3章 アリシアの作戦 その4

 王城自慢の庭園のひとつで今、茶会が始まろうとしていた。

 薔薇の蔓絡まるガゼボの外に待機していた侍女たちが、物音を立てることなくお茶の準備を行う。最初はレースのテーブルクロスが掛けられ庭園の花を生けた花瓶があるだけだったテーブルに、茶器、カトラリー、茶菓子、指を洗うためのボウルなどが次々に運ばれる。

 だが、華やかになっていくテーブルの上とは対照的に、ガゼボに集まった女性たちの間にはえも言えぬ空気が漂っていた。

 集まっている女性の数は、十五人程度。かなり大きめのガゼボなので、籐のクリノリンで膨らませたドレスを着ていても十分座席に余裕がある。大半は独身だが、茶会の主催者は未亡人、そしてその隣で目をきらきら輝かせている女性は唯一の既婚者である。

「本日はわたくし、アリシア・スチュワート主催のお茶会にお越しくださり、ありがとうございます」

 主催者であるアリシアは立ち上がり、朗々と挨拶をした。本日のドレスはアリシアもお気に入りの、若草色のスレンダータイプ。髪はきっちりと結って生花で飾っており、隣に座るカレンとおそろいのストールを纏っている。

 令嬢たちは、アリシアの挨拶を聞いて目線を上げた。だがその眼差しは緊張を孕んでおり、アリシアの意図を探るかのようにその姿を凝視している。

(……まあ、警戒されても仕方ないわね)

 アリシアは内心苦笑し、着席した。侍女たちがカップを温めるために入れていたお湯を捨て、洗練された動作で茶を注いでいく。きっと招かれた令嬢たちは緊張しているだろうと、アリシアは緊張緩和効果があると言われる花の茶葉を準備していた。

 ガゼボ内に甘い花の香りが漂うと、令嬢たちもほんの少しだけ肩の力を抜いてくれたようだ。

「……本日はお招きいただき感謝します、アリシア様」

 そう述べたのは、アリシアの正面に座る金髪巻き毛の美女だ。

 彼女は公爵家の令嬢。この茶会に招かれた令嬢の中でもっとも身分が高いので、彼女が皆を代表して挨拶を返すことになっているのだ。

「まずはわたくし、クリスティーナ・サムエルが皆を代表し、お礼を申し上げます。陛下の右腕としてご活躍されているアリシア様にお招きいただけたこと、光栄に存じております。是非とも、陛下のお話を伺いたいところですわ」

(まあ……積極的でとてもすばらしいお方だわ)

 客の方から本題に切り込んでくれたため、アリシアとしてはありがたい限りだ。アリシアはあくまでもホスト側の立場。好奇心丸出しで目を輝かせるカレンと違い、ひとまずのところ感情を抑えて令嬢たちをもてなさなければならない。

 アリシアは公爵令嬢クリスティーナに微笑みかけ、テーブルの上で出番を待っている茶や菓子たちを手で示した。

「どうぞ召し上がってくださいな。……女官としての仕事を始めて一年ばかりの未熟者ですので、皆様のご期待に添えるようなお話ができるか分からないのが心苦しいですね」

「アレクシス様の寵妃というご身分でありながら、あえて女官の道を選ばれたというアリシア様のご決断には、わたくしたちも驚いたものです」

 別の令嬢もすました態度で言った。彼女は、アリシアとほぼ同列の侯爵家令嬢。だがスチュワート家と違って没落していないという立場の違いがあるため、アリシアに対して突っ込んだことを聞いてきてもおかしくはない。

 その令嬢はほっそりした指先で茶菓子をつまみ、やや芝居がかった仕草でため息をついた。

「巷では――その、陛下とアリシア様についてはしたない噂をする者もおりまして、わたくしも心配しておりましたの」

「まあ……。それはどんな噂でして、マーガレット様?」

 アリシアの代わりにカレンが突っ込んでくれた。他の令嬢たちも、好奇心を隠せない様子で侯爵令嬢の顔を見ている。

 侯爵令嬢マーガレットは注目されたのが嬉しいのか話ができるのが嬉しいのか、それまでの浮かない表情を瞬時に引っ込めた。

「ええ、ええ。それが……アリシア様が王城に残られたのは、その――陛下のご寵愛を得て、今度こそ王妃になるためではないかと言われていますの」

 なんということだ、とアリシアは目を見開く。

(その噂なら、もう既に何百回と聞いているわ!)

 先代国王の寵妃でありながら夫の死後も王城に女官として留まるアリシアに対して、「王妃の座を狙う意地汚い女」と陰口をたたく者は一年前から一定数いるし、アリシアだってよく分かっていた。

 それは令嬢たちも同じのはずなのに、彼女らはまるで生まれて初めて聞いたかのように驚いた様子で、目を輝かせてマーガレットに詰め寄った。

「まあ! なんてはしたない噂を!」

「そのような根も葉もない噂を流すなんて、どこの礼儀知らずでしょうか!」

 そのような噂に嬉々として飛びつく令嬢たちもはしたないのではないか、とアリシアは思うが、胸の中だけに秘めておいた。

 マーガレットは頷き、ちらっちらっと思わせぶりな視線をアリシアに向けつつ続ける。

「おそらく、アリシア様のご活躍を妬む者の仕業かと――アリシア様、どうかお気になさらないでくださいませ。このような噂、すぐに立ち消えますからね」

 彼女から気遣い――に見せかけて興味津々の眼差しを向けられたアリシアは、ふーっと細い息を吐き出した。

(なるほど。要するに、噂の真偽を私に確認しているのね)

 思わず笑みがこぼれそうになった。

 この令嬢たちは非常に素直で、感情の変化が分かりやすい。本人たちは平静を装っているつもりなのかもしれないが、言葉の選び方や声の調子、目線にその思わくはにじみ出ている。

(いつも無表情で感情を読むのに苦労する官僚たちと比べれば、なんてことないわ)

 アリシアは紅茶を一口啜った。侍女が丁寧に淹れてくれた紅茶は甘く、花の香りがアリシアの心を穏やかにしてくれる。

「ええ、わたくしもそう思います。……ちなみに皆様は、どのような女性が陛下の王妃にふさわしいとお考えでしょうか?」

 これならいけるだろう、とアリシアが尋ねると案の定、令嬢たちは目を輝かせて口々に意見を述べ始める。

「そ、そうですわね……まずは若さでしょうか」

「そうそう、陛下は御歳十七。これから先御子を産むことを考えれば、同じか、若いくらいがよろしいのでは?」

「陛下の隣に立つのですから、やはり容姿もものを言うでしょう」

「陛下との相性はいかがでしょうか? これから正妻として生涯にわたって陛下をお支えするのですから、陛下がお気に召してくださる者でなければ」

「あとは……実家、でしょうか」

「陛下はまだお若い上、唯一のご親族であられたアレクシス様も亡き今、頼れる存在が必要でしょう」

 なるほど、とアリシアは頷く。隣では、すました顔のカレンがテーブルクロスの下でメモを取っていた。どうやったら、手元を見ずに高速でメモを取ることができるのだろうか。

「そうそう。ですから陛下と年が離れていれば……ねぇ?」

「そうそう。後ろ盾がある女性でないと……ねぇ?」

 他人事のように言っているが、どう考えてもその言葉の矛先はアリシアに向いている。

 若くもなく、後ろ盾もなく、しかも未亡人というアリシアでは王妃になれない。自分たちの方がふさわしい――と主張しているのだろう。

 うんうんと頷きながら互いの話を聞いていた令嬢たちはふと、先ほどから黙りのアリシアの方を見――はっ、と息を呑んだ。

 アリシアは俯き、小刻みに肩を震わせていたのだ。まるで、自分があてこすられたと気づいて怒りに震えているかのように。

 いけない、調子に乗りすぎた、と令嬢たちが後悔しても遅い。

 さらさら――というカレンがペンを走らせる音以外、何も聞こえない、しばしの空白。

 そして――

「……皆様の、おっしゃる通りですわ!」

 歓喜に震えるアリシアの声が、ガゼボに響き渡った。

 その表情は本日の空のように晴れ渡っており、緑色の目はきらきら輝いている。

 アリシアが怒るか泣くかするのではないかと怯えていた令嬢たちは、予想を裏切る反応を見せたアリシアにあっけにとられている。そんな中、アリシアは自分の胸元に拳を当ててきりっと眼差しを引き締めた。

「まさにその通りです! 陛下がお妃に迎えるべきなのは、若くて、美しくて、強力な後ろ盾を持ち、陛下を日常面でも精神面でもお支えすることのできる女性! わたくしのように、どうせ作業用だからと同じドレスを着回しし、床に座り込んで廃棄書類を紐で束ね、特訓後の陛下にタオルを渡そうと汗くさい騎士団詰め所に平気で乱入する女ではないのです!」

 言いながら頭の中を駆けめぐるのは、女官として働いたこの一年間の記憶。

 最初の頃はお嬢様生活気分が抜けきらなくてまごまごしていたのだが、そんな恥じらいは一月もすればすっかり消え去った。

 ジュリアンが待っていると聞けば汗と泥と熱気に満ちた騎士団詰め所にも突撃するし、床に這いつくばってクローゼットの下に落ちた書類を拾うし、執務室に虫が湧いたらジュリアンが帰ってくる前にレイバンと一緒に始末するし、ジュリアンとの舌戦に疲れた大臣の背中をマッサージする。

 普通の女官の仕事だけではなく、レイバンと一緒に雑用に走っていた一年間だった。おかげさまで、ふっくらもっちりしていた肌は引き締まったし、少々の荒事にも冷静に立ち向かえるようになったものである。

 アリシアの魂の演説を聴いた令嬢たちは、きょとんとしている。彼女らもまさか、元寵妃がそんな仕事をしているとは思わなかったのだろう。

「……それは、使用人の仕事ではないのですか?」

「そうかもしれませんが、わたくしが率先して行っているのです」

 一人の令嬢による的確な突っ込みを受けても、アリシアは堂々たる態度を崩さない。

 アリシアが行動すれば、ジュリアンが喜ぶ。彼が負うはずだった苦労を一つでも減らし、睡眠時間を少しでも増やし、使用人を呼ぶ手間を省き、仕事に専念できるようにする。

「ありがとう。助かったよ、アリシア」の言葉と柔らかい笑顔をもらえるだけで、アリシアの苦労は報われるのだ。

(でも、これらは女官――臣下の仕事であって、王妃になるべき女の仕事ではないわ)

「わたくしの目標は、これからも女官として陛下にお仕えし、その治世をよりよきものにできるようお手伝いすることです」

「……しかし、陛下とアリシア様は大変懇意になさっていて、陛下がアリシア様に絶大な信頼を寄せられているのは確かでしょう?」

 そう疑わしげな眼差しを向けてくるのは、例の公爵令嬢クリスティーナ。アリシアが口先では「仕事が大事」と言いながら、実はジュリアンと思いを通わせているのでは――と疑っているのだろう。

 アリシアは晴れやかな微笑みを浮かべて頷いた。

「陛下から信頼を受けているのは喜ばしいことですが、それは臣下としての信頼に留まります。皆様もご存じの通り、わたくしは元寵妃というだけで皆に誇れるような身分を持っておりません。スチュワート侯爵家は名ばかりですし、数年前に失踪した兄ダミアンの名もまだ貴族年鑑から削除されておらず、彼がわたくしの身内であることにも変わりありませんもの」

 エンブレン王国の貴族年鑑から名前を削除するには、かなり面倒な手続きが必要なのだ。よほど悪質な前科があれば即刻削除されるが兄は事業に失敗した程度で、しかも本人は削除願いを出さず逃亡している。生死不明の場合も、名前が自動的に削除されるまで五年掛かる。

 よって、兄ダミアンが逃げて久しいが未だに彼は戸籍上、アリシアの兄なのだ。犯罪者とまではいかずとも、事業に失敗して尻ぬぐいを妹に任せたっきりの者が身内にいるなんて外聞が悪すぎる。この点に関しては、「地に墜ちたスチュワート家」とネチネチ言ってくるホプキンスの言う通りである。

 アリシアの言葉に、令嬢たちは居心地悪そうに視線を逸らした。彼女らもスチュワート侯爵家の顛末は知っているし、場合によってはアリシアを王妃の座から遠ざけるためのネタにするつもりだったのかもしれない。だが当の本人があっけらかんと話すものだから、逆に気まずくなってしまったのだろう。

 しばらく、お茶会の場に沈黙が流れた。蚊帳の外であるカレンだけは、重苦しい空気に構うことなく茶菓子をぽいぽいと口にしては「あ、これおいしい」と感想を述べている。おかげでアリシアも場の空気に潰されることなく、平静を保つことができた。

「……本気、ですのね」

 やがてぽつんとクリスティーナが呟いたため、菓子のバターで汚れた指先を洗っていたアリシアは、しっかりと頷いた。

「はい。陛下の専属女官として、最高のお妃様を迎える手伝いをいたします」

「何か計画でもおありなの?」

 マーガレットが目をらんらんと輝かせて身を乗り出してきたため、アリシアはにっこりと微笑みかけた。

「はい。陛下は即位一年ということで毎日ご多忙で、皆様が陛下と見える時間もほぼなかったことでしょう。しかしこれでは、陛下が自国内の優秀なご令嬢との接点を持つ機会が少なくなってしまいます」

「あなたがその場を取り持ってくださるとでも?」

「おっしゃる通りです。わたくしは陛下のスケジュールの管理もしております。陛下のご公務に支障を来さない程度に時間を調整し、皆様との交流の場を設けようと考えております」

 言ってしまえば、お見合いのセッティングである。

(お見合いのためだけ、と言うと陛下も大臣たちにも渋い顔をされるかもしれない。でも、令嬢たちだって貴族の娘。自分が有利になるような材料をそろえた上で、お見合いに臨むはず)

 もし国王と一対一で話ができる場を設けられるとなれば、彼女らは父親に相談するだろう。うまくいけば自分が外戚となれると知った父親や親戚たちは、娘に様々な「武器」を持たせるはず。

 それは他国との貿易だったり、商会との繋がりだったり、自領土の名産品や文化だったり。

 お見合いの場であり政治の場でもあるとなれば、ジュリアンや大臣、官僚たちも無下にはできないはず。ジュリアンも自国の発展の材料を得られるかもしれないとなると、真面目に取り組んでくれるだろう。

 アリシアの予想通り、令嬢たちはきりりと表情を引き締めた。ただ単に色香で迫るだけではジュリアンは落とせないと分かっているのだ。

 家族の協力を得ながらジュリアンを魅了できるだけの「武器」をそろえなければ――彼女らの目はそう語っていた。

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拝啓陛下、2度目の王妃はお断り! 藤咲実佳 /角川ビーンズ文庫 @beans

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