2012.10.31 有① 05
衝撃に押し出されるように、有の体が動く。
逃げ出す。
背中から
「有!」
という叫び声と、缶が地面に落ちる音が聞こえた。
振り返ることなく、全力で走る。
こんなにも速く自分の手足が動くのかと感心した。
それでも、ベッドの上で過ごすことが多い体では、精一杯の底がしれている。そもそも聖里菜との年齢差もあるので、向こうが本気で追いかけてくれば、すぐにでも捕まえられるだろう。
走り始めてすぐに足がもつれそうになる。
もうだめだ。息も切れている。
はぁはぁと荒い呼吸を整えながら、駐車している車と車の間に身を隠す。
それにしても、隠れるには適していない車の傍で足を止めてしまった。ただでさえ目立つ赤い色。
それだけでなく、車高も低い。二人乗りのスポーツカーだ。
見つかるのも時間の問題のような気がした。
ならば、追いかけてきた聖里菜に向けるべき表情は、どういったものにすべきか、いまのうちに考えておこう。
どうせ父と同じ病気で死ぬのだから、どんな聖里菜でも受け止めるべきだったのだろう。後悔する一方で、死ぬのが決まっているのならば、秘密を知らないままくたばりたかったとも思った。
自分の都合ばかりを考えているのは、わかっている。
聖里菜がアダルトビデオに出演してまでお金を稼ごうとしているのは、有の入院費を稼ぐために決まっている。
足でまといだ。
自分のことが嫌になる。
こんなひ弱な自分ならば、簡単に死ねる。もう少し走っただけで、息が止まるに決まっている。
再び走り出した。
姉から離れることが、息苦しさを感じるのに直結している。
必死になって走るのは、とても苦しい。
苦しさの先に死が待っているのだとすれば、最悪だ。
やっぱり、死にたくない。
いやだ。こわい。
死ねばもう話せないことを、父は身をもって教えてくれた。
そして、生きることの素晴らしさを教えてくれたのも、他でもない父だった。
父は死後も、いくつもの言葉を有に届けてくれている。
『JK』という謎の差出人の力を借りて、毎週決まった曜日に、有のもとに手紙が送り届けられている。
死んだはずなのに、たくさんのことを手紙で語ってくれる。
手紙の中で頻繁に登場する『UMA』というオカルトチックな存在を話のネタにしながら、父はいつも大事なことを教えてくれる。
いいか、有。
凝り固まった考えを捨てて、自分で見たものを信じろ。それが、生きることだ――
父の残した言葉が、有の背中を押す。
聖里菜が語ったことは、果たして真実なのか。
確かめる前に納得するのは、マヌケだ。
タイミングよく、病院のバス停からバスが出発しようとしている。
あれに乗り込んでレンタルビデオ屋に行けば、真実に近づける。
間に合わないかもしれないが、走り続ける。諦めなければいいことがあると、父は言っていた。
あなたを信じて良かったです、お父さん。
年寄りが乗車に手間取っている。
肩で息をしながらも有が手を貸すと、おばあちゃんは「ありがとう」と言ってくれた。呼吸が乱れていてなければ、有の方からも感謝を伝えていただろう。
有を乗せてバスが出発してくれる。
老人を優先席に座らせてから、有はバスの最後尾に向かう。
走った疲れが足に来て、出発したバスの車内で転びそうになってしまった。
走り続けたことで、疲れ果てている。心臓も口から飛び出そうだ。
苦しい。だからこそ、生きているのを実感する。
案外、死ぬのは難しいのかもしれない。
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