2012.10.31 疾風④ 03

 すれちがいざま、勇次が朱美に向かって会釈する。

 その程度には礼儀を覚えたのかと成長を感じた。

 朱美は助手席ではなく、運転席のほうに近づいてくる。窓を開けるためにエンジンをかけるのも面倒で、ドアを開ける。


「なに、嬉しそうに笑ってんのよ? 前歯が出てるわよ」


「チンコが出てるよりは、マシだろ」


「弟分にチンコを見せびらかして性欲の処理するような生活してんだったら、あたしが責任もって抜いてあげるから言いなさい」


「あのな、そういう世話をさせるために勇次らの面倒みてるわけじゃねぇからな」


「わかってるって。焦ったら、余計に怪しいわよ。股間おさえてるし、あんたマジで?」


 ズボンの上に手を伸ばしてくる。股間の上に隠していたサングラスが、朱美に奪われる。


「それ、返してくれるか? 大事なもんなんでな」


 朱美がプレゼントしてくれたものだ。世界を朱く染めるだけでなく、視力の矯正もしてくれる。度入りの赤いサングラス。


「シップーの好きなチキン南蛮がうまそうだったのに、軽く食べていくのも無理そうね」


「ちゃんと会釈ができるようになった弟分への、褒美の意味もあるからよ」


「成長を喜ぶのは勝手だけど、あの子ついさっき喧嘩してたわよ。あたしが弁当の注文が終わるまでの短い間に、はじまって終わってたけどね」


「マジかよ。あいつ」


 本人のいないところで褒めたとたんに、これだ。疾風は呆れて頭をかかえてしまう。


「ほら、顔から手をはなしなさい。サングラスつけれないでしょ」


「そーいうのいいから。自分でやるから返せよ」


「ん? 本気って言ったから力になってあげてるんでしょ」


 おっしゃるとおりでございます。

 情熱乃風のリーダーに勝ったときや、他の格上相手のレースで勝ったとき、いつも朱美がサングラスをつけてくれていた。


「先に言っとくけど、助手席には乗れねぇぞ」


「そりゃね。ひとりで走ってるときが、最速の川島疾風だもんね。よっ、風神! MR2の赤グラサン!」


 ふざけた返しを用意はできず、疾風は苦々しく微笑んだ。


「そうじゃなくて、助手席に乗せる奴がいるだけで」


「それも、わかってるわよ。逃げてきた患者を病院に戻すんでしょ?」


「どこで話きいたんだよ。すれちがいざまに、会釈だけじゃなくて、まさか話し込んで」


 そして、風俗嬢のもものこととかも話されたりしてたとか。あの一瞬で、まさか?


「店内にリーダーの病室で見かけた子がいたからさ。そうじゃないかと思っただけ」


 朱美の視線を追っていると、車内から店内が見える。後ろ姿しか見えないが、子供と勇次の理解者の女性が確認できる。

 疾風にとっての高校時代からの理解者は、目の前で弁当の入った袋を差し出す。


「じゃあ、お弁当だけはリーダーにちゃんと渡しといてね」


「待てよ。朱美を迎えにくる都合があるから、そんときでいいだろ」


「気にしなくていいよ。こっちは、どうとでも帰れるから。もういい大人なんだよ?」


「俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて」


「じゃあ、なに?」


 反射的に、口からついて出ようとする言葉を疾風は押し込んだ。

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