2章 それぞれの宣戦布告 その1
戴冠式の翌日。
アリシアは地方へ発送する手紙の宛名書きをしつつ、気もそぞろになっていた。
(……気まずいわ)
ちらっと視線を上げると、重厚なデスクに書類を広げ、増税に関する資料をまとめているジュリアンの姿が。彼の前には数名の大臣がおり、書類の内容を共に検討していた。いつも通りの王の姿がある。
(昨日はお酒を召していて、心にもないことを口にしてしまったのよ、きっと)
そう思っているが、アリシアも彼に対して喧嘩腰になってしまったという咎がある。
とはいえ今朝は浮かない気持ちで出勤するなり彼の事務仕事を手伝うことになり、昨夜の話をすることも謝罪することもできなかった。
(お時間をいただいて、私の方から謝罪しなければならないわ)
「……では、皆にはそれぞれ資料を集めてもらおう。そろそろ昼食時間だ。休憩の時間もあわせて、二時間後に戻ってくるように。――解散」
「かしこまりました」
大臣たちは一礼し、デスクに広げていた資料を集める。そんな臣下を見つめていたジュリアンだが、ふと、その紫色の目がアリシアの方を向いた。
――とたん。
普段つり気味の彼の目尻が垂れ、引き結ばれていた唇がわずかに開く。これまで臣下の前ではきりりとした態度を崩さなかった若き王が、あろうことか少し含みのある笑みを浮かべてアリシアを見つめているのだ。
(ひっ……!?)
アリシアはぎょっとしてペンを取り落としてしまい、ペンが転がる音に反応した大臣がいぶかしげにアリシアを見る。彼らはアリシアの視線の先にいるジュリアンを見――珍種の生物でも見たかのように刮目した。
「へ、陛下!?」
「ん? ……何だ。先ほどの話に何か不可解な点でも?」
「い、いえ……」
大臣に声を掛けられたとたんに「冷静な王」の顔に戻ったジュリアンだが、ごまかせるはずがない。
(今の表情って……)
察しのよい大臣たちは、それまでゆっくりと仕度をしていたのが嘘のような俊敏さで執務室を出て行った。壁際に立っていたレイバンは顔を背けて笑いを堪えていたが、アリシアの縋るような眼差しを受け取ると親指を立ててしっかりと頷き、「じゃ、俺も休憩に行くわ」と大臣たちに続いて部屋を出てしまった。
(違う、そうじゃないの!)
アリシアの魂の叫びもむなしく、ぱたん、と非情な音を立ててドアが閉まった。
護衛のレイバンもいない今、執務室にはジュリアンとアリシアの二人きり。
(……すごく、視線を感じるわ)
冷や汗を流しつつ、アリシアは宛名書き作業を続ける。目線は封筒に向けているが、それでも前方から注がれてくる視線をひしひしと感じていた。
(これが、臣下の仕事ぶりを監視する眼差しだったらよかったのに……そうじゃないのよね)
結局アリシアは昨夜の件を切り出すことができず、官僚が休憩時間を告げるなり逃げるように執務室を飛び出してしまった。
(つ、疲れた……)
廊下に出たアリシアは周囲に人がいないのを確認し、ぐったりと柱に寄り掛かった。ずっとペンを握っていたため手は疲れているが、それ以上に精神面での疲労が激しい。
「……おや、アリシア殿も休憩かな」
のんびりとした声にのろのろと振り返ると、先ほどジュリアンの執務室で協議をしていた大臣三人が歩いてきていた。彼らの背後にいる使用人たちが本や巻物を手にしていることから、昼食休憩の前に資料庫に行ってきたのだろう。
内心へとへとだが、アリシアは気持ちを引き締めて姿勢を正し、お辞儀をした。
「お疲れ様です、皆様。これからお昼ですか?」
「うむ。先に資料を探してきたのでな。アリシア殿もご苦労だ」
「本当に、いろいろな意味でご苦労だ」
「ご苦労なところすまないが、少し時間をもらえるだろうか」
とたん、アリシアは三人の大臣に取り囲まれた。もう昼過ぎなので腹は減っているが、彼らが言わんとすることも分かるのでアリシアは苦笑しつつ素直に頷く。
「……もちろんでございます。ここでは何ですので、別室に移動しましょう」
「……そうだな」
「食事も用意させよう」
大臣が使用人に空き部屋の確保と食事の準備を命じると、すぐさま部屋が用意された。食事は後から持ってきてくれるということで、ひとまずアリシアは三人の大臣と一緒にお茶を飲みつつ話をすることになった。
「アリシア殿、先ほどの陛下のことだが」
(ああ、やっぱりその話題になるわよね)
早速切り出され、アリシアは唇を引き結んで腹に力を込める。
「私は先々代陛下の御代からエンブレン王家をお支えしている。陛下がお生まれになった頃からそのお姿を拝見しているが、あれほど感情を露わになさったのは初めてだ」
「しかも、この老いぼれたちの目が曇っていなければ、あの陛下がアリシア殿を見、笑みを浮かべてらっしゃった。我々の前で一切気を抜かない陛下が、である」
「昨日まではこのようなご様子は見られなかった。……昨夜、何かあったのか?」
次々に問われ、アリシアははっとした。
(……そうだ。大臣の皆様なら、ジュリアン様を説得してくださるかもしれないわ)
彼らは半世紀近くにわたってエンブレン王家を支えてきた重臣だ。確かな観察眼と冷静な判断力を持っている彼らは、王家の婚姻に関する相談をするにはもってこいの相手である。
「……はい。実は昨夜、陛下から求婚を受けました」
……そうしてアリシアは、昨夜庭園でジュリアンに求婚されたこと、自分はその申し出を断り、最後には言い合いのような形で無理矢理話を終わらせたことを説明した。
アリシアの話が終わると、大臣たちは難しそうな顔で黙ってしまった。まもなく使用人が昼食を運んできたため、食事をしつつおのおの考えをまとめる時間を取ることになった。
「……陛下が求婚、か」
「それも、アリシア殿に」
「なるほど、なるほど……」
大臣たちが食事をしつつ呟く様を、アリシアははらはらしながら見守る。使用人が運んでくれた昼食はどれも豪勢でアリシアの好きなパイ料理もあったのだが、緊張のあまりほとんど味を感じられなかった。
食事があらかた終わり、使用人が食後の紅茶を淹れに来たところで、思い切ってアリシアは切り出す。
「あの、わたくしが王妃にふさわしくないことは重々承知しております。しかしわたくしの言葉では陛下を納得させることが難しく……皆様にお口添えしていただきたいのです」
「ふむ?」
大臣たちは目を瞬かせ、互いの顔を見て首を傾げた。そしてアリシアに聞こえないようひそひそ内輪で話し合った後、アリシアに向き直る。
「妙な話だな、アリシア殿」
「あなたは我々に、陛下が諦めるよう口添えをさせるつもりのようだが――」
「陛下の求婚をお断りすることが、良策であると言えようか」
どことなく責めるような大臣たちの口調に、アリシアの眉がひくっと跳ね上がる。
(……嫌な予感がするわ)
「……とおっしゃいますと?」
紅茶のカップを下ろして努めて冷静に問うと、大臣たちはふっと笑顔になった。
「陛下とアリシア殿のご結婚――よろしいことではないか。我々から異論はない」
「陛下のお相手探しは我々では手に余ってしまうと思っていた。アリシア殿ならば適任であろう」
「うむ。アリシア殿は国民からも人気が高い。よい王妃になることだろう」
「……え?」
大臣たちは笑顔だが、既にアリシアの顔から微笑みは失われている。
(……どういうことなの!?)
アリシアは大臣たちに、ジュリアンを説得するよう頼んだはずだ。それなのになぜ、彼らはたいそう乗り気で二人の婚姻を認めようとしているのだろうか。
おかしい、何を言っているのだ、と頭の中で絶叫するアリシアをよそに、大臣たちは食後の茶菓子片手に盛り上がっていた。
「であれば、すぐさま公表せねば」
「うむ。戴冠式の直後に婚約発表……吉事が続き、民たちも喜ぶであろう」
「ここ最近、陛下に送られる求婚の手紙の量に難儀していたところだ。我々の仕事も減ってくれるだろう」
「……ちょっ、待って、待ってください!」
勝手に話を進める大臣たち。
無礼を承知で、アリシアは彼らの会話に割り込んだ。
「先ほども申しましたが、わたくしは陛下の求婚をお断りしたいのです!」
「なぜ?」
三人が口をそろえ、全く同じ動作でこてんと首を横に倒した。棺桶に片足を突っ込んだ老人より幼女がした方が見栄えがしそうな反応をされ、アリシアの方が面食らってしまう。
「なぜって……むしろ、どうしてわたくしが王妃になれるなんて――」
「アリシア殿はアレクシス様の寵妃で、かつては陛下の義姉であられた」
「アレクシス様の崩御によって婚姻関係が解消され、今でこそ臣下に下っているが、陛下にとって一目置くべき存在であるということには変わりない」
「アレクシス様の葬儀から一年。アリシア殿がアレクシス様の御子を懐妊なさっていないことは確定したのだから、再婚にもなんら問題はない」
「アレクシス様は最期まで、アリシア殿のことを案じていらっしゃった。弟君と再婚するとお聞きになればきっと、喜ばれるだろう」
「アレクシス様もラーラ様も亡き今、アリシア殿は陛下をなだめ、ときには叱ることもできる貴重な存在だ。我々の言葉にはうるさそうになさる陛下だが、あなたの言葉ならば陛下は聞き入れてくださるはず」
「むしろ王妃になってほしい――いや、王妃になってください」
「頼みます。我々のような爺には荷が重すぎる」
「腰痛と胃痛で逝く前に、我々を安心させてください」
怒濤の勢いで口々に意見を述べた後、最後には頼み込まれた。毛の量がそれぞれ異なる三人分の頭が、アリシアに向かって深々と下げられている。ちなみに右から順に、薄い、ふさふさ、全滅、である。
うっすらと紅を引いたアリシアの唇の端が、ひくっと引きつった。
(どうしてこうなったの!?)
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