第32話 事件の前兆(Ⅱ)
1曲踊った私達はいつもお互い挨拶で忙しいので別れてしまうが、今日は違うみたいだ。「では戻りましょうか」と壁際に向かおうとした所で、私はウィリアムに腰を抱き寄せられた。
驚いて見上げると、眉を下げて笑ったウィリアムが。その微笑みは困ったような笑みではあるが、暖かく優しい。
「セレイラ、もう一曲踊ってくれませんか?」
私はそれに目をぱちくりと、一体何を言われたのか分からずフリーズしていたが、ウィリアムがどんどん不安そうにするのに気がついて「はい、勿論。喜んで」と笑った。
踊りながら、じっとウィリアムを見る。先程はなかった、乞うような眼差し。彼は口元こそいつも通りではあるが、瞳はまだ不安で色づいている。
それにもう一曲踊ろうなんて今まで1度も言ってこなかった。確かに今日は正式な夜会ではないので挨拶は最低限で構わないので時間はあるし、婚約者となら3回は踊ってOKなので問題ない。
しかし、私はこんな風に誘うウィリアムに違和感を感じたのだ。いつものウィリアムなら、「もう一曲踊らないか?」と普通に誘う筈だ。意地悪くこちらをわざと赤面させるようなキザな台詞を吐いて誘う可能性もあるが、こんな誘い方はしない。
らしくない。ウィリアムらしくないのだ。
あの時―――あの花畑の時、婚約をこじつけたウィリアムと同じ。
何が彼をそうさせているのか、私には全く見当がつかなかった。私は笑顔の仮面の下で「どうしよう」と狼狽える。
そんな事を考えていたらいつの間にか2曲目も終わって、次は戻ろうとしたのだが、「もう一曲……」とフロアに残らされる。
「………?」
疑問符を浮かべながら3曲目を踊りきり、そしてやっとフロアから抜けた。
「挨拶に行って参りますね」
挨拶するために離れようとして、ぎゅっと手を握られた。振り向いて見たウィリアムは、俯いていた。本当にどうしたのだろう。どこか調子が悪いのだろうか?
「………どうされたのですか?」
私の手を握っているウィリアムの手に片手を添えて覗き込む。目が合ったウィリアムはやはり憂いで色づいていていた。
「………すまない。また必ず。絶対だ」
そう言って私の指先に唇をそっと落とした後、名残惜しそうにゆっくりと手を離して去っていった。夜会が終わってから聞かないといけないと頭の中に入れておいて、挨拶に向かう。
平等、といってもやはり貴族が多い。なかなか挨拶無しに、とは出来ないのが現状である。頭の堅い貴族もいるのだ。
私は一応公爵令嬢、そして王子の婚約者なので次々に挨拶されるので、自ら行くというのはここ最近は少ない。表情筋が痙攣しそうになってきた所で助け舟が現れる。
「セレイラ嬢ご機嫌よう」
黒髪を揺らして現れたのはロビン。少し茶目っ気の籠ったいつもの笑い方でやってきた。フェリス侯爵家は侯爵家の中でも位が高いので、皆ロビンに道を譲る。そして今までいた貴族達はロビンを見て一瞬目を見開いたが、直ぐに取り繕って一礼したあと離れていった。
当然私も驚いた。
今日は学園に在籍している者とその家族しか招待されていない。既に卒業しているロビンが何故いるのかと。
「……ご機嫌よう、ロビン兄様。何故ここに?」
「実はこの夜会の設営の責任者でね、だから参加させて貰っているんだよ」
「………そうなのね」
この会場は確かに魔法で障壁を張っているし、魔法で色々動かしているのがよく分かる。なので魔法省の中でも一流の、ここの学園の出のロビンが担当したのはよく分かる。
しかしその設営担当の者、言わば裏方の者が夜会に参加というのは聞いた事がない。主催者兼設営の場合は参加するのだが。もしかしたら身分とOBである事を考えて特別に許可されたのかもしれない、と一応納得したように返事を返す。
「せっかくだから踊って頂けませんか?」
「喜んで」
ロビンとは度々ダンスをしてきているので、お互いの癖は把握している。とても丁寧にリードしてくれるので踊りやすい。流石だわ、と思っていたその時だった。
(え………?)
ロビンがステップを踏み間違えたのだ。
確かにテンポは速めの曲で難しいステップもある難易度の高いものだが、ダンスが得意なロビンが明らかに間違えた。
それにより私の体勢が僅かにズレ、右足のヒールが傾く。少しガクッとコケてしまったが、捻挫もしなかったようだ。ロビンがステップを間違えた事はもしかしたらギャラリーにはバレているかもしれない。
一曲踊ってフロアから抜けた後、申し訳なさそうにしてロビンが謝ってきた。そういう事もあるよね、と「大丈夫よ」と微笑んだ。
「でも後から腫れてくるかもしれないんだ。レイ、その時足を捻ったでしょう」
「………っ?!」
「だから一応医務室で見てもらおう。さぁ行こうか」
過保護なロビンは私を医務室に連れていこうとする。足元が少しぐらついただけで全く怪我はしていないので断るが、駄目だとロビンは聞かない。しょうがないので行くかと諦めたが、「セレイラ」と聞き馴染んだ耳障りの良い声でそう呼ばれたので振り返る。
にっこりと笑ったウィリアムはロビンから私の手を取り上げて私を腕の中に閉じ込める。ポスリとウィリアムの胸に顔が当たり、その時に彼の甘い香りがした。その状態に私は顔に熱が集まる。
「セレイラ、怪我をしたのか?」
「え?全くして「いましたよ。足を捻ったみたいです」」
「そうか。では行こうかセレイラ。歩くのは辛くないか…?」
「………えぇ」
何が起こっているんだ。頭が混乱していて理解が追いつかない。ウィリアムが向かったのは出入口の扉ではなく、シェナード王国の王族のみしか立ち入れる扉。この奥は当然私は入った事はない。
「ウィリアム様……?!ここはわたくしは入れませんわ」
「大丈夫」
そう一言言って、扉の奥に進む。衛兵も私を止める気配はない。何事だと益々パニックに陥る。黙ったままウィリアムに連れられてあるドアの前に来た。
開ければそこは真っ白の、何も無い空間だった。
廊下はいつものベルベットの絨毯にシャンデリアのついた王城の風景そのものだが、この部屋はそれとは全く別物であった。只只白なのだ。なんの色もなく、そしてなんの家具もない。窓もない。それなのに電気がついているかのように明るいのだ。
「セレイラ、少しここで待っていて貰えないか」
「はい……あの、ここは?」
「すまない、こんな所に連れてきてしまって。安全だから絶対に動かないでくれ」
「はい……畏まりました。………必ず迎えに来てくださいまし……」
「勿論だ」
私をぎゅっと抱きしめたウィリアムは私の肩口に顔を埋めた。首元にチクリと僅かな痛みを感じたと同時にリップ音が鳴る。ぶわりと血が巡り、どくどくと強く脈が打ち始めた。
ウィリアムもほんの少し顔を赤らめて、柔らかく目を細めた。そして私の頭を撫でた後、外套を翻して行ってしまった。扉が閉まると、そこは正方形の箱のようになった。扉があった所は、閉まると同時に無くなり壁になってしまったのだ。
私はその空間の中で1人真ん中に座り込んだ。ふわりとドレスが舞って柔らかく広がる。
あの時「迎えに来て」と言ったのは、ウィリアムが来ないんじゃないかと恐れたのと、この空間が怖かったからだと思う。
ウィリアムは何かを隠している。私が見えないところで何をするつもりなのだろう。いつもとウィリアムが違ったから、何かはあるとは思ったが。
「誰かとの逢瀬……だったりして」
ぐっと右手で左手を握った。
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