2012.10.31 疾風① 01

「今日も彼氏はお見舞いに来てくれない。

 楓は入院してるんだよ。

 普通なら、来るんじゃないの。

 楓にとっては、彼がすべてなのに。

 なんで、なんで、なんでなの!」


 なんでと言いたいのは、川島疾風も同じだった。

 なんで女子中学生のえげつないぼやきを聞きながら、バナナを食べているのだろう。


「ああ、死にたい。死にたい。死にたい。へへへ。でもね、ほんとはわかってるんだ。どうせまた自殺しても失敗するに決まってるって」


 入院中の桐原未来から、大好きなバナナをもらったのに、疾風は満面の笑みにはなれない。バナナを一本食べ終えても、苦笑いを浮かべるのでやっとだ。

 この四人部屋の病室では、いまのところ仕切りのカーテンが全開になっている。

 丸椅子に座る疾風を挟む形で、未来と楓は真面目な話を続ける。


「落ち着いてください楓さん。そんな後ろ向きな発言は控えたほうがいいですよ」


 いや、別にいいじゃんか。ガキには言わせておけよ。

 疾風はそんなことを言いそうになってしまうのをグッと我慢した。茶々を入れて、会話に参加すれば面倒なことになるだろう。口に食べ物を突っ込んでおいて、無理にでも黙っておこう。

 新しいバナナをもらえれば完璧だ。


「ほら、お見舞いに来られないのにも、なにかしらの事情があるのかもしれませんし」


「ちがいますね。嫌われてるだけだし。そうに決まってる。決まってるの」


「わかりませんよ、そんなこと。だいたい、今日は平日ですし、放課後に寄ってくれるかもしれませんし」


「ないない、有り得ない。ハローウィンにかこつけて、放課後ナンパする可能性はあっても。わざわざ、楓に会いにくるなんて考えられない」


 バナナをもらおうと疾風はフルーツ籠に手を伸ばす。すると、籠ごと未来に取り上げられてしまう。

 かつて走り屋グループのリーダーだった未来は、疾風を見つめてくる。

 睨んでいる訳ではないのに、有無を言わせぬ力強さがある。


「疾風はどう思いましたか? 私よりも的確な意見を述べれると思うのですが?」


 どういう思考を経て、そんな結論を導き出したのだろう。

 思い返せば、いつもそうだった。


『ダウンヒルは、とりあえず疾風に任せておけば、なんとかなる。朱美さんもそう思いますよね』

『うん、大丈夫。シップーなら余裕ですよ。嫁のあたしが保証します』


 若い頃の疾風は、リーダーの未来と彼女の朱美からの無茶ぶりを完遂してきた。峠のレースで実力以上の力を出し続けてきたのが、いまとなっては懐かしい。

 今日は朱美不在だから、なんとかならないかもしれない。

 それでも、可能な限り期待にはこたえてみよう。


「そうですね。リーダーの言うとおりだと思います」


 一応は答えたので、バナナをくれと手を伸ばす。

 だが、未来はそんなに甘くない。


「なるほど。いまのてきとうな回答をきく限りでは、私たちの話をきいていなかったのは明らかですね。あなたは、昔からそうです。また正座をしてもらいましょうかね」


「はい、すみません」


 従う。

 未来に怒られたら正座をするのは、疾風の体に染み込んでいる悲しい習性だった。丸椅子から降りて、床に直接正座をする。ズボン越しとはいえ、膝から下が冷たい。

 中学生女子の視線が痛い。

 女性にいいように扱われる成人男性をみつめて、あからさまに見下しているようだ。


「とにかく、ギンギンは、あたしよりも自分の『夢』のほうが大事なんですよ」


 禁句ワードを中学生が口にした。

 安易に夢を語ってはいけない。どんな小声で話しても、未来なら聞き取ってしまう。

「お言葉ですが、楓さん。口ぶりから察するに、あなたには、夢がないのですか?」


「ないわ。それに、いらない」


「どうしてですか? 素晴らしいですよ」


「どこが? そんなのに憧れるのなんて、馬鹿げてるじゃない」


 正座をしている膝下よりも、腹の底が冷たくなる。

 だめだ、楓ちゃんとやら。

 やめておけ。

 それ以上、未来を刺激してはいけない。

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