第19話 婚約の行方
セレイラ視点とウィリアム視点です。
アレクから借りた上着はちゃんと洗濯して翌日返しました。
*****
「……婚約を破棄出来そうにもないや……」
苦笑しながら、息と共に吐き出すようにウィリアムは言った。何処かほっとする様な嬉しそうな声色が含んでいた。私はその言葉に情けない声が漏れる。それと同時にウィリアムの背中に回していた腕をポロリと離す。
ゆっくりと私から身体を離した彼は、私の手を取りソファーまで連れる。先程と同じ位置、しかし違うのはさっきよりもウィリアムと私の距離がある事だった。私の右腕右脚にピタリとくっついて、温かなウィリアムの体温が感じられていた時とは違い、冷ややかな空気が触れている事を寂しく思った。
膝の上に乗せている私の手を上から覆い、真摯な視線を送るウィリアムに私も目を合わせる。
「……婚約を破棄されたいのですか?」
「いいや」
ゆっくりと言葉を紡いだ私の声は想像以上に震えていた。その問いにウィリアムは間をいれずに否定する。
「でも……セレイラは婚約破棄をしたいだろう?」
私はそれに豆鉄砲を食らったような衝撃を受けた。
よく考えろ、私。これは向こうから婚約破棄の提案をしてきている。自分で婚約破棄を切り出すより何十倍何百倍何千倍も気楽だろう。これでアルを追いかけて、幸せになるために奔走すればこのゲームの勝ちである。
『はい!婚約破棄したいです!』
さぁ、言うんだセレイラ。
「……いいえっ…!……何故そう思われたのですか?私はそんなつもりでは……!」
しかし私の口から出たのはそれとは全く違う言葉で。どうしてだろう。婚約破棄を告げようと思っても私の胸が痛くなる。苦しくなる。まるで婚約破棄をするなとでも言うように、私の身体が必死にそれを拒否するのだ。
よく分からない。分からないのだ。
ウィリアムの『婚約を破棄出来そうにもないや』という台詞を聞いた時、感じたことの無い喪失感に襲われた。心にポッカリと空いた穴。そして私の心は「嫌だ」と悲鳴を上げ、ざわつかせる。
私は知らぬ間に両目から大粒の涙を流していた。マスカラが崩れてしまうかもしれないが、今はもうそんな事はどうでもいい。
ウィリアムは私の涙を見て、そして私の必死の否定を聞いて僅かにまごついた。彼自身、きっと私に肯定されるものだと思っていたのだろう。
彼は直ぐに元に戻り、落ち着いた様子で私にハンカチを渡してくれる。それが嬉しくもあるが、同時にその余裕綽々とした態度にイラつきもした。
ムッとしているとウィリアムはふっと僅かに表情を緩めた。傍から見れば分からないような差ではあるが、今まで隣で彼を観察してきた私はその差が明確に分かった。それに私は苛立ちを増させる。
「……すまない、セレイラ。可笑しくて笑っている訳ではないんだ。ただ……嬉しくてね」
眉尻を分かりやすく下げて頭を人差し指でかいた。それが少し可愛らしい。
「私にとっては僥倖だったのだ、この婚約は。だからセレイラが望もうと望ままいとこじつけて婚約した。それは本当にすまなかった」
頭を下げたウィリアムにぎょっとして私は直ぐに頭を上げて下さいと嘆願する。王族は無闇矢鱈に頭を下げてはいけないのだ。
「物が手に入っても、人望を持つ事や人の心を掴む事はとても難しい。私も婚約後にセレイラに何度もアプローチしたが、玉砕だったな」
「………」
「……貴方の心にはまだアル殿がいる。婚約を申し込んだ時は、それを私が消すと言ったが、今は全て消せとは言わない。少しでも良いから、私にもその心を分けてくれないか?」
「………はい」
返事をするしかない。というかしたかった。
私はウィリアムの前では泣いてばかりなような気がする。アルにも涙は必死で隠し、笑顔を貼り付けていた。アルには気が付かれるが、特に追求される事もなく上手く取り繕う事が出来ていたのだ。
しかしウィリアムの前はどうか。
ウィリアムの前では不思議と自分の心の弱さが出てしまう。彼に「どうした?」と聞かれれば、彼の顔を見れば、私は何でも吐露したくなってしまうのだ。
今、私の心の1部を支えているのは間違いなくウィリアムな訳で、私がウィリアムの心を何も支えられていないというのは、不平等である。ただウィリアムの負担が増えるだけだ。
「……ありがとう。……セレイラがもう少し落ち着いたらアル殿の話の続きを話そうか」
ウィリアムは「ね?」と柔らかな笑顔を私に向けて、手を更に強く握る。いつもの彼の笑顔のような、彼の素のような、そんな表情に、何処か張り詰めていた空気が一気に緩む。己の少し早めの鼓動を感じて、ほんの少し彼が恋しくなった私は、ぴたりとウィリアムにくっつく。
勇気を出して寄り添った私は、きっと真っ赤だろう。ウィリアムも珍しく分かりやすく動揺し、ちらりと見ればそっぽを向いて口元を押さえていた。隠しても無駄だ。耳がトマト色である。
それに「ふふっ」と笑みを零すと、愛おしいものを見つめるような、そんな彼の優しく熱い瞳が細められ、私の頭を撫でる。
それがとても嬉しかった。
☆☆
口から零れた「婚約破棄」の言葉。心の隅で思っていた事が口から思わず出てしまっていたのだ。それにセレイラはぴくりと反応する。
しまった、と思っても仕方が無い。王族としてまだまだ甘いなと痛感する。不安の色を浮かべるセレイラ。
彼女は私に婚約破棄をしたいのかと聞いてきたが、それは全くありえない話なので直ぐに否定した。願わくば、一生私の隣に、私の永遠の伴侶としていて欲しい。
しかし、セレイラは―――違う。
私に押し切られて婚約したのだ。アルが突然隣からいなくなり、そこのポジションに私が入り込んだ。公爵令嬢という立場も考えたのだろう。
私には本当の姿を見せない。私の名前も1度も呼んだことは無かった。アレクに至ってはセレイラと仲良く喋り、彼女に上着を貸したらしい。気に食わないが、彼女は私との婚約を無かったことにしたいのだ。当然であり、過去の婚約にこじつけた自分を恨めしく思う。
「……いいえっ…!……何故そう思われたのですか?私はそんなつもりでは……!」
セレイラは涙を落としながら、首を振ってそう言った。
私は彼女に嫌われていると思い、そして婚約破棄をしたいのだとも思っていたが、どちらも外れた。私は彼女の何処を見てきたのだろうと自嘲する。
……しかし。私は嬉しかった。
嫌われていない。婚約破棄をしたい訳でもない。
無いと思っていた希望がまだ私には残っている。
隣に彼女がいるという未来図を実際に形にするチャンスがある。
そう思うと私は表情が緩んでしまった。
それにセレイラは拗ねてしまったが、涙目で睨まれても何も怖くない。寧ろ可愛らしい、というのは今は言わないでおく。
まだ私は彼女に言えていないことがある。これはアル殿が私の元に来た本当の意味であり、彼の1番の願いである。それを彼女に言わなければいけないが、今は言うべきではない。
私は隣にぴたりとくっつくセレイラを愛でながら、彼女を必ず私が幸せにする、と心の中で強く思ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます