第38話 無事で良かった
割と長い時間をこの部屋で過ごした。
陽の光もない、色も物も何も無い部屋で過ごすのはやはり難しく、目眩もした。どうやらいつの間にか私は寝てしまったらしい。
音もなく開けられた扉。私はこの部屋とは明らかに違う光で目を覚ます。そこには泣きそうな笑顔を浮かべるウィリアムが、光に照らされて影を作りながら立っていた。
ウィリアムは目を擦り、寝起きで良く状況を把握出来ない私に駆け寄って、抱き締めた。今まで以上の強さで、離さまいとするように。それに私は目を白黒させたが、その温もりにほっとした。
腕を離したウィリアムは、熱の篭った目で私の顔をじっと見た後、壊れ物を触るかのように私の両頬を包み、そして親指の腹で撫でる。ちりちりと燃えるような熱い瞳と、それとは対称的な、冷えた指先で表面を撫でる手つきに、擽ったさを覚え、微笑もうと思った。
が、私は上手く笑えなかった。口角が上がらなかった。代わりにどんどん口はへの字に曲がり、眉間に皺がよって、目の前が霞む。
ウィリアムは私を抱き締めた後、息とともに、それこそ独り言のように、こう言ったのだ。
良かった、無事で。
つまりは私かウィリアムが危険な目に晒されたと言うことだ。
私はずっとこの部屋にいたので、きっとウィリアムだろう。
聡明な彼は、何か自分の身に及ぶ危険を察知したのだろう。そして私に気が付かれないように私を匿った。違うだろうか?
私が気が付かないと思ったら大間違いだ。隠しているつもりなのだろうが、詰襟の隙間からほんのり血の滲んだ包帯が見えている。私は無傷、彼は首に傷を負っている。これで、良かったです、と笑える話で終わらせる方が間違っていると思う。
全てゲームの展開だったのだとしても。
急に泣き出した私に、戸惑って眉を下げているウィリアムは何も分からないようだった。私は第2版をプレイしていないので、一体何が台本通りで、何がイレギュラーなのかは分からない。が、決定的に分かるのは、ウィリアムが身を危険に晒したのは、当然だと思っていることだ。
ゲームでもそうだった。
魔力を暴走させてセレイラを傷つけようとする悪役令嬢。それは彼女が不正で手に入れた魔力で、それは自分の魔力の器の範疇を超えていた。だから魔力を制御出来ず、自分の感情のままに暴走させたのだ。それはセレイラを殺すどころか自分自身までもを殺す事になる程に。
それを第1王子という身分の人間が、剣とその身1つでセレイラを助けに来るのだ。そしてセレイラを庇いながら魔物と化した悪役令嬢を倒し、そして平然と、「貴方が無事で本当に良かった」と―――。
画面越しで見ていたそれは、当事者では無かったから感動シーンとして成り立ったが、今は違う。
それと比べて軽傷なものの傷ついたウィリアムが、殆ど同じ台詞を言った。それが「らしい」といえば「らしい」が、これは自分にとっては「らしく」あって欲しく無かったかもしれない。
私は今も留めもなく頬を伝う涙を乱雑に拭い、ウィリアムの目に合わせる。
「……っく……どうしてっ……わたくしに黙ってそうやって……っうっ……もっと自分の身体を大切にして下さいませ!」
ウィリアムは豆鉄砲をくらったように目を見開いて、瞬きを数回した後、困ったように、しかし嬉しそうに笑った。
「………セレイラに怒られる日が来るとは……すまなかった。次からは気をつけるよ」
「……何も言わずにそう無茶をするのはわたくし許しませんわ。……首に負傷して……自分の立場もお考え下さい……!」
嘆願しながらやはり涙は溢れ出る。ウィリアムの首にそっと触れ、そして彼の肩口に額を当てる。そして初めてこの台詞が自然と言える。
「……ご無事で……良かったっ…………」
彼がふっと笑った気がした。ウィリアムは私をもう一度抱き寄せた。あやすように背中をポンポンと撫でながら、彼は言う。
「……心配かけてすまなかった。セレイラに知られないようにしたのだが、無駄だったな」
「………きちんと説明して下さいませ……」
「あぁ」
落ち着いたので、ウィリアムから体を離す。その時に少しもの寂しさを感じた。私達は部屋から出て、普通の部屋に移動する。本当は私に気が付かれないように動いて、そのまま何事もなく夜会に戻る予定だったらしいが、私が気が付いた上に、泣きはらした目をしているので、夜会に出られるような状態では無かった。
ウィリアムはガリレオを呼んで、まだ仕事が残っているからと、1つ手の甲に口付けてから、夜会に戻って行った。
☆☆
近衛騎士も付いた、いつもより警備の硬い帰り道。
カラカラと車輪が鳴る音と、馬の歩く音の響きが夜の静寂な空気の中に溶ける。
ガリレオと私は向かい合って座っている。が、会話は無かった。
ガリレオとウィリアムの会話から、この2人がグルであると分かり、私はガリレオにも少し怒っていた。どうして私には皆話してくないのだろう、もっと頼って欲しい、と。
それだけではなく、ガリレオがいつもと違うのだ。無表情で変わらない、といえば変わらないのだが、目の奥の感情がゆらりゆらりと暗く揺らめき、そしてそれを押し殺そうと必死に隠しているのもヒシヒシと感じた。
鎌をかけて吐かせるのは今の私には出来ない。この人を目の前に、それは出来そうに無かったのだ。
この男がこんなに憂いに満ちているのは、彼と初めて会った時以来かもしれない。否、あの時のガリレオは感情を無くした、ロボットのような人だった。
この人の主人として、彼に何がしてあげられるだろうか。
私はそれを考えつつ、今日ウィリアム達が私に何を隠していたのか、明日必ず尋ねようと、そう決めた。そうやって小さく頷く私をガリレオが見ていたのを、私は知らない。
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