2012.10.31有【最終章】02
目的地の診察室にはすぐ到着した。
心の中で『これなら、休憩とらずに一気に目的地まで行こうぜ』と、勇次が文句を言ってきた。不意に聞こえた親友の言葉に、暗闇の中で有はひとり笑った。
診察室のドアは引き戸だ。
隙間ができた瞬間に女性の話し声が聞こえる。
「うわっ、うっさい」
「はよ、しめーや」
診察用のベッドの上で、聖里菜は寝転がっている。伸ばした足を横にスライドさせるように動かして、引き戸をしめろとジェスチャーをする。指示に従って有は扉を閉める。
外からの空気の流れが遮断されると、鼻を刺激する臭いが濃厚になる。
「なんか、消毒液くさいね」
「アルコールだよ、有くん。お酒、お酒。それはそうと、トリックオアトリート」
お菓子を持って近づいてくる女性が、一瞬誰かわからなかった。頭の中で、私服から看護服に着替えさせてから、七海だと気づく。
「その鞄の中に、例のものが入ってるんっすよね?」
「ああ、そです。どうぞ。七海さん」
鞄を手渡して、代わりにお菓子を受け取る。
封の切られたジャーキーを握りしめる有は、目で七海の動きを追いかける。
聖里菜に鞄を届けようとする道中、七海は車椅子の未来と丸椅子に座る楓の間を横切る。
楓は七海が視界に入っただろうに、気にもとめず大きな声で話しつづけている。
ろれつが回っていなくて、まったく意味がわからない楓の言葉を、未来は真摯に頷いて受け止めている。
「みんな、見てみ。社長からもらったええ酒やでー」
聖里菜が鞄から取り出したのは、大きな瓶だ。重たかったのも納得だ。病人を酷使しやがってからに。
「あんまり騒いで、怒られてもしらないからね。僕は巻き込まれたくないから帰るよ」
危機察知能力が働き、有はすぐさま撤退を決める。が、背後のドアが無常にも開く。
ドアを開けたのは、龍浪女医だ。
有にとっては、この病院で、一、二を争うほど苦手な先生である。
診察室でのバカ騒ぎに、有は無関係に近い。だから、ここで苦手な人から一目散に逃げてもよかったはずだ。
だが、この場にいない男たちの声が、有を突き動かす。
男として選ぶ道を進む。
「先生、ちがうんです。これは――」
龍浪の視界には有がうつっていないようだった。目の前にいても無視される。龍浪は扉を閉めてから、腕を組んだ。
「ちょっと、あんたらね!」
一番近くで、有は怒鳴り声を耳にする。こわいを通り越して、きょわい。
「私が仕事終わるまで待ってるって約束だったでしょ!」
龍浪の堅物なイメージが有の中で崩れていく。いつも、やんちゃする人に怒鳴り散らしているのに。どういうことだ。もしかして、仕事中は真面目を貫く必要があるため、目の前でやんちゃする相手を嫉妬していただけだったのか。
「先生が遅刻したのに、文句いわんといてくださいよ」
聖里菜が叩いた軽口に対して、龍浪は舌打ちをする。
聖里菜は勇次よりも龍浪に怒られた回数が多い。そんな天敵同士が、にっと笑いあう。
「酒」
手術中の外科医が助手にメスを促すような龍浪の口調だ。条件反射のように、七海が動く。聖里菜から瓶を預かって、検尿用のコップに酒をついでいく。
たとえ新品のコップだとしても、有はあれで飲むのが嫌だと思った。歩んできた人生の経験値が、大人の女性達と有では差がありすぎるようだ。
お子様は帰ろう。
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