2012.10.31疾風【最終章】01
病院直前の赤信号に引っかかり、MR2を停車させる。疾風はステアリングから手を離して、腕を組んだ。
「あー、不完全燃焼だ。今日の夜は、久しぶりに峠攻めねぇと、寝るに寝れねぇぞ」
助手席の有はエチケット袋を握った状態で、引きつった笑みを浮かべる。
「もしかして、さっき以上に車を速く走らせられるんですか? ほんとに?」
「たりめーだろ。なんだかんだで昼間のガチだからな。車がほぼ走ってない峠なら、ライン取りももっと自由にできるから、今の比じゃねぇ。レコードラインしか通らねぇからよ。それに、セッティングも高速コーナーで変なアンダーが出るようになってたし、やっぱり現役時代よりもブランクが」
「疾風さん。信号が青になりましたよ」
「おおぅ、ありがとう」
信号機の変化に気づかないほど、ぼやいてしまった。発進時の半クラ操作も失敗しそうになって、エンジンが停止しかける。思った以上に、自信をなくしている。
有の反応が、いまいちだったせいだ。
疾風がそこそこ本気で車を走らせれば、同乗者はゲロを吐いたり、死を覚悟したりするのが常だった。本人的には安全運転のつもりなのに、その反応をされるのは心外。であると同時に誇りでもあった。
なのに、有はどうだ。
ビビった様子が微塵もない。つまり、それだけ運転技術が衰えているのではないかと不安になる。
「疾風さんが夜道を走らせる車の助手席に、ぼくも乗ってみたいな」
「上等ォだ。退院したら、乗せてやるよ。約束な」
その時までに、最速運転の勘を取り戻さねばと疾風は決意する。いまもアクセルを踏み込みたいのだが、さすがに駐車場内では暴走しない。
徐行運転につとめる。
「わかった。楽しみにしてます」
「楽しみにしてくれるって。有くんにも走り屋の素質があるかもな」
「素質なんてありませんよ。だって、自分で運転するのは、想像するだけでこわいです。でも、疾風さんは安心できるんです」
「さっき会ったばっかりなのに、安心か。もしかして、誰かから俺の話を聞かされてたりするの?」
「うーん、どうだったかな。勇次くんや守田くんも言ってなかったと思いますよ」
じゃあ、里菜ちゃんは? と聞こうとして、疾風は言葉を飲み込む。墓穴を掘るところだったと、額にかいた汗をぬぐう。
「だって、疾風さんみたいなキャラの濃い人はUMAの目撃情報と同じで、一度きいたら印象に残ると思いますから」
「だとしたら、有くんは人を信頼する素直でいい子ってことか」
「素直でいい子が、病院を抜け出すと思います?」
「思うよ。それにさ、耐えられなくて走り出して、男は成長するもんだ」
疾風は経験に基づいた話をしている。
速く走ることに集中するとき、日常のどうでもいいことは置き去りにできる。目の前の今だけに向き合う。
それ以外を排除しなければ運転操作を誤って即死するギリギリの世界。
死んで終わるのが嫌ならば、日常とはかけ離れたスピードの中で、成長すればいい。
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