第43話 アルとの約束(ウィリアム視点)

 


「―――書きます」






 そうセレイラが言った時、私は「そうでなくては」という思いと、「やはりか」という少し残念だという思いが交差していた。




 セレイラが今私の事を想ってくれているのは分かる。


 が、どうしても、まだアルの事を想っていた彼女の姿と、セレイラに蕩けるような微笑みを向けるアルの姿が頭の中をチラつくのだ。




 手紙でその想いがまた芽生えるかもしれない。


 それが気が気じゃなかった。




 自分自身で自分を重いと思う。心の狭い男だと。しかし―――。




 私は心の余裕が無い中、笑顔で頷いた。


 だが、その笑顔が失敗したことをセレイラの反応で察する。




 セレイラにそんな顔はさせたくなかった。


 昔は、いや、セレイラ以外には変わらない微笑みを向けることは容易いのだが……。


 感情がもろに表情に出てしまう。


 失敗したなと思いつつ、掘り返すべきではないと判断し、セレイラを見送った。






 ☆☆






 一人執務室でアルの事を考える。




 もし彼が、アルが、私にセレイラの事を頼んでいなくても、求婚しただろうか。


 いや、していなかったと思う。私はセレイラの事となると、ほんの少し臆病になる。




 求婚する前は、セレイラが私を避けていたのを知っていたから。


 どれだけアプローチをしても、決してセレイラは振り向かなかった。


 途中からセレイラに近づくのを止めてしまった。


 しかし、遠くからアルに微笑む彼女を見て、胸が締め付けられた。


 私の王族という権力を伴えば、彼女を手に入れることが出来るのは分かっていた。


 あの公爵が酷く娘を溺愛しているのは知っていたが、反対はしても断りはしないだろう。


 しかし……。自分のパートナーに何が何でもしよう、とは思わなかった。いや、思えなかった。


 アルに微笑む彼女を、アルの一挙手一投足に頬を赤らめている彼女を見てしまえば、そんな考えは簡単に粉々になる。






 珍しく恋愛婚をした両親の計らいで、今まで婚約者がいなかった。




 学園でいい人を見つけなさい




 そういうことだと受け取った。だが、それは無理だ。




 だから、恋愛婚はしませんと暗に言えば、寂しそうに笑った両親に「そうか」と言われた。


 それが少し苦しかった。


 結婚から逃れられない私はもっと割り切るべきだ。想いを捨てるために、執務に没頭して部屋に籠ることも多くなった。




 そんな最中だった。




 従者が困惑した表情を浮かべながら、私に告げる。






『ユーフォリア侯爵家のアル様が殿下にお会いしたいそうで……』






 ペンを休まず進めていた私は、思いもよらぬ訪問者にピタリと動きを止めてしまう。私は何事もなかったかのように「分かった」と返した。


 面会用の部屋に近づく度に心臓が鳴る。どろりとした重苦しい血液。体に感じる気持ちの悪さに気が付かないふりをして、部屋に入り―――息をのんだ。




 彼は―――見違えるように痩せこけ、衰弱していた。




 私を見たアルはソファーから立ち上がろうとして崩れて倒れそうになった。そんなアルに慌てて駆け寄り体を支えて再度座らせる。私も隣に腰かけた。






『アル殿……どうしたのだ』




『驚かせてしまい申し訳ありません……しかし……私は元々こうなのです』




『……どういうことだ』




『私の命は……少ない。……病を一年前に罹りまして……』




『……一年前?普段あんなに……』




『ええ。魔法を使って病にかかる前の私を作っていました』




『……』






 絶句した。今の医学では治らないその病。それを隠し続けていたとは。


 聞けばセレイラにも隠しているという。






『私が病気だと知ったら、彼女は、あの笑顔では無くなります。確実に。私がけがをしたというだけで血相変えて飛んできますから』






 苦笑しながら、まるで目の前にセレイラがいて、彼女の頬を撫でる様に腕を伸ばし掌を動かす。その瞳は、全力で彼女を愛しい、と訴えていた。私はそれに目を逸らした。






『――殿下。私は学園を去ります。休学、という名目ですが』




『――そうか……』






 それだけではないだろう?






『――殿下には敵いませんね』




『――どういう意味だ?』




『いいえ。独り言です』




『……』




『殿下。折り入ってお願いしたいことがございます。―――セレイラに求婚してください』




『……は……?』






 目が点になった。






『私とセレイラは婚約する予定です。しかし、私はこの世を去る者。傷をつけるわけにはいきません』






 貴族の女性は婚約が解消されるなり、破棄されるなりすれば、その女性に何か問題があるとみなされ、「傷物」となる。公爵家の令嬢であるセレイラにとって、それは苦しいだろう。アルは、もし婚約したとして、自身が死ぬ前にセレイラとの縁を切るつもりなのだ。いつも柔らかい雰囲気をもつアルだが、今この時はきりりと顔が引き締まり、まるで宰相を相手にしているようだった。






『……エリザベート公に伝えれば良いではないか』




『はい、本来ならば……。私がそういえば、彼女は私と婚約はしないでしょう。……しかし、そうなれば――』




『ロビン殿と婚約することになるだろうってことか』




『はい』




『それの何がいけない?』




『――が嫌だからです』






 私はその気迫に目を見開いた。






『……嫌とは?』




『………ロビン殿は、確かにセレイラを大切にするでしょう。しかし―――あの方は、美しい鳥は頑丈な檻に入れて愛でるのがお好きのようですから』




『………なるほど』




『セレイラは気が付きませんが、ロビン殿は友人のフリをして居るだけで、目の奥はギラギラと肉食獣のようです。………そんな方にセレイラはあげられない』




『………』






 自分の事を棚に上げて人の事を言えないので黙る。






『……殿下なら……セレイラを安心して任せることが出来ます。……私如きが偉そうに、申し訳ありません。大変失礼であることは承知しております。しかし……どうしても彼女だけは――』






 本当なら彼女は僕の婚約者だ。




 ―――そう、本当なら。




 ―――もしこの病気がなければ。






 顔を歪めるアルを見て、私は彼の叫びが聴こえ、その複雑な思いの片鱗に触れた気がした。何を根拠に私なら大丈夫だと思ったのかは分からないが、アルが私ならと言ってくれたのだ。私はドクンドクンと大きく波打つ心臓を押さえ、一息置く。






『―――分かった。だが、1つ条件がある』




『……はい』




『―――自分からセレイラ嬢に別れを告げること、だ。彼女が知らずに貴殿が居なくなるのは、止めて欲しい』






 目を見開き、斜め下を凝視しながら固まるアル。私は想定内のその反応に「やはりな」と心の中で溜息をついた。別に条件がなくたって、私は良いのだが――セレイラからすれば意味不明だろう。






『―――お約束は出来ません』




『―――そうか。―――なら、こちらも約束は出来ないな』






 片眉を上げてそう言えば、アルは目をぱちくりと動かし、やがて口元を柔らかく緩ませた。弱々しくはあったが、それでもその笑みには優しさが滲んでいた。






『必ず、エリザベート公爵邸に行くんだ、良いな?』






 ――きっと、彼なら。彼ならばセレイラに言うだろう。




 その思いは簡単に打ち砕かれる事となる。






 ☆☆






 婚約を結んですぐの頃、セレイラとエリザベート公爵が王城を訪れた。






『急に呼び出してすまない、エリザベート公爵、セレイラ嬢』




『いいえウィリアム殿下。この度は我が娘を選んで下さりありがとうございます』




『私はセレイラ嬢の事が好き、ただそれだけだ』






 エリザベート公爵のその返しに僅かに疑問を抱きながら、きっとアルの事をセレイラは話していないのだろう、と思っておき、私の思いを口にした。これは本心だ。






 ―――しかし、堪えるな……。






 求婚した時もそうだったが、私から全力で逃げようとしているようだった。困惑の色をよく浮かべている。セレイラを婚約者に出来たことは、やはり少なからず嬉しい。しかし、これ程までに嫌悪されると流石に傷つくものは傷つく。我慢しているそれが事更に。




 それを面に出さぬよう、セレイラの思いにも気が付かないフリをした。それは本当に申し訳なかったと思う。






『セレイラ嬢……アル殿には会ったかい?』




『いいえ……』




『はぁ……アル殿にエリザベート公爵邸に行けとあれ程言ったのに……』




『あの……アル……いえ、アル様がどうなさったのですか?』






 セレイラも知らなかった。


 アルが何故自分の婚約者ではないのか。


 それは知っておいて欲しかった。




 今私から言うべきか?


 彼女に、莫大な衝撃がかかる。


 それに――私の口から言って納得して貰えるのだろうか?




 だから、アルが停学する事位しか話せず、その後味の悪さと罪悪感を抱きながら、謝るしか無かった。それが精一杯の誠意だと思った。






 ――アル殿。それはセレイラ嬢にとって、罪だ。






 私はそう胸の中でアルに毒づいた。


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