3章 アリシアの作戦 その2

 カレンの行動は早かった。

 数日後には、レイバン便でカレンから書類の束が届いた。

「何、あんたら、俺に内緒でおもしれぇことを企んでんの?」

「非協力的なレイバンには教えません」

 封筒の中を覗き込んでこようとするレイバンをかわし、アリシアは書類を鞄の中に収めた。

「管理をお願いね。ただし、勝手に中を見たら怒るわよ」

「はいはい、お嬢様の仰せのままに」

 口では不満たらたらなレイバンだが、アリシアが預けた鞄をちゃんと金庫に入れてくれた。アリシアの手荷物を管理するのも彼の仕事なので、ぬかりはないのだ。

 まもなく、ジュリアンが執務室に現れた。もうじき本日の始業時間だ。アリシアとレイバンはそろってお辞儀をし、ジュリアンを迎える。

「おはようございます、陛下」

「おはようございます。ご機嫌麗しゅう存じます」

「ああ、おはよう、二人とも。今日もよろしく頼む。そしてレイバン、さっき君が絡んでいた女性には既に僕が狙いを付けているということ、肝に銘じておくように」

 そう言うジュリアンの口元は笑みを形作っているが、目は笑っていない。

 噛みつかれたら厄介だと気づいたのか、レイバンはひらひらと手を振って頷く。

「了解です。いやぁ、陛下の執着愛は怖いですねぇ」

「言っていろ」

 ふんっと鼻で笑い、ジュリアンは席に着いた。白いシャツはのりが利いており、襟と裾に銀色の刺繍が施された黒のベストにも塵一つ付いていない。いつも通り額で分けた前髪にも乱れがなく、眼差しもきりりとしている。どちらかというとアリシアは寝起きがよろしくない質なので、朝からしゃきっとできるジュリアンが羨ましかった。

 そう思いながらジュリアンの顔を見ていたからか、引き出しから書類を出した彼と視線がぶつかってしまった。

「……どうしたんだい、アリシア。僕に惚れちゃった?」

「……年上をからかうものではありませんよ、陛下」

「からかってるんじゃなくて口説いてるんだよ、おねーさん?」

「くっ……!」

 このままではジュリアンのペースに呑まれてしまう――と内心焦ったところで、いつもの官僚が隣の部屋から始業時間を告げてくれた。

(助かったわ……!)

 仕事が始まったならば、ジュリアンもアリシアも私情を挟むわけにはいかない。

 咳払いをして自分の席に向かったアリシアだがジュリアンはなおも薄く笑っており、一部始終を観察していたレイバンも「見ててほんと飽きないわー」と呟くのだった。


 エンブレン王国王城勤めの女官の仕事内容は、主に書類整理、手紙の代筆、お茶汲みに客の接待などである。独身令嬢の行儀見習いとして、侍女と並んで人気がある。

 そういうわけで女官といえば、華やかで女性らしいきれいな仕事――と思われることが多い。実際、アリシアもそう考えていた。

(でも、そうもいかないわよね)

 アリシアの仕事は、執務室で手を汚すことなくできるものばかりではなかった。半分「国王のための雑用係」のような立ち位置であり、花壇の手入れや蜘蛛の巣掃除、汗くさい騎士団詰め所へのお遣いなど、なかなかの肉体労働だった。

 そしてアリシアは、法案検討会や企画会議にも積極的に顔を出すようにしていた。

 ジュリアンの秘書的立場としてはもちろん、ひとりの発案者として会議に臨むことも多い。アリシア本人は弁舌などが得意な方ではないが、祖国をより豊かにするためであれば苦労も、苦手な分野に挑むことも厭わないつもりだ。

「……ということで、国民学校の図書館には学術書だけではなく、子どもの情操教育に役立ちそうな図書の採用も進めるべきだと思います」

 現在構想中の国民学校に関する議論でアリシアがそう述べると、ジュリアンは目を細めて興味深そうに資料を眺めた。

「……なるほど。これまでは子どもたちに知識を身につけさせることを最優先していたのだが、豊かな心を育むためには、これまでにない分野の図書も採用するべきだということか」

「はい。もちろん、図書選定のための人員配置や図書収集方針の改定などに取り組む必要はございますが、エンブレンの未来を担う子どもたちが幅広い知識を身につけ、活用し、想像力を養えるようになるためには有効な方法かと存じます」

「君の意見は分かった。アリシア・スチュワート。……さて、彼女の発案に何か意見は?」

 ジュリアンが促すと、官僚や大臣たちから次々に質問や改善点、補足事項などが発言される。ほとんどがアリシアの想定内だったのでなめらかに切り返し、検討の余地がありそうなものは持ち帰る旨を伝えた。

(なかなかの手応えだったわ!)

 会議を終えた後、アリシアは軽い足取りで会議室を後にした。すれ違った官僚たちからは、「なかなか興味深い発案だった」「試してみる価値はあるかもしれない」と言葉をもらい、淑女らしい笑顔でお辞儀を返した。

「……ずいぶんと出しゃばっているようだな、アリシア・スチュワート」

 廊下の角を曲がったとき、愛想のない声で呼びかけられたアリシアは瞬時に笑顔を引っ込め、こっそりと嘆息した。この声には聞き覚えがありすぎる。

(……まあ、突っかかってくる気はしていたけれど)

「……ごきげんよう。先ほどの会議ではお世話になりました、ホプキンス様」

 鉄壁の笑顔で振り返ると、そこには予想した通り、痩身の男性官僚の姿があった。

 眼光鋭くアリシアを睨みつけてくる彼の名は、ジェローム・ホプキンス。痩せぎすのためフリーサイズのはずの官僚服はぶかぶか。官僚の一人で、アリシアにも真正面から突っかかってくるという、非常に珍しく、非常に面倒くさい人物だった。

 彼はアリシアをじろりと見、ふんと鼻を鳴らした。

「……女官風情が調子に乗るな。女は黙って裏方の仕事をしていればいい」

「いつものことですが、とんだ時代遅れの発言ですこと。陛下は性別関係なく人材を登用し、意見を述べる機会を与えてくださります」

 イヤミったらしい言葉を吐いてくるホプキンスだが、アリシアは笑みを崩さない。

 伯爵家の遠縁で、学校を首席で卒業したというホプキンス。頭も要領もよく、着実に昇進の道を歩んでいる彼だが、頭が固くて融通が利かないという欠点があった。

(まあ、彼からしたら女――それもアレクシス様の妃だった私が女官になり、しかも会議でも意見を述べたりするなんて、言語道断なのでしょうけれど)

 だがアリシアとて、挑発されたら丁寧にやり返すくらいの度胸は持っていた。何よりも、このホプキンスという男は単純で言い返しやすい。

「今のホプキンス様の発言は、女性の社会進出に理解を示されている陛下への暴言だと考えてもよろしくて?」

「図に乗るな。アレクシス様であれば立場をわきまえてくださったものを、陛下は甘すぎる。女の提案に乗ることでご自分の立場を危うくするなどと、考えてらっしゃらないのか」

「そこまでになさいませ。……アレクシス様のことを懐かしむのはともかく、先代国王陛下と現国王陛下の方針をいちいち比較するのは、あまり風流なことではないのでは?」

 目を細めてそう指摘すると、さっとホプキンスの顔に朱が上った。不摂生な生活を送っているらしい彼は、少々赤面した方が健康的な肌の色になっているように見えた。

「……減らず口をたたくな。地に墜ちたスチュワート家の名を持つおまえを疎む者は私以外にもいるということ、重々承知しておけ」

「まあ、そうですのね。ご忠告ありがとうございました」

 わざと驚いたように言ってやったが、そんなのずっと前から気づいている。

(今さらなことをわざわざ忠告するなんて、ご親切なお方――ということにしておこうかしら)

 勝手に呼び止めておきながら勝手に腹を立てて去っていった男の背中を見送っていると、傍らから声がした。

「……あいつ、消そっか?」

「息を吐くように物騒なことを言うのはやめてくれる?」

 大きなため息をつくと、柱の陰からひょっこりと赤髪の護衛騎士が姿を現した。アリシアが会議室を出たときから付いてきていた彼は、ホプキンスが去っていった方向をつまらなそうに見やる。

「あいつ運動がてんでだめだし、俺なら一秒でお片づけできるぜ?」

「確かに態度は悪いし面倒くさい人だけど官僚、それも結構高位なのよ。私情で王城の床を赤く染めないでほしいわ」

「はいよ、お嬢様がそう言うのなら」

 レイバンはにっこりと笑って了承してくれたが、いつ石造りの床を白から赤へ変えるか分からないのがこの男の怖いところだと、アリシアはよく分かっていた。


 一日の仕事を終えると、アリシアは電光石火でレイバンから荷物を受け取り真っ直ぐ帰宅した。スチュワート家に戻ると、使用人には食事の前に仕事があるからと告げて自室にこもり、カレンから託された書類をテーブルに広げた。とたん、アリシアの口元に笑みが浮かぶ。

(さすが、カレン! すばらしい情報量だわ!)

 紙一枚につき一人の令嬢の情報が書かれている。名前や年齢から始まり、趣味、特技、家族構成、最近興味があること、色の好み、果ては紅茶に何杯砂糖を入れるか、ドレスの胸元に何枚パッドを入れているかなど、そこまで注文していないようなことまで書かれている。どうやったらこのような情報を集められるのかは、カレンのみぞ知ることである。

 情報の大半はカレンの趣味で集めたようで、アリシアが知るべき「令嬢から国王への関心の度合い」に関する箇所は色つきのインクで書かれていた。

 ただ単に関心のあるなしだけでなく、王妃になることにどれほど積極的か、父親から結婚をせっつかれているのか、父親に国王の外戚となる意欲はあるのかなども事細かに書かれている。カレンには今度、彼女が大好きな菓子を贈ろうとアリシアは決めた。

(まずは令嬢たちの情報を整頓して、誰をお茶会に招くか決めないと)

 アリシアの計画は、こうだ。

 カレンの情報を元に令嬢たちに招待状を書き、アリシア名義でのお茶会を開く。アリシアはアレクシスの寵妃で、ジュリアンにとっては元が付くが義姉にあたる。ジュリアンの妃の座を狙う令嬢ならば、アリシア主催の茶会に参加することでジュリアンともお近づきになれると踏むはずだ。

 そうして彼女らを集めたら、王妃にふさわしそうな女性を探す。その後にジュリアンと令嬢が交流を持てるような場を設ければ、二者の距離もより近くなるはずだ。ジュリアンが納得するかどうかはアリシア自身の力量が試されるだろうが、ジュリアンも「僕が心変わりするくらいすばらしい令嬢を探してみるといい」と言っていたのだから、アリシアの行動を止めたりはしないはずだ。

(……そう、ジュリアン様にすばらしいお妃様を迎えさせることで、アレクシス様もきっと安心できるはずだわ)

 アレクシスは最期まで、国のことやアリシアのこと、そして十六歳という若さで国王にさせてしまう弟のことを案じていた。ジュリアンが王妃を迎えることができればアレクシスやラーラも天上で安心するだろうし、アリシアも彼らへの恩義を返すことができる。

『君が幸せになれることが、私やラーラの願いだからね』

 そう言って頭を撫でてくれたアレクシス。

 王妃という絶対的な立場でありながら、寵妃のアリシアをかわいがってくれたラーラ。

「……これが、私の幸せです。アレクシス様、ラーラ様」

 胸に手を当て、アリシアは静かに呟くのだった。

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