2012.10.31 風見① 03

「まだ、わたしが誰かわかっていないみたいですね。

 そんな記憶力では、カレンさんが来てもわからないのではないですか?」


「君がカレンじゃないってことはすぐにわかったんだから、心配される筋合いはないね」


 挑発的な笑みを浮かべながら、名前の思い出せない女性は口を開く。


「そのカレンさんを助けたときの借りを返していただきたいと片岡が言っています」


「片岡? 片岡潤之助か?」


 自分が抱いた女性に手を出す男がいたら許さないというこだわりを持つ男だ。

 風見が苦手としている相手でもある。


「てことは、君は片岡さんの使いのものか? むちゃくちゃ気が滅入るんだけど」


「詳しい仕事内容につきましては、退院後に打ち合わせをしたいと申しております」


 風見が頭を抱えても、片岡の使いは同情してくれない。

 相変わらずの淡々とした口調で、虎視眈々と他者を利用する片岡の代弁者としての任を務める。


「ちょっと待ってよ。拒否権はないのかな?」


「以前と同じ方法で、片岡とは接触できます。覚えていますよね?」


「ああ、覚えてるよ。都市伝説のアレだろ。ベントラベントラっての。でもさ」


「では、わたしの話は以上です。残り短い入院生活を楽しんでくださいね」


 女性は立ち上がり、丁寧なお辞儀をする。再び顔を上げたときに、彼女は風見を見つめて目を丸くしている。


「どうして、そのような表情なのですか? まだ、なにか不服がありますか?」


「ありありだよ。どんどん話を進めるのは、やめてって。ボクは退院後の人生をカレンが来るかどうかで決めるつもりなんだから」


「自営業の身分でわがまますぎませんか? 退院後に仕事があるのに、文句を言われる筋合いはありません」


「だから、いまの仕事を続けるかどうかも、決めかねてるんだよ。カレンが来たら、もう危険なことはやめようと思ってる」


 仏頂面のまま、片岡の使いはベンチに座りなおした。


「興味深いですね。そんな約束をされているのですか?」


「いや、してない。自分ひとりで賭けをしてるってところだから。ボクがいわゆる普通になれるかどうかの勝負だ」


「自分の未来を他人の行動で決めるなんて、バカですよ」


「わかってないね。バカにならなきゃわからないこともあるんだよ」


「男の身勝手さを感じますよ」


 きつい物言いとは裏腹に、女性の雰囲気は柔らかくなったように感じた。

 よく見れば、いつの間にか、堅苦しいスーツのボタンをひとつ外している。


「そういえば、いま思い出しました。

 生きててくれてありがとうとカレンさんに言ったのは、ほかでもないあなたでしたね」


「そんなことも伝えてたかな。まぁ、中学の時の悔しさが、いまのボクをつくってるようなもんだから、カレンに言ってたとしてもおかしくはないかもね」


 生きててくれて、ありがとう。

 どこでなにをしていても、カレンが生きているだけで希望になる。


 初恋の女の子のように、海に帰られてしまっては、風見を満たすことはできなくなるのだから。

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