2012.10.31有【最終章】07

 反論すべき言葉を教えてやる。それを読み上げろ。


 さながらそれは、脅迫文のようなものだった。

 脅迫文を作る際に、新聞や雑誌の切り抜きを使うような感じで、有の心の中で言葉がつなぎ合わされていく。バラバラで作られた文を読み上げるのは、ひとりの声ではない。

 父が、勇次が、聖里菜が、色んな人の声で教えてくれる。


「でも、ぼくは信じています。いまはダメだとしても、つらくても、それは最後の最後に笑顔でいられるための運命にたどり着くための途中でしかないって」


「だから、知ってる言葉をそれっぽくつなぎ合わせただけにしか聞こえないんだよ。どれだけの意味がある言葉かわかってるとは思えない。責任がないんだよ」


「風見さんのいうことも最もです。ぼくだって、突き詰めてどういう心理状態で言ったのか説明できませんもん。けど、僕の中から聞こえたから言葉になったんです。しかも、内側におさえておくにはもったいないと思った。誰かにきいてもらいたかった。それは多分、子供にでも価値のある言葉だってわかったからじゃないのかな」


「内側からの声? 誰の声が聞こえたっていうの?」


「家族とか、友達とか」


「なるほどね。背伸びしたような言葉が、自分の内側から聞こえるとき、それは誰かの声になってるってことか」


 弁当を食べながら、へへっと風見は笑った。


「なるほどね。ぼくにも、そんな頃があったんだろうな。だから、いま理屈じゃなくて感覚で理解できたんだと思う。切ないことに、そんな無垢だった頃の記憶は、いまじゃ思い出せないんだけどね」


 風見はため息をついてから、食事に戻る。食べて、のみこむ。体内に取り込んだものを、腐らせてから吐き出すように口を開く。


「いつからだろう。そんな声が聞こえなくなってきたのは? 間違ってることを間違ってるって、誰も教えてくれなくなった感覚だ。最近じゃあ、自分の声しか聞こえない。それが正しいと信じて突き進むしかない」


 美味しいものを食べながら、風見は舌打ちをする。


「なにも聞こえないだけじゃなく、なにも感じなくなってる。あいつが作った料理なのに、なにも!」


 かけるべき言葉が渦巻いていても、有は黙ったままだった。

 有には風見の感情がないまぜになっている理由が、まったくわからない。

 子供にはわからないだろうとたかをくくっているからこそ、風見はここまでさらけ出してくれたのだろうけれど。


 風見は箸を弁当箱の中に投げ入れた。暗闇の中でも、おかずの輪郭が見えた。残っているおかずを食べたら、もしかしたら風見の感情に触れることができるかもしれない。

 おかずを手でつかみ、有は口の中に運ぶ。食べてから、魚の揚げ物だとわかった。


「美味しいですね」


「どこがだよ? カレンの料理は、作りたてが一番だ。こんなもんで美味しいって言ってたら、カレンに怒られるぞ」


 カレンという名前に聞き覚えがあった。むしろ、見覚えもある。

 あつもり食堂で、名札を見て確認した名前だ。勇次とあずきと三人で座ったテーブルに、たくさんの料理を運んでくれた店員さんだ。


「たしかに、風見さんの言うとおりですね。あんなに美味しいものを食べたのは生まれてはじめてのことでした。いまにして思えば、世界が広がって成長したって感じです」


「どうしたんだ。有くん。昨日の君とはぜんぜんちがくないか? あれか? 病院を抜け出したときに、好きな子でもできた?」


「いませんよ。まだ、そういうの、よくわかりませんし」


「だったら肝に銘じときな。初恋はこわいぞ。ちょっと違ってたら、僕の運命も変わってた。いま食べてるこの弁当と一緒だ」


「初恋と弁当が一緒ってどういうことです?」


「この弁当はさ。もともとは、空飛ぶ魚定食っていう限定の刺身定食なんだよ。足の速い定食だ。カレンなら、客に『はやく食って』って文句を言いかねないぐらいのな」


 空飛ぶ魚定食。

 有が去って、勇次とあずきが一緒に食べたであろう定食が、そんな名前だった。

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