第10話 瞼の裏に浮かぶのは

 私のいれた紅茶を1口飲んだウィリアムは穏やかに微笑んで溜息を控えめについた。ウィリアムは砂糖もミルクも入れないストレートが好みのようだ。




 ソーサーをコトリと机に置いたウィリアムは人払いをすると、私の方を真面目な顔でじっと見つめてきた。ニコニコしながら見つめられる事はあっても、真剣な眼差しで見てくる事は少ないので自然と身体が強ばる。




 意を決するように瞼を1度閉じた後、目の前の彼は私の名を呼んだ。






「セレイラ」




「はい」




「何か心配事はない?」




「………」






 笑顔を貼り付けたまま、私はウィリアムの問いに直ぐに答えることが出来なかった。数秒程の間を置いたあと、私はにっこりと笑みを深くして「いいえ殿下」と否定する。




 彼ならば、私が否定すればそれ以上は深堀せず話を切り上げてくれるはずだ。




 私がこう思う訳は、ゲームの中のウィリアムはそういう人間だったからだ。台詞はそのまま『何か心配事はない?』とウィリアムがセレイラに聞くシーンがあるのだが、そこで『いいえ殿下』という選択をすると、こう返ってくる。






『……そうか……何かあったらいつでも相談に乗るからな……』






 ウィリアムは何か確信が無ければ迫っては来ない。だからウィリアムは、きっとあの時のセレイラに、何かしらの違和感を感じていたのだろう。因みに、その違和感とは悪役令嬢からの虐めによる精神的苦痛なのだが。




 状況は違うし、私の何の確信をついてその質問をしたのか理解出来なかったが、とりあえずゲームの時に不正解の選択肢を選んでおいた。そうすれば彼は諦めてくれるからだ。




 しかし、今目の前の彼は一味違っていた。






「………ロビン殿から聞いているが、それは違うのか……?」






 表情はいつもの穏やかな彼そのものだが、その裏に強気なウィリアムの意思がはっきりと見えた。




 いつどんな時でも王子様だったウィリアム。私は心のどこかで、目の前の彼はゲームにしかいないと思っていたのかもしれない。どの人とも変わらない彼の人間らしい強気な部分を垣間見た私は、今までウィリアムになんて酷い事をしたのだと嫌悪した。






「………ご存知だったのですね……」






 自嘲しながら言った私に思いがけない答えが返ってきたので吃驚する。






「いや?カマをかけただけだ」




「?!?!」




「……お願いだセレイラ。1人で抱え込まないでくれ……何かあれば必ず言って欲しい」




「…………」






 隠していたつもりだったが、そんなに顔に出ていただろうか。


 目の前に座っていたウィリアムは、いつの間にか私の隣にいて、私の頬を彼の手が包み込む。






「……私はそんなに頼りないか?」




「?! いえ!とんでもございません」




「……言いたくないことは言わなくていい。だが……あまりにも辛そうな顔をしていたから、人に吐いた方がいいと思ったんだ」






 赤い瞳が真剣味を帯び、優しい声色のウィリアムの言葉が私の胸の内をそっと撫でる。じわりとその言葉が体に染み込み、一雫、二雫と瞳から涙か零れ落ちた。




 不意に腕を引っ張られ、視界は黒の布で埋め尽くされている。甘くて、それでいて爽やかな香りが鼻に抜け、私はそこで抱き寄せられたのだと理解した。




 両腕で私を離さないとでも言うように抱きしめる力を強くするウィリアムの胸板に、私はグリグリと額を押し付けた。この世に生を授かってから記憶する中で、初めて人前でこんなに大泣きしたと思う。彼は何も言わず、ずっと私の頭を撫でてくれていた。




 少しずつ涙が収まり、私は「もう大丈夫です」と体を離したが、また引き寄せられ泣いていた時以上に抱き締める力が強くされる。




 初めは困惑した。いつもの私ならばにっこりと仮面を顔に貼り付けて、難癖つけて引き剥がすだろうが、今の私は引き剥がす気力は無かった。寧ろ、彼の腕の中が心地よくて縋っていたくなる。




 私は黙って頬を擦り寄せる。とくんとくんと、少し速いウィリアムの鼓動が聞こえた。その鼓動が私の鼓動といつの間にかリンクする。私は少し恥ずかしくなって、でも少し嬉しくて、凄く落ち着いて、何とも表現し難い気持ちになったが、私の表情は泣いてはいなかった。




 私はゆっくりと彼から体を離し、ウィリアムの赤い綺麗な瞳に目を合わせる。






「ありがとうございます、殿下。殿下がいて下さって嬉しかったです」






 するとみるみるうちに、ウィリアムの頬が自身の髪と瞳の色と同色に染まる。そして、彼は自身の顔を覆うと何かを呟いて勢いよく顔を上げた。






「……こほん……そろそろ後半を捌き始めようか」






 ほんの少しの距離なのに私を席までエスコートする彼は生粋の王子だと思う。いや、もともと生粋の王子なのだが、性格までもがという事だ。




 そこからは先程の1幕が嘘のように私達は後半の執務を淡々とこなして行った。






 ☆☆






 月明かりのみが部屋に入る中、私はベッドに1人寝転がり今日の事を思い出す。




 泣いている時、ウィリアムの服を握り締めすぎて皺になってしまって申し訳無かった。今更だが、あの体制は少しどころか大いに恥ずかしい。最初に彼が人払いをしてくれた事に感謝する。




 執務を終えた帰りの馬車に乗り込む直前に、ウィリアムは私のプラチナブロンドの髪をひと房取ると、自身の唇を寄せて口付けた。そしてそこから髪を辿るように目を妖美に走らせ、私の瞳を掴む。




 夕日のせいもあって、いつもより色香が増した彼の笑顔に、不覚にも照れてしまいそうになったが、そこをぐっと堪えた。堪えきれなかった部分もあったかもしれないが、夕日のお陰で誤魔化しが効いただろう。




 今日は瞼が赤く腫れ上がっていたので、父も母もガリレオも侍女も何も言わずにいてくれたが、不安そうに心配そうに瞳が揺れていたのを私は見逃さなかった。






(心配かけてごめんなさい。けれど、何も聞かないでくれて助かったわ)






 薄れゆく意識の中で私はそう思い、眠りへと誘われた。




 瞼の裏に浮かんだのは――ウィリアム=シェナードだった。

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