第45話 花畑でもう一度

 まるでのような麗らかな陽気。


 卒業を飾るのにもってこいの天気に生徒達皆が心を踊らせて、王家と学園の紋章が描かれる垂れ幕の下がった講堂に集まっていた。前世と同様、ここの学園長は話は長く、遠のく意識を必死に呼び戻していた頃が懐かしい。目を閉じて寝ているのがバレないようにしていた生徒達も、今は瞳を輝かせて真面目に聞いていた。






「――――学園という籠から飛び立つ若き諸君。私は君らの活躍を願っているよ。以上を私からの祝いの言葉とさせて頂く。卒業おめでとう!」






 皆揃って腰を折る。衣服の擦れる音が耳に心地よく響いた。卒業生代表のウィリアムが名を呼ばれ、彼が舞台上に上がる。その美しい深紅の髪が揺れ、前を見据える強い視線と背筋の伸びたその様は、まるで王者の風格。次期国王に相応しいと貴族らに示しており、いたる所で感心の吐息が聞こえた。




 私はそんな彼を見て、昔のことを思い出す。思えば私は最初はアルばかりに気を取られ、ウィリアムの事はあまり正面から向き合ってこなかった。あの時はアルが私の全てだったから。それに良い感情を彼に抱いていなかった。




 ウィリアムは優しすぎる。それは時に彼自身を苦しめる。


 彼はいつも誰かの事を考えて、何が最善かを見極める。それを気が付かれないように腹の底で行う。


 王子として社交界に立った時もいつもそうだった。つまりは外での彼のデフォルトがポーカーフェイスなのである。王子としての立場を考えるならば、それは長所なのだろう。が、ウィリアムと向き合い始めてから分かったが、それが偶に苦しそうに見えた。きっと無意識に出たのだろう。




 前は私との間に壁を作っていたように思う。笑顔を張り付けて。


 ウィリアムと私は偶に似ていると思う時がある。それはこういうところだろう。




 いつしか私はそんな彼を想うようになった。




 今ではゲームでは見たことのない顔をウィリアムは沢山見せてくれる。私もそんな彼に自然と警戒が緩むのだ。あの時をやり直せるならば、今なら、私は満面の笑みを浮かべて頷くと確信している。それだけが心残りだ。




 私はこちらをちらりと見たウィリアムににこと微笑みを浮かべた。ウィリアムが、その瞳の奥で微笑み返した気がした。






「――この度はこのような素晴らしい式をありがとうございます。ご尽力下さった全ての方々に感謝いたします。私はこの学園で数々の思いを経験しました。喜びや幸せを感じることもあれば、悩み、葛藤したこともありました。……思いもよらぬ出来事が、自分の人生の岐路になる事もある。在校生には、もがき苦しみ、その上で後悔しない選択をして欲しいと思います。――最後にこの学園へ感謝をし、答辞とさせていただきます。卒業生代表、ウィリアム=シェナード」






 そうして式はつつがなく進み、卒業式は幕を下ろしたのであった。






 ☆☆






 式を終えたウィリアムと私は結婚式の最終確認のために王城にいた。スムーズに終えた私達は、紅茶を嗜みながら談笑していた。すると突然、ウィリアムがこんな提案をしてきた。






「少し、外に出ないか?」






 それに首を傾げつつも、お誘いが単純に嬉しかったので頷いた。




 馬車に乗って移動する私達だが、行き先をウィリアムに訪ねてもにこやかに流されるのみ。答えてくれないな、と感じた私は苦笑いをして黙ることにした。数分すると、上座に座っていたウィリアムが私の隣に移動し、私の頭をゆっくりと倒し始める。何事だと思った時には既に彼の膝の上に頭が乗せられていた。右手で私の手を握り、左手で私の髪を梳くウィリアムは、目を丸くする私に、耳をほんのり桃色に染めて甘い笑みを向けた。目を閉じれば自分の少し早い鼓動が聞こえる。落ち着かないようで落ち着く、そんな不思議な感覚に酔いしれた。




 馬の蹄の音と車輪のパリッとした音がだんだんと遅くなって、そして間もなくして止まった。私は肩を支えられながら起き上がり――後ろから目を塞がれる。冷えている指先が瞼に触れて擽ったい。ウィリアムは私の耳元に唇を寄せた。






「目……閉じて。開けないで」






 囁かれたその言葉は息が多く、耳にかかる度にびくりと肩を震わせてしまう。口をはくはくとさせて頷くと、揶揄うように喉を鳴らしてウィリアムは笑った。




 先に降りたウィリアム。私は何も見えていないのでどうやって降りようかと悩んでいると、急にふわりと体が持ち上がり、花の香りとウィリアムの香りを載せた春風が頬を撫でた。突然の事に驚いた私は、落ちまいと咄嗟にウィリアムの首に腕を回して抱き着いてしまったが、我に返ると恥ずかしくなり、手を急いで引っ込めた。






「すっ……すみませんっ……!」




「そのままで良かったのにな」






 その声は少し残念そうだ。






「目、開けていいぞ」






 おずおずと開けるとそこは――






「花畑……」






 私は無意識にそう呟いて目を見開く。ゆっくりと降ろされた私は床より格段に柔らかい地面を踏んだ。3か月前と変わらない景色に私はあたりを見回して、ウィリアムを見上げた。


 口元をゆるりと引き上げたウィリアムは自然な動作で私に腕を差し出す。そこに私は手を添えて、桜の木の方へ歩き出した。何をするのか分からず考えていると、桜の木の近くで止まった。


 そこはかつてウィリアムに求婚された場所と同じだった。






 ―――え……?






 ほうっと息を吐いたウィリアムは私に向き合うと、私の両手をとって握りしめた。彼の瞳は真剣である。






「――アル殿に手紙を渡してきた」




「っ!!」




「……返事は貰えなかった。すまない」




「……そう……でしたか……」




「だが……伝言は預かっている」




「……?」




「『レイ、黙っていなくなってごめんね。殿下と幸せになってね。結婚おめでとう。今までありがとう、さようなら。元気で』……と言っていた」






 短いその言葉に私ははらりと涙がこぼれる。もう二度とアルに接触するチャンスはやってこないという悲しみよりも、やっとお別れが出来た、という安堵と嬉しさのほうがよっぽど勝っていた。ウィリアムは、泣いていても笑っている私を見て、眉を下げて口を引き結び、ゆっくりと優しく手を引いて自身の胸に寄せた。止まりかけていた涙は、ウィリアムに抱き寄せられると、また流れ出す。




「無理しなくていい」と頭を撫でられ、自覚する。


 やっぱりアルと二度と会えないことが分かって、安堵と同じくらい悲しいんだな、と。




 異性として好きという感情はもう抱いていなくても、アルは私にとって大切な人だった。


 いち友人を失ったのだ。




 頬に伝う涙と共に悲しみも流れ、やがてウィリアムの温かさに胸が満たされてゆく。「もう大丈夫です、ありがとうございます」と微笑んでいえば、彼はまだ不安そうにはするものの笑い返した。






「――ウィリアム殿下」




「……」






 涙の痕を拭って、ひと呼吸おいた私はウィリアムの目を見て呼ぶ。「殿下」と呼ばれたため、彼は一瞬驚きつつも、私の目から逸らさないで待っていてくれる。






 あぁ私は―――






「――貴方が好きです。愛しています」






 輝く赤い双眸が零れ落ちそうなほどに見開かれる。






「……やっと言えま―――」






 全てを言い終わる前に、柔らかく熱を帯びたウィリアムのそれに唇を塞がれる。それに一驚したが、直ぐにその甘美な時間に恍惚として、瞼を閉じる。感触を楽しむように多方向から何度も口付けされ、私は羞恥で生き絶え絶えになった。くらりとなったところを抱き寄せられる。






「――すまない。最後まで聞こうと思ったが、無理だった。……嬉しい」




「っ……!」




「……私からもいいか?」






 頷くと、私から少し離れたウィリアムは片膝をついて、私の手を取りキスを落とした。あの時の情景が脳裏を横切る。赤い瞳が優しく微笑んだ。






「セレイラ=エリザベート嬢、私の永遠の伴侶となってくれませんか?」






 足元は花々が咲き乱れ、桜の吹雪が煌めいている。


 気持ちの良い晴天。空気がふわりと花の甘い香りを漂わせている。




 あの時と同じ。だけどまるで違う。


 いつの間にか私の目に膜が張っていた。




 ―――断る理由なんてない。






「――喜んで……!!」






 私はウィリアムに抱きついた。が、勢い余って私がウィリアムを押し倒した形になってしまった。私は顔から火が出そうだが、反対にウィリアムは笑いをこらえている。実際こらえきれずに声が漏れているが。




 笑いが収まったらしきウィリアムは、私の左頬に手を伸ばす。






「――私も貴方が好きだ。愛している」






 どちらからともなく顔は近づき、2度目のかぐわしく甘やかなひと時を―――。






*****


次で完結です!


12月30日 13:00 最終話更新

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