第42話 赤裸々な手紙
ガリレオが部屋を去った後、私は自室の部屋に一人、机の前に座っていた。羽ペンにインクをつけて、いざ書こうと思っても、10分経った今でもペンは動かず、一文字も書けていない。
「どう……書けば……」
―――アルに。
☆☆
『―――ところでセレイラ。―――アル殿に会いたいか?』
ガリレオの事についての話がひと段落した後、ウィリアムは私にそう聞いてきた。不意打ちの質問に狼狽する。
『会えると言っても対面は出来ない。手紙なら検査で通れば渡せる。……どうしたい?』
手紙を書かなくてもいいと言ったら嘘になる。寧ろ会いたいくらいだ。
ウィリアムが言うに、病気が大分進行しているらしい。衰弱、とまではいかないが、後一回倒れれば、目が覚めず植物状態となるかもしれない、と。別れの言葉も、感謝の気持ちも、―――好きだったというかつての想いも、何一つ伝えられずに別れてしまった。手紙でもいいから自分の言葉でアルに伝えたい、そう思った。
が、「白の騎士団」は一般には知られていない騎士団で、直属の王族のみしか繋がりは許されないという。それなのに、こんな私的な手紙をウィリアムに届けさせていいのか?手紙のせいでウィリアムが罰せられてしまうのではないか?
そんな不安の渦が胸の中で広がり、簡単にハイとは頷けず、ウィリアムから目を逸らし瞬きを繰り返すばかり。私の気持ちを読んだのか、ウィリアムは納得させるように優しく穏やかに、しかしきっぱりと言う。
『「白の騎士団」は極一部の者しか知らないし、王族しか面会は出来ない。だが、1度だけ手紙のやり取りは出来るんだ。どの人も勘違いしているようだ……というより、噂を偽装したといった方が正しいな。……前に一度、高位貴族の嫡男が「白の騎士団」に家族に無断で入団したらしく、その家族が面会したいと言ってきたらしい。面会が無理なら手紙でもいいから話をさせてくれと言われたらしいんだが、当時は手紙も一切を禁じていたんだ。それを流石に気の毒に思った先祖は、一度だけやり取りできる制度に変えた、というわけだよ。どう?』
決めあぐねている私の手の甲をそっと撫でて、何も言わず待っていてくれる彼は、本当に懐の深い人で、そんな人と結ばれることに密かに小さな喜びを感じ、そして心から感謝する。
私は、アルに伝えなくて本当に後悔しない?
いいや、このチャンスを逃したら臍を嚙むことになる。
私はしどろもどろにならないように、細心の注意を払いながら、ウィリアムの温かな瞳を見て告げた。
『―――書きます』
☆☆
書くとは言ったものの、書き出しが分からない。
普段あんなに他愛もない話も、真剣な話も気軽にしてきた仲なのに、こんなにも間が空いてしまうと話の切り出し方までもが分からなくなってしまうのか。はたまた、心の何処かで、手紙を書くことに、というより、アルの反応が怖いと思っている自分が抵抗しているからなのか。
それとも―――「書きます」と返事をした時のウィリアムの表情が、脳裏に焼き付いているからなのか。
それは定かではない。
ペン先を滑らせ文字を紙に乗せる。ほんの少し最初の入りの部分が滲んでいた。手紙や書類を書くなんて慣れている。だからペン先が震え、何処となく筆跡が霞んで揺れているのは只の勘違いだ。きっとそうである。そう思わなければ更に手先が狂ってしまいそうだった。
―――お久しぶりです。
体調の方は如何ですか?快方に向かうことを切に願っております。
わたくしはウィリアム殿下と婚約いたしました。
まもなく学園も卒業で、わたくしは殿下と婚姻を結びます。
王太子妃として、殿下を、国を支えていこうと思っております。
どうか体を大切に。今まで本当にありがとうございました。
わたくしを覚えていてくださると嬉しいです。
お元気で。
私は一枚書きあげて、それをすぐさまクシャリと握りつぶした。
陳腐。常套句を並べただけのおざなりな簡易的な上辺だけの中身のない手紙。
私はこんなくだらないものを書きたいのではない。
ストレートな、心からの言葉を、まるで直接語り掛ける様な。
私だから彼に書ける手紙。そのチャンスは一度だけ。
書き残してはいけないのだ。伝えられることは伝えて、書けることは何でも書いて。
何だったら学園のちょっとした面白おかしい話を全て書いたっていいんじゃないかとも思った。
でも私はそれが何時まで経っても書けない。
悔しい。自分が悔しかった。
視界がぼやけて鼻の奥がツンとする。泣いてはダメだ。泣くところではない。
こんなことで泣いているようじゃ将来やっていけない。
大きく深呼吸をして震えた息を整える。少し落ち着こうと、机の上にある呼び鈴をチリンチリンと鳴らした。ベルの音を聞いた侍女が部屋にやってくる。年配の、私が小さい時からよく私を知っているその侍女は、一瞬僅かに目を見張ったが、私が紅茶をいれてくれるかしら、とお願いをいつも通りすれば、何もなかったかのように返事をして去った。
足音が聞こえて入室を促せば、侍女は私の好きな紅茶を入れてくれた。
胸がじんわりと温かくなって笑みが零れる。
―――そういえば、アルも好きだったな。この紅茶。
侍女はちらりと十数枚のくしゃくしゃになった、いつもと違う便箋の残骸を視界に写し、アルの事を思い出して悲しく笑う私を見た。私が使っているのは、赤が使われたものでも、令嬢らしい可愛らしいものでも、エリザベート家の紋章の入った公式的なものでもない。
黒いコスモスが小さく一輪、右端に咲いているだけのもの。
侍女は誰に書こうとしているのか分かったようだった。
彼女たちはアルが「白の騎士団」というところに入ったとは勿論知らないが、突然姿を消したことは誰でも知っている。私は侍女に一方的に話し始めた。
「……どんなに仲の良かった人でも、間が空くと……駄目ね。何も出てこないわ。書くのはやめようかしら。心の無い手紙を送っても向こうが嫌な思いをするだけよね……」
侍女は穏やかに、寂しそうな笑みを薄らと浮かべ、「これはわたくしの独り言ではありますが」と前置きして言葉を紡ぐ。
「……もしそれが当り障りのない言葉だけで書かれたものだとして、それを『冷たい』ものか『温かい』ものかは相手の受け取り方次第でございます。知り合って日の浅い、まだ相手の事をあまり知らない場合は『冷たい』と思うかもしれません。……しかし、良く存じ上げている人からなら、その字を見て、適当に書いた『冷たい』ものなのか、絞り出して一生懸命書いた『温かい』ものなのかが分かりますよ」
「……」
「自分の言葉がありきたりな言葉の時もあります。それ嫌だと感じるならば、あまり深く考えずに、ペンが動く通りに、思いのままに、書き記していけば良いのです。順番だとか、手順やマナーだとか、そういうものは書き記した赤裸々な文章を読んでから考えるので十分。……でもきっと、ありのままに書いた最初の手紙が一番だと後から思うでしょう。手紙とはそういうものだと思います」
「……ありがとう」
ただの独り言ですよ、と笑う侍女に私も笑い返した。
侍女が退出した後、私はもう一度ペンを握りなおして書き始める。
余計なことは考えない。思いのままに言葉を綴る。
色々なことを書いたせいで、20枚以上の手紙になってしまった。
『ありのままに書いた最初の手紙が一番だと後から思うでしょう』
本当にその通りだと思った。私は手紙を、ポピーとコデマリの押し花を使った栞を同封した。
厚みのある、手紙ではないような手紙。
内容も、高位貴族らしからぬものだ。
それでも私はこの手紙に至極満足したのだった。
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