第18話 ウィリアムとアル

「殿下……」




「何故セレイラは私の事をいつまで経っても名前で呼んでくれないのか?」




「へ……?」




「アル殿、ロビン殿は名前で呼んでいるだろう?アレクさえも名前で呼んでいる。何故だ……?」






 目を伏せて悔しそうに顔を歪めたウィリアムは、いきなりソファーから腰を上げ、窓の傍に立った。私からは表情は見えない。




 私が名前で呼ばないのは、いずれ婚約破棄するという未来があるのにも関わらず、彼との距離感が近くなるのが嫌だったからだ。出来れば今後も「殿下」と呼びたい。




 けれど―――






「……ウィリアム様」






 彼の名を呼ぶと身体に熱を帯び、酔った感覚になるのは何故だろうか。私はこの正体を知らない。




 ウィリアムは私が彼の名を呼んだ瞬間、彼は私の方を向いた。赤い瞳と黒の瞳がぶつかり合う。私はにこりと微笑んだ。そうすれば、彼が不安とするものが無くなってくれるはずだと。




 しかし、私の予想と実際では違っていた。私が微笑みを向けるとウィリアムは刹那に顔を顰め、そして真剣な顔で横を向いた。真っ直ぐと何処かを見つめるその瞳は、いつもならば燃え上がるような熱い瞳だが、今は静かなロウソクの火の様に悲しげに揺れていた。






「セレイラ。これは私の我儘だが聞いてくれないか?」




「はい」






 ウィリアムは息を深く吐くと、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。






「私がセレイラに恋に落ちたのは貴方の社交界デビューの日だというのは言ったよね。私はそれから幾度とセレイラに会えないかと父上に申し出たが、父上は首を縦に1回は振ったものの、絶対に答えは否だった。その大切な1回も、ガストン公に断られたよ」






 ウィリアムは苦笑い気味で若干上を向いた。私は次の言葉をじっと彼から目を逸らさずに待つ。






「時間が経って魔法学園に入学する時、セレイラもいるのだと思い嬉しかった。私は貴方に近づこうと思ってもいつも近くにはアル殿にロビン殿だった。ずっと彼らの隣を歩く貴方のちらりと見える横顔を後ろから見ていたんだ」






 ――ずっと貴方が好きだった。






 そう言われている気がして顔に僅かに熱が籠る。






「今年は卒業の年で、お互い婚約者が決められる。その時に私とセレイラが婚姻を結ぶ事はガストン公が許さないだろうから、その未来は絶対にありえない。1度セレイラを諦めようと色々見合いをしてみたが、全く駄目だった。だから私は今年、遠慮せずセレイラに近づいた。何も行動せずに諦めるのが嫌だったからね」






 それから私は貴方に何度も近づいたがすんなりと言葉をかわされて、嫌われていると思った。ロビン殿には尊敬の視線を向けて生き生きとした表情をさせて、アル殿には分かりやすくアプローチまでして顔を赤くさせていたセレイラを見ていたから、私に向けるその表情が作りものだというのは最初から気がついていたんだ。




 そう言ったウィリアムは一息置いて、下唇をぎゅっと噛んだ。そして更に静かに彼は口を開く。






「……ある日アル殿が王宮に来たんだ。私に用事があると。アル殿は………衰弱していた。目が虚ろなのに必死に笑みを作り、顔は痩けて、いつもの見ているアル殿では無かった」




「え……?」






 今までずっと黙っていたが、その言葉に反応してしまった。ソファーから立ち上がる。どういうことだ?アルはほぼ毎日会っていたが、そんな衰弱した姿は1度も見せた事が無かった。






「セレイラ、そんな顔をしなくていいんだ。アル殿は貴方に会う時は魔法を使ってセレイラに隠していた」






 尚更アルの意図が分からなくなった。私は自然と足が前に進む。じりじりとする様に、脚を震わせながら。






「アル殿は私に本当の事を話した。衝撃だった。狼狽えたし、そんな事を聞くのは初めてだった。社交界でもそんな姿は見なかった。何故隠していたと私は彼に怒鳴ったぞ」






 眉間に皺を寄せて怒りの色を見せた。


 ウィリアムはその怒りをすぐ様引っ込め、私に向き直り「落ち着いて聞いて欲しい」と言った。






「アル殿は病に侵されていた」






 その言葉を聞いた刹那に脚の力が抜け崩れ落ちる。ウィリアムの私を呼ぶ声が聞こえたが、私はそれどころではなかった。床に座ってしまった私はウィリアムに支えられ、抱きしめられた。震える身体は彼の体温を感じると少しだけ落ち着いて、かれの肩口に顔を埋めた。




 ウィリアムはポンポンとあやす様に背中を撫で、私が涙で横隔膜が痙攣する度に抱きしめる力を強くした。時折頭を優しく撫てくれる。何も言わずに、私が落ち着くまでずっと。




「大丈夫です」と言うと不安げな表情でウィリアムは私を見た。私は彼の服を握り締め、涙の跡を残したままに微笑んだ。ウィリアムは目を大きく見開いたあと、おずおずと私の頬に手を添えて、親指の腹で頬を撫でる。目尻を撫でるのはきっと涙で濡れているからだ。




 ウィリアムの口元は緩やかに弧を描き、私をそっと抱きしめ直す。私は少し驚いたものの、不思議と彼の腕の中は安心して、そして胸が踊り、自然とかれの背中に腕が回される。アルのそばに居ると錯覚するような雰囲気で私はそれで1番落ち着いた。




 ウィリアムは浅く溜息をつき、掠れた声で苦笑しながら「困ったな……」と言った。






「……婚約を破棄出来そうにもないや……」






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