夜もすがら君想ふ (Ⅲ)

ロゼッタ視点です



***** 




「お嬢様、殿下からお手紙が」


「殿下、から……?」




 侍女から手渡された、可愛らしい封筒。裏返せば右下にルベルトの名前が書かれていた。しかし、未だに信じられない私は、手元の手紙を見て目をぱちくりとさせる。


 私は窓横の椅子にゆっくりと腰掛け、おずおずと手紙を開く。角張った整った綺麗な字体は間違いなくルベルトの字だ。


 何度か手紙をルベルトから貰ったことはあるが、全て事務連絡のようだった。だから、グリフィス侯爵家にいらっしゃるのかしら、と思いながら読み進めれば、全くそのような事はなく、私的な文面でとても驚いた。


 みれば赤いアネモネの押し花で作られた栞が添えられていた。それを見て私は顔が熱くなる。




 赤いアネモネの花言葉は―――「貴方を愛す」。




 自惚れだろうか。きっとそう。


 ルベルトに限って無いだろう。


 私は妹のおまけだ。


 いつもルベルトは王妃似の華やぐ笑みを私に向けてくれるが、それは婚約者だからであって、私を好きで居てくれている等、あるはずが無い。これは王家と家が決めた婚姻である。


 ただ、私が、一方的に、ルベルトが好きなだけ。




 父と母、私と兄と妹で暮らしている。兄は私達ににこりとも笑わないし、父と母も兄と妹に愛情を注ぐ。




『ロゼッタ、お姉様なんだから妹に髪飾りを貸してあげなさい』


 ―――この間貸した髪飾りはボロボロに崩されていたのに……?



『忌々しい……!その青い目……!』


 ―――叔父様と同じ目なだけで、何故そんなに疎まれなければならないの……?



『お前は出てけ』


 ―――ごめんなさい。申し訳ありません。



『お姉様、それ新しいドレス?私の方が似合うわ!頂戴よ!』



 ―――あぁ、やめて。取らないで。




 私の両親は、両陛下の熱狂的な信者だ。アリア王国の王女が、シェナードの現王妃を殺害しようとした、という事件は有名で、両親はアリア王国を酷く嫌っている人間の1人である。


 そんな中、私の叔父はアリア王国の貴族と駆け落ちをした。


 それで両親は叔父を嫌い、その瞳の色を受け継ぐ私は無条件に嫌われた。


 当初両親は妹を推す予定だったらしいが、ルベルトの婚約者は、彼と同じくらいの歳にする、という事で、妹は王家から除外されたらしい。


 他の家のパワーバランスなどを考えても、グリフィス侯爵家は妥当と言え、ルベルトと同い年の私が婚約者に据えられたのも頷ける。


 私は勘違いをしないように、栞ごと手紙を机の奥に突っ込んだ。






 ☆☆






 次の日、私が登城すれば、ルベルトはわざわざ出迎えてくれた。いつも通りの優しい笑みを浮べて私に微笑んでくれる。腕を差し出されたので、おずおずと手を伸ばして添えれば、ルベルトは頬を更に綻ばせた。




「ロゼッタ嬢、何処に行きたいか決まったか?」


「………ご迷惑で無ければ、図書室に行ってみたいです」


「ふふっ、本当にロゼッタ嬢は本が好きですね」




 いいですよ、と私に歩幅を合わせながらゆっくりと進んでくれるルベルト。




 ―――本当にお優しい方。




 でもこれはきっと私が婚約者だから。私が婚約者では無くなればルベルトは冷たくなって、適当にあしらう筈だもの。


 私は溢れ出しそうになる感情を押さえつけ、ありえないわ、と首を横に小さく振った。それにルベルトは首を傾げたが、私は彼から目を逸らしてしまった。


 するとルベルトは僅かに身体が強ばったのが彼の腕越しから伝わった。どうしたのだろうかと疑問に思った刹那、ルベルトは「少々足を速めます」と言って早歩きになった。さして辛くは無いものの、何だか余裕のない歩き方に驚いてしまう。




「人払いをしてくれ」


「しかし殿下………」


「頼む」


「…………15分だけなら報告致しませんので」


「あぁ」




 着いたのは図書館ではなくルベルトの執務室。いきなり人払いをする彼の意図が全く読めず困惑する。婚約者と言えども未婚の男女が二人きりで部屋に籠るのは外聞が悪い。


 ソファーに誘導されてそこに腰掛けると、ルベルトは何故か私の隣に腰を下ろした。いつもなら正面に座るはずなのに、と、通常なら有り得ない距離感にどぎまぎしていた。




「ル、ルベルト様……あの、これは……「ロゼッタ嬢」」




 私の言葉に被せるようにルベルトは私の名を呼ぶ。返事をすれば、王妃譲りの黒曜石の瞳と私の瞳が合う。


 本当に綺麗。

 煌めく彼の瞳は澄んでいて、瞳の色で罵られる私とは大違い。


 その瞳を私が汚してしまうような気がして私は直ぐに目を逸らした。


 しかしそれは許されなかった。




「こちらを向いて。目を逸らさないで」




 そう言われてしまえば私は逃げられない。

 狼狽えているのが自分でもよく分かる。




「………手紙は読んでくれましたか?」


「はい、ありがとうございます。………栞まで頂いてしまって。本当に嬉しかったです」


「よかった。―――アネモネの意味は分かりますか?」




 緊張したような声色のルベルトの問いは私を真っ赤にさせる。顔が沸騰しそうだ。ルベルトの視線から逃れようとするが、彼は私の瞳を追いかけて来る。




「――――安心した、伝わっていて」




 息と共に安堵するようにルベルトは言った。

 にっこりと笑みを浮かべたルベルトの表情は、満月の月夜のように清らかで美しく、どこか色めかしかった。


 でも、でも。私は勘違いをしてしまう。そんな表情をして、そんな風に私の手に触れて、そんな風な意味の言葉を贈られてしまったら、私は元には戻れなくなってしまう。


 ルベルトは決して私に「愛情」なんて抱いていない。全ては「親愛」の情だと、心の中で小さな私が悲鳴を上げている。


 都合の良い婚約者なんかの為に贈り物をして貰うのは申し訳なくて、何よりこれ以上傷つくのが怖くて断りを入れた。




「……殿下、わたくしめに贈り物をして頂く訳には……」




 告げた瞬間ルベルトはピタリと動きを止めて、僅かに眉間に皺を寄せた。何か不味いことを言っただろうかと考えて、贈り物をお断りしたのが不敬だったのかもしれない、と青ざめた。弁明しようとして、ルベルトに片手で制される。




「………はぁ……上手く貴方に伝わっていなかったようです」


「……あ、あの、申し訳ありません………!……決してそんなつもりでは……!」


「?……ロゼッタ嬢、落ち着いて。貴方を責めてはいない。………自分を責めているんだ」




 後半はよく聞こえなかったが、ルベルトの表情は柔らかく、それに私はほっとした。




「ロゼッタ嬢、いやローゼ」




 愛称なんて呼ばれた事がない。私は目を見張った。




「私は貴方を1人の女性として愛している。好きなんだ、貴方の事が」




 燃えるような赤髪と、黒い瞳を持つ目の前の王子様は、私に確かに「愛している」と、「一人の女性として愛している」と言った。信じきれない私は再度確認するように尋ねるが、返ってくる言葉は変わらずそれだった。




「……信じられない?」


「は……い………」


「私の隣に居てくれますか?ローゼ」




 居たい。彼の隣に居たい。ずっと。死がふたりを分かつまで。でも、無理だ。私はこの青い瞳を持っている。彼の地位を、血を、汚してしまう。




「わ、わたくしは、この忌々しい青い目を持っています。……殿下のお目を、汚してしまう、わけ、に、は……っ」




 だからお断りを、と最後まで言えなかった。涙が出てしまった。ルベルトはハンカチを差し出し、私は有難く使わせて貰った。




「私は貴方の瞳は海のように綺麗で美しいと思っているよ。忌々しいなんて1度も思ったことが無い。それに、この国でも青い瞳は珍しくない」




 私を肯定してくれる言葉は私を勇気づけてくれる。




「私は、貴方がどうしたいかを聞いている。貴方の意思が聞きたい」




 素直になってもいい……?

 私の気持ちを伝えても迷惑がられない……?




「…………」


「………そうか。すまない、忘れてくれ」




 黙る私を見て、傷ついたように苦笑したルベルト。

 違う、違うの。




「お待ち下さい!!!!違います!!!」




 慌てて口を押さえたが意味が無い。

 思わず出てしまった大声と否定に私は不思議と後悔はしなかった。




「………あの………」




 中々上手く言葉で伝えられない私を何も言わずにゆっくり待って居てくれた。本当に、なんて私に優しい人。




「わたくしも、殿下の隣に居たい、で、す」




 最後の方は羞恥で窄まってしまった。しかしルベルトはちゃんとその声を拾ったようだった。掠れた声でもう一度確認してくる辺り、信じられないのだろう。




「こんなに、直ぐに答えを貰えるとは思っていなかった。ありがとう、嬉しい」




 ――――抱き締めてもいいか?




 耳元で囁かれ、私はぶわりと鳥肌がたった。どうすればいいか分からずコクコクと必死に頷けば、直ぐにルベルトの腕に閉じ込められた。


 クラクラする程甘く、それでいて爽やかな香り。

 細いのに、しっかりしている胸板は、こうやって触れなければ分からなかっただろう。


 暫くするとゆっくり身体が離された。心地よい心音と、体温が感じられなくなり、寂しく思ってしまった私は、またそれに恥ずかしくなってしまう。


 ルベルトは私の手を掴むと、その中性的な顔に近づけ、形の良い薄い唇を手の甲に落とした。




「改めて、ロゼッタ=グリフィス嬢。貴方が好きです。大切にします」


「―――――は、い。わたくしも、お慕いしています」




 ほろりと涙が零れてしまい、それをルベルトの指で拭われた。

 少し指先のかさついたルベルトの手が擽ったくて笑ってしまう。


 注がれる熱視線と緩んだ彼の口元を見れば、私は胸が高鳴って苦しくなる。先程とは違う意味で目を合わせられない。


 私はこの青い瞳が好きな訳では無い。でも、彼が好きだと言ってくれるなら、私も幾ばくかは好きになれそうだと思う。




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