1章 王の求婚 その2
戴冠式は、城下町にある大聖堂で執り行われた。
アリシアは黒の喪服から、赤を基調とした式典用ドレスに着替える。エンブレン王国の貴族は、式典の際に赤系統の礼服やドレスを着ることになっているのだ。
(ジュリアン様、ご立派になって……)
教皇から黄金の王冠を授与されるジュリアンの姿を見つめたアリシアは、目元をハンカチでそっと拭った。
アレクシスが死に、ジュリアンが国王となって一年。
たった十六歳だったジュリアンを見下す者もいた。命令に背く者もいた。若造だからと、権力で押さえつけようとする者もいた。「アレクシス陛下だったら……」と兄と比べることで、ジュリアンの自尊心や気力を削ごうとする者だっていた。アレクシスの死はジュリアンの陰謀なのでは――と、どう考えてもジュリアンにどうこうできる事故ではなかったのに、あらぬ疑いを掛ける者もいた。
だが、彼はここまで戦ってきた。彼を助ける者たちの存在も大きかっただろうが、ジュリアン自身の努力があってこそ乗り越えた一年目である。
立派に国を治めてゆく弟の姿を、きっとアレクシスも天上から見守っていることだろう。
戴冠式はつつがなく終了し、アリシアたちは王城に戻った。式典服から普段着のドレスに着替えたアリシアが侍女を下がらせた数分後、ドアがノックされる。
「よう、アリシア。陛下がお呼びだぜ」
親しげに呼びかけつつ入室してきたのは、近衛騎士団の制服を纏った青年だった。長めの赤髪をなびかせる彼はアリシアを見ると、琥珀色の目を細めてにやりと笑う。
「あんたが黒以外のドレスを着ているのも、一年ぶりだな。相変わらずいい女だぜ」
「どうも。私としては黒に慣れちゃったから、華やかな色だと逆に違和感があるわ」
アリシアは青年の軽くて雑な口調を気にした様子もなく返した後、ふと首を傾げた。
「……あら? 今日の護衛はあなただったかしら?」
「本当は他のやつだったんだけど、代わってもらった」
「へぇ……面倒くさがりなレイバンにしては珍しいわね」
「なんかおもしれぇもんが見られそうな気がしたから、代わってもらったんだ」
「……おもしれぇもん?」
反芻するアリシアだが、レイバンは歯を見せてにやにや笑うだけだった。
護衛騎士であるレイバンは侯爵家の長男で、もともとはアリシアの護衛だった。アレクシスの死後、彼は退役するつもりだったが、アレクシスの遺言でジュリアンのことを託されたため、今の職に留まったという。やや口は悪くてひねくれているが、職務には忠実である。元寵妃、現女官という立場のアリシアにも対等な立場でものを言い、ときには行動を諫めてくれる、貴重な人物でもあった。
部屋を出ると、もう夜だが戴冠式という一大行事があった直後だからか、どこか遠くの方から華やかな楽器の音色が聞こえてきていた。今夜は一部の役職の者以外休みをもらっているそうなので、皆でジュリアンの即位一周年を祝っているのだろう。
レイバンに連れられて向かったのは、庭園だった。王宮には複数の庭園があり、季節の花で彩られた場所もあれば、細い水路が迷路のように張り巡らされた場所もある。今回レイバンがアリシアを案内したのは、薔薇のアーチがトンネルのように続いている薔薇園だった。
「ほい、到着。陛下は中央のガゼボで待っている。俺はここで待ってるから、ごゆっくりー」
「ありがとう。行ってくるわ」
ひらひらと手を振るレイバンに手を振り返し、アリシアは庭園に足を踏み入れた。
薔薇アーチのトンネルをくぐった先は、低めの薔薇の生垣によって簡単な迷路のようになっていた。今は夜なので花が全てくすんだ色に見えてしまっているが、真冬以外は色彩豊かな薔薇が咲き乱れているのだ。
(昔、アレクシス様と一緒にここをお散歩したこともあったっけ)
初めてここに来たときのアリシアはまだ子どもで、生垣よりも背が低かった。周りが見えないため庭園内で迷子になり泣きそうになってしまい、慌てて駆けつけてきたアレクシスに抱き上げられてあやされた出来事を、ふっと思い出した。
今のアリシアは十分に身長があるので生垣に埋もれることもなく進み、やがて庭園の中央にある釣り鐘形のガゼボにたどり着いた。辺りは濃い闇に包まれているがこの周辺にはランタンの炎が灯っており、蔓植物の絡まった大きな鳥かごのようなガゼボを淡く照らしていた。
ドレスの裾を持ち上げながら煉瓦道を歩くアリシアを見、ガゼボの中のベンチに座っていた青年が手招きした。
「よく来てくれた、アリシア」
「お待たせしました、陛下」
臣下らしく、アリシアはガゼボの階段を上がる前に一礼してジュリアンの許しを請う。彼の「こちらに座ってくれ」という言葉を受けてから、彼女は石造りのベンチに腰を下ろした。
正面に座るジュリアンはアリシアと同じく、式典用の正装から普段着に着替えていた。王家の紋章入りのカフスボタンが輝く長袖のシャツに、金色の刺繍で裾に繊細な文様が施された黒のベスト。喪は明けているがもともと彼はモノトーンが好きらしく、ズボンも首元のクラヴァットも夜闇の色をしていた。
「本日の戴冠式をつつがなく終えることができ、わたくしも安心いたしました」
ひとまずアリシアが話題を振ると、ジュリアンは目元を緩めて微笑んだ。
「そうだな。これもアリシアや大臣たちを始めとした、僕を支えてくれた多くの者たちの存在があってのことだ。感謝する、アリシア」
「まあ……もったいないお言葉です。大臣の皆様にもお声をかけられると喜ばれるのでは?」
「……そうだな。あいつら、時折僕のことを孫扱いするけれど頼りになるからな」
ほんの少し拗ねたような口調で言うものだから、アリシアはくすっと笑ってしまった。
大臣たちにとってジュリアンは主君であり、自分たちが支えるべき相手であるが、心のどこかでは孫のように思い、案じているのだろう。
アリシアに笑われたと気づいたジュリアンは目を見開いた後、こほっと咳払いした。
「……最近、大臣からもせっつかれているのだが。僕の即位から一年。そろそろ王妃を迎えることを考えている」
改まったジュリアンの言葉にアリシアは真顔になり、先日廊下で立ち聞きしたときのことを思い出した。
(……官僚も、あとはジュリアン様が王妃を迎えられるばかりだ、と言っていたわね)
大臣の指摘も官僚たちの発言も、もっともである。
即位から一年経ち、アレクシスの死後混乱していた国もだんだんと落ち着いてきた。ここでジュリアンが有力な貴族の娘を王妃に迎えれば、彼は妻の実家の協力も得ることができる。それにジュリアンが王太子だったアレクシスの御世と違って今は後継者がいないため、世継ぎのことを考え始めても遅くはないだろう。
「……仰せの通りでございます。わたくしとしても、陛下にすばらしい王妃様を迎えていただきたいと存じます」
「アリシアも賛成なのだな」
「もちろんです」
「分かった。では早速求婚する」
すっぱりと言い切ったジュリアンに、アリシアは驚く。
(あら……ということは、ジュリアン様には既に気になるご令嬢が?)
ジュリアンの女官でありながら主君の恋情に気づけなかった己の至らなさを反省しつつ、アリシアは好奇心で目を輝かせてわずかに身を乗り出した。
彼が恋する令嬢とは、いったい誰なのだろうか。
(可能性がありそうなのは……メイシー侯爵の次女に、サムエル公爵の長女。ああ、そういえば最近、バーグマン伯爵の遠縁のご令嬢がデビューしたのだっけ――)
頭の中で貴族年鑑をめくって心当たりを挙げていくアリシアをよそに、ジュリアンは立ち上がって一歩前に出た。ランタンに照らされ、ジュリアンの繊細な顔に濃い影が生まれている。
「アリシア」
「はい。……え?」
名を呼ばれてやっと、アリシアはジュリアンが自分の目の前に跪いていることに気づいた。
ひゅっ――とアリシアの喉が鳴る。
十七歳の若者といえど、一国の国王が臣下の前に跪いている。凪いだ紫の双眸が、じっとアリシアを見上げている。
「へい――」
「アリシア。僕と結婚して、王妃になってくれ」
若き王はどこか機械的な声で、アリシアに求婚の言葉を贈ったのだった。
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