第25話 婚約破棄

セレイラがうじうじしています。



*****





 


「………ん……」






 いつの間にか寝てしまったみたいで、目を開けたら天井だった。私は起き上がり、伸びをして周りを見渡す。いつもと違う景色に眉間に皺を寄せると、左手に違和感を感じてそちらに目を向けた。






(ウィリアム様……?!)






 ウィリアムがなんと私の手を握って寝ていたのだ。そこで私は眠る前の事を漸く思い出し、深く息を吐く。そして自然と彼の寝顔に視線が行った。




 睫毛が長く鼻筋が通り、いつもは整っている赤い髪が乱れている。綺麗な寝顔に私は釘付けになった。普段隙を見せない彼が今目の前で寝顔を見せているのが、何だかむず痒かった。




 最近の私はウィリアムに上手く接する事が出来ていないと思う。彼に関わると、心に余裕が無くなったりほっとしたりする。これは婚約破棄をするのに必要のないことだ。悪い方向に傾いている。




 しかし婚約破棄をしなくてもいいのではと思う自分は、認めたくないが確かに存在するのだ。でもそれは私の自分勝手な考え。アルと会う為だけの為に、何れ国王となるウィリアムを振り回すことは許されない。




 私はウィリアムの事は嫌いではない。だからといって無関心でもない。だからこそ婚約破棄が出来ない。嫌いな相手、無関心な相手ならば簡単に婚約破棄するだろう。




 そんなチャンス幾らでもあったではないか。でもそれを私は知りながら逃してきた。




 アルが大好きなのに、いつの間にか婚約はそのままでも…等、酷い奴にもほどがある。そんなに軽い女なのか、このセレイラ=エリザベートという主人公は。いや、前世の私だ、確実に。




 私の手を握るこの一回り大きな手が離れて欲しくないと、何かでつなぎ止めておきたいと、そう思ってしまう。ウィリアムは二つ返事で返してくれるかもしれない。けれど、それは乙女ゲームの何らかの力が働いているからであり、私がそのヒロインで、誰かと幸せになることが確立されているからだ。




 これは私のエゴだが、「ヒロイン」ではなく「セレイラ」として幸せになりたいのだ。






 私はそっと彼の手を離した。






 ☆☆






 ウィリアムがゲームの中でセレイラに胸の内をこぼすシーンがある。






『王子としてこれまでやってきた。貴族達の重圧にも耐えて、期待にも応えてきたつもりだ。学園を卒業すれば私は王太子になる。……辛いな、つくづくこの立場は……』






 寂しげな笑みを浮かべ自身の髪をグシャリと乱雑に掴む。放課後、人気のない中庭で変わらない優しいセレイラの笑みを向けられたウィリアムが言う。言われたセレイラはこう言う。






『わたくしには、その重圧は分かりません。申し訳ありません。…ですが、わたくしは殿下がほんの少しいじわるだということは知っていますわ』






 至って真面目に答えるセレイラ。思いがけない答えにウィリアムは目を見開くが直ぐに柔らかく細めた。その目から綺麗に一筋雫が流れ、それをセレイラが指でなぞる。ウィリアムはセレイラの手首を掴みそしてその流れで口付けし、セレイラの手に自分の指を絡ませる。所謂恋人繋ぎだ。






『セレイラ、必ず貴方を迎えに来る。信じて待っていてくれないか』




『はい、ウィリアム様』






 この破顔したウィリアムは、プレイヤーの中でも大人気のスチルだった。






 ☆☆






 すやすやと眠るウィリアム。私と年の変わらないこの人は背中に大きなものを背負っているのだ。それをウィリアムは言わない。私が予定通りウィリアムを攻略していたら、そのシーンはあった。






 ―――ウィリアム様。それを相談出来る相手を婚約者にして下さい。






 私は微笑んでいた。これが一番いいのだ。




 そう思った直後、ガリレオが入ってきた。目を覚ましていた私に驚いて、慌てて頭を下げた。私は黙って首を横に振って、振動が立たないようにゆっくりとベッドから降りる。ガリレオに小声でウィリアムの護衛を呼ぶように指示した。ウィリアムを無理に起こしたくないからだ。




 ガリレオは私の顔をじっと見て、瞼を閉じた後「畏まりました」とすぐに呼びに行った。






 ☆☆






 手紙を護衛に渡して私達は部屋を去った。王宮の出口に向かう途中、アレクとばったり会った。今日のことがあって私は一歩下がり、ガリレオは私をかばおうと前に出る。アレクはいつもの笑顔を浮かべて「何にもしないからそんな警戒しないでよ」と掌をひらひらさせた。




 そして彼はガリレオ同様、私の顔をじっと見る。私の顔に何かついているのだろうか。不思議に思っていると、赤紫の瞳が真剣に開かれる。私は背筋を伸ばした。






「……無理に自分の気持ちを曲げても意味がないよ」




「……曲げていませんわ」




「……そう」






 アレクと私の間に沈黙が流れる。それを破ったのはアレクだった。アレクはふっと意味深な笑みを浮かべて「またね、ウィリアムの婚約者さん」と言い去っていった。






「婚約破棄は絶対に無理だよ」






 苦笑してアレクがそういっていたのを私は知らない。






 ☆☆






 父の部屋に近づくに連れて私の心音は早くなる。扉の前で一息置き、ノックをすると「入れ」と優しく厳しい声が聞こえた。






「失礼します」




「セレイラか。どうした?婚約破棄か?」




「はい」






 ニヤニヤしていた父の顔が一瞬にして変わる。驚愕、といったところだろうか。これに私は動揺した。父ならば直ぐに頷いてくれると思っていたのだ。






「……セレイラ。本気か…?」




「はい」




「……何が嫌だったんだ……?」




「……殿下には、慕っている方がいらっしゃいます」




「は……?」




「それにわたくしではあの方に相応しくありませんし」




「ま、待て。セレイラ、落ち着け。もう一度よく考えなさい」




「考えた結果がこれです」






 未だ口をポカンと開けている父に私は「婚約破棄を希望します」と強い意志を持って言った。いくら言っても無理だと思ったのか、父は「お前の気持ちは分かった」と言った。私は父の部屋を去り、自室に急いで向かった。自室で特にやることも無いのに私は早歩きになっていた。




 ガリレオと侍女を下がらせた瞬間私の足の力がふっと抜けた。床に座ることは淑女としてあるまじき行為だが構わなかった。




 終わったのだ。私の目的は達成されて、アルを探しに行ける。




 そう、私は喜ぶべきだ。




 なのに、涙があふれるのは何故だ。




 これが歓喜の涙ではないことは分かる。だからこそ私は混乱した。




 私は一体何がしたかったんだろう、と。






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