとても重要なデータになる。観測の歴史も古い。太陽活動は当然、人間の生活(農業、気象、気温など)に大きな影響を及ぼしているから、この調査はけっこう意義のあることなのだ。だから先輩の前では、「退屈です」なんて口が裂けても言えない。
ちなみに、黒点というのは太陽表面で周囲よりも温度の低い部分のことである。これが多くなると、太陽活動が活発化している証拠になる。逆のようにも思えるけど、黒点が増えるということは温度差が増えるということで、太陽全体の温度は上がっていることになるのだ。ついでに言っておくと、あのちっちゃな点の一つでも、地球一個分より大きかったりする。宇宙のスケールは途方もなく大きいのだ。
もっとも、偉そうに説明してきたそんなあれこれも、わたしは入部して先輩に教えられるまでは、まるで知らなかったのだけど。
「――そうです、葵ちゃんて呼んでます」
わたしは観測に使った望遠鏡をケースにしまいながら答えた。天文部の望遠鏡はそれ一つで、かなり古くなってはいるけど、それでも高価なものに違いはない。わたしはこの片づけ作業をするときは、いつもちょっと緊張してしまう。
「ふうん、見えてるっていうけど、何が見えてるんだい?」
「光の輪とか、線みたいなものらしいです」
わたしは接眼レンズを外した鏡筒をそっとしまいながら言った。
「葵ちゃんが言うには、雨みたいに見えるけど、光の線は何でもかんでもつき抜けちゃうらしいです。天井とか、机とか――わたしの体もやっぱり、その線が通り抜けてるらしいんです」
「へえ……」
先輩は紙をファイルフォルダに綴じて、棚にしまった。それからしばらくして、
「それって、宇宙線みたいだね」
と、ぽつりと言った。
「宇宙船?」
わたしはケースを棚にしまって、先輩と同じようにイスに腰かけた。
「地球の外からやって来る粒子のことだよ。宇宙線。銀河からの陽子が主なんだけど、これが地球の大気にぶつかると、酸素や窒素なんかと反応してまた別の粒子を作る。この粒子がまた大気中で反応して別の粒子を作る。そうやって宇宙線が雨みたいに地上に降りそそぐことを〝空気シャワー現象〟というんだ」
わたしは手の平を上に向けて、心持ち意識を集中してみた。
「それって、今もここにやって来てるわけですか?」
「一㎠あたり一分に一個程度と言われている。手の平には、一秒に一、二個ってとこかな」
「へえ……」
わたしは自分の手の平に〝うちゅうせん〟が落ちてくる図を想像したけど、もちろん何も見えないし、何も感じなかった。
「本当に落ちてきてるんですか、それ?」
「放電箱とか霧箱を使えば実際に粒子の軌跡を見ることもできるけどね。人間の感覚器で捉えられるものじゃないよ。宇宙線のうち、地上に届くのは大部分がμ粒子なんだ。これは素粒子のうちのレプトンの一種で、軽くて何でも突き抜けて、マイナスの電荷を帯びている」
レプトン?
「……よくわかんないですけど、葵ちゃんにはそれが見えてるんですか?」
「私が言ったのは、それによく似てるってことだけだよ。素粒子なんて、人間の目に見えるはずがないんだから。本当はその子に何が見えてるかなんて、他人にわかるはずはないさ。私が見ているものと、君が見ているものだって、本当はまるで違ったものだろうからね」
先輩は肩をすくめて、ちょっとだけおどけた仕草をしてみせた。
「…………」
わたしはそれを聞いて、何となく黙ってしまった。
先輩の言うように、わたしたちは同じものを見ているつもりでも、目に映っているのはまるで違った景色なのかもしれない。そしてそれは、どうしたって確認しようのないことで、わたしたちは絶対に他人と同じものを見ることはできない。例え、葵ちゃんに本当に〝それ〟が見えていたとしても、わたしにはそれを知る術はない。
「〝うちゅうせん〟か……」
わたしはつぶやいて、もう一度手の平を上に向けてみた。
でも、そこには何もない空間が浮かんでいるだけで、毎秒一個の割合で落ちてくるという雨粒を、わたしは見ることも感じることもできなかった。
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