第16話 バニーさんの大変な一日(特対室)

 なんてことない一日からすべてが変わっていくとしたら、八月十日が、まさにその日だったと思う。




 いつも通りコンビニの端末を操作して、商品引換券を発券する。レジへ持っていき、荷物を受け取る。中身は発売されたばかりのペンギンマンの映画版DVDとBlu‐ray。もちろん、どちらも初回限定盤よ。アクリルキーホルダーがついているの。

 通販を利用するときは、たいていコンビニ受取にしている。悪の組織の基地に直接宅配してもらうわけにはいかないもの。私書箱も一応あるけれど、私はあまり使わない。

 さて、基地に帰ったら上映ホールで一人で鑑賞会だわ、とウキウキしながら店外へ出て、ジリジリ照りつける夏の太陽にうんざりする。暑い、暑い、蒸し暑い。さっさと地下に帰りましょ。


 けれど、浮足立っていた私は、スーツ姿の二人組に行く手を阻まれた。こんなに蒸し暑いのに、一人は涼しい顔をしてジャケットを着ている。もう一人はシャツにベストを合わせている。暑苦しい人たちだ。

 もちろん、彼らの顔は知っている。知らないふりをしなければならない相手だけど。

 私は訝しげな表情を作って、彼らを見上げる。


「……何か?」

「宇佐美茉莉花さんですね?」

「それとも、ジャスミンバニーさん、と呼んだほうがいいかな?」


 特対室の、上杉と影山だ。

 ――ちょっと、早すぎない? 私にたどり着くの。優秀な刑事は特対室に入れちゃダメよ、本当に。


「確かに私は宇佐美ですけど、ジャスミンバニーって誰ですか?」

「このあたりを仕切っている、悪の組織の女幹部ですよ」

「へえ?」

「君のことだよね?」

「何のことだかさっぱり。それより、どちら様ですか? 私に何か?」


「我々が何者なのか気になりませんか?」と聞かれる前に先手を打つ。二人は顔を見合わせたあと、懐からバッジのついた黒い身分証を提示し、「警視庁組織犯罪特別対策室の上杉です」「影山です」と名乗る。


「じっくりとお話を伺いたいのですが」

「すみません、時間がそんなにありませんので」

「お手間は取らせません。すぐに済みますよ」


 すぐに済むわけがないと知っている。刑事が本当のことを言うわけがない。しかし、今ここで令状を出さないということは、私の逮捕状を準備しているわけではないということだ。

 任意の事情聴取。応じるべきか悩んだ末、彼らの捜査状況を知りたい気持ちのほうが勝る。彼らがどこまで知っているのか、気になるじゃない?

「少しだけなら」と頷くと、上杉に喫茶店へと案内されることとなった。




「こちらを見ていただけますか」と影山が持ち出したタブレット端末に、映像が映る。私はアイスカフェオレをストローで飲みながら端末を眺める。

 それは、どこかの店の監視カメラの映像だった。店員も客もいないカフェのような店内に、一人の女が紙袋を持って入ってくる。女が紙袋の中の服に着替えたあと、いきなり映像が乱れ、真っ白になる。何秒かのち、映像が回復したときにはもう女の姿は消えてなくなっていた。


「これは、軽井澤のアウトレットパーク内の監視カメラの映像なのですが、この映像の直後、ジャスミンバニーが登場します。画面が真っ白になっている間に変身したのでしょう。先ほどの女性は宇佐美さん、あなたですね?」

「人違いです」

「紙袋のショップで確認したところ、そのショップでもイワトビのグッズを買い込むあなたの姿が確認できました。ヒーローチャンネルのカメラにも、あなたが映っています」

「人違いです」

「茶山栗栖があなたの名前を教えてくれましたよ」


 くーりーすー!! 余計なことを!!

 あと、スネーク! カメラから映像を消去するの、忘れていたわね!? 変身するときはカメラに映らないように細工をしてあるけど、不十分みたいじゃないの! 変身前後の映像もカットしなきゃ!

 心の中で二人を責めながらも、笑顔を浮かべて否定するしかない。


「人違いですよ。茶山栗栖とはどなたですか?」

「茶山栗栖を知らない? よろず屋をやっている、果物戦隊のマロンブラウンですよ?」

「あぁ、正義の味方ですか。名前くらいは聞いたことがあるのかもしれません」


 ジャスミンバニーと宇佐美茉莉花を結びつける確かな証拠を、彼らは持っていない。私はそう判断した。変身する瞬間はカメラに収まっていないのだし、映像を解析したとは言っても確たるものではない。自供を引き出したいのかもしれない。ボロを出すわけにはいかないわね。

 話をしている影山は憤慨しているように見える。私から何らかの証言を引き出したくてうずうずしているのだろう。矛盾点を指摘したくてたまらない、といったところね。お生憎様、私はそこまでバカじゃないの。

 一方、黙ったままの上杉は、私から目を逸らすことなく冷静に観察している様子。気味が悪い。


「糸井児童養護施設でも話を伺ってきました。よろず屋が来ていた日、あなたも養護施設にいたことがわかっています。それでも茶山栗栖と面識がないと?」

「面識がないとは言っていません。そういえば、先日お会いしたかもしれません。忘れっぽくてすみません」

「忘れていた? 正義の味方なのに? だって、あなた、ペンギンマンが好きなんでしょう?」

「私はイワトビが好きなだけです。他のヒーローに興味はありません」

「やはり、軽井澤でグッズを買っていたのはあなたですね?」

「さっきも答えましたよ。聞いていませんでした?」

「あなたねぇ!」


 影山は煽られると噴火するタイプのようだ。アップルレッドと同じ。扱いやすい。私を追い詰めるには、まだまだ経験が足りない。

 なおも発言しようとする影山を制し、次は上杉が口を開く。鋭い眼光が光ったように見えたけど、眼鏡のただの反射でないことを祈りたいわね。


「中学校を卒業と同時に、宇佐美さんは就職をして施設を出たと伺っていますが、今はどちらの会社にお勤めなのでしょう?」

「答える必要はありませんよね?」

「ええ、もちろん、任意ですから。しかし、免許証もお持ちではないようですし、住民票も施設のままですよね。糸井会長からもあなたの所在を教えていただけなかったものですから、ペンギンマンの映画版DVDの発売日の今日なら、よく利用するコンビニに現れるのではないかと、こうしてお待ちしていたわけですよ」

「まるでストーカー行為ですね」


 茶山栗栖が施設のことを喋ったのだろう。口も手も軽い、本当に最低な男!

 そして、彼らは糸井施設長にまで会って話を聞いたわけね。「会長」と呼んでいるのは、ITOYの会長だと認識している、ということ。施設だけではなくITOYにも顔を出したのかもしれない。

 移送ポッドが近いからこのコンビニを使っていたけれど、今後は利用を控えなければいけないみたいね。移送ポッドの周辺に人がいないことを確認しながら出入りしているけれど、それでも危険に違いない。便利だったのに、残念だわ。

 ほんと、頭の切れる男は嫌いよ。

 私、追い詰められるよりも追い詰めたいのよね。最後は東京湾に落ちるとしても。


「国土管理局、はご存じですね?」

「さあ?」

「東京湾に落ちた悪の組織の一味を助ける船や、秘密基地への出入りに使われている門扉を管理していると考えられる会社なのですが」

「へえ」

「この国土管理局、実体のないダミーカンパニーにも関わらず、政治家や著名人から寄付金が多く寄せられています。若林議員も寄付をなさっていることがわかっています」

「それが何か?」

「国土管理局こそが悪の組織なのではないかと我々は疑っております」


 まぁ、ほぼ正解よね。地上と基地を結ぶ移送ポッドには「国土管理局」と架空の組織名が書いてあるもの。国土管理局が悪の組織と言っても間違いではないんじゃないかしら。

 さすが、刑事。頭がいいのね。


「その国土管理局、どなたが設立に関わっていたかご存じですか?」

「さあ、知りません」

「糸井会長ですよ」


 糸井……施設長が? 国土管理局を、作った? まさか! それ、本当の話?

 本当なら、私も知らなかった情報だ。ビックリした。


「しかし、ITOYの糸井会長はお認めにはなられませんでした。子会社化もされていない、独立した組織のようです。まぁ、玩具会社が悪の組織を運営しているなんて、世間に知られてはいけないことですから隠しているのでしょう」

「その件と私、何か関係が?」

「施設を退所したあと、宇佐美さんは国土管理局に就職したのではありませんか?」


 なるほど、そういうことか。

 糸井児童養護施設の糸井施設長の紹介で、国土管理局――悪の組織に就職し、宇佐美茉莉花はジャスミンバニーになった、と彼らは考えているということだ。

 就職したときのことなんて覚えていない。筆記試験と面接があっただけだ。面接官が誰だったかさえ、覚えていない。

 けれど、もし糸井施設長が悪の組織を作ったとしたら、彼が悪の組織のボスだということになる。厳しい口調で私たちリーダーズを叱責するボスが、あの優しい施設長だとはどうしても思えない。


「想像力がたくましいんですね、刑事さんって」

「もちろん、想像だけではありませんよ」

「そもそも、正義の味方や悪の組織って、テレビでやっている娯楽でしょう? たまにアラートが鳴りますけど、危険な目に遭ったことなんてありませんよ」

「なるほど、娯楽ですか」


 特対室の二人もわかっているはずなのに、バカねぇ。

 正義の味方も悪の組織も、単なる娯楽なのよ。

 パワースーツを着た悪の組織と正義の味方の戦闘において、双方が傷を負ったとしても、実はどちらも罪には問えない。パワースーツを着ていない状態――一般人としての戦闘も認められていない。

 つまり、戦闘において双方が怪我をしたとしても、傷害罪は成立しない。

 また、怪人や怪獣が暴れることによって一般人が負う傷も、ほとんどがかすり傷程度の軽傷であり、重傷になることはない。万が一、一般人が死ぬことになったとしたら、かなりの額の示談金が支払われることになるんじゃないかしら。

 シラホネが暴れて街を壊したのは、本当にイレギュラーなことだったの。死者を出さなかったのは、不幸中の幸いだったわ。

 そう、娯楽なのよ。遊びなの。


「人の住居を壊すのも、娯楽ですか」

「家が壊れても保険が下りるんでしょう? 怪我をしたら見舞金がもらえるんでしょう? 議員からお金が流れているなら、政府容認の娯楽なんじゃないですか?」

「悪の限りを尽くし、それを娯楽だと言い張るのなら、確かにあなたは悪の組織の幹部なのかもしれませんねぇ」

「違う、とさっきから言っているじゃありませんか」


 二人はどうしても私をジャスミンバニーにしたいみたいね。……正解だけど。認めるわけにはいかないけど。


「しかし、以前はその娯楽で死者が出たこともあるみたいですよ」

「それは存じ上げませんでした。私には関係のないことなので」

「知らない、ですか? 変ですねぇ、あなたのご両親のことなのに」


 ……両親のこと? 私の両親が、何?

 上杉は「ご存じありませんでしたか」と意味ありげに笑みを浮かべる。


「あなたのご両親は正義の味方と悪の組織の戦闘において、命を落としたようですが」

「……知りません」

「あぁ、そうでしたか。しかし、糸井会長は知っているようでしたよ。両親を亡くしたあなたに、一番に支援の手を差し伸べたのが、他ならぬ会長ですからね」

「そうですか」


 だから、何? 両親と糸井施設長に、何の関係が? 私と何の関係があるというの?

 空気がひやりと冷たくなったのは、冷房が強くなったせいじゃない。特対室の二人と私の間に、確かに凍えるほどに冷えた空気が横たわっている。


「おや、興味ありませんか? あなたを育ててくれた恩人が、あなたのご両親の死に関わっているのではないかというのに」

「糸井施設長が国土管理局を設立したことと、両親の死に関与したこと、また、私を育ててくれたことに因果関係があるとは思えません」

「そうでしょうか? 国土管理局が悪の組織だというなら、すべての辻褄が合うのですよ。つまり、糸井会長が悪の組織のボスだというのであれば、正義の味方との戦いにおいて夫婦を死に追いやった責任を取り、その幼い娘を自分の経営する施設で育て上げ、さらに娘を悪の組織の幹部として迎える――可能性がないとも言い切れません」

「不愉快です、お引き取りください」


 大変、不愉快な話だ。私の前から去って欲しい。去ってもらえないなら、私から出ていこうじゃないの。

 温くなったアイスカフェオレを飲み干し、財布から出した五百円玉を机に置く。レトロな喫茶店内にバチンと鋭い音が響く。

 影山は「まだ話は終わっていませんよ」と私を睨み、上杉は「お代は結構ですよ」と冷静に笑う。本当に対象的な二人だ。腹立たしい。


「最後に一つだけ」


 人差し指を立て、上杉は私を見つめる。


「先ほどの財布、もう一度鞄から出して見せていただけませんか? 軽井澤のアウトレットパークで限定販売されたペンギンマン・イワトビデザインのレザー財布のように見えましたものですから」

「私の持ち物を改めたいのであれば、令状をお持ちください。でなければ、協力することはありません」


 二人のほうを一切見ずに喫茶店を出て、溜め息をつく。そりゃ深い深いふかーい溜め息が出てきたわよ。ぐったりしちゃったわ。

 あんな優秀かつ嫌味な人材を特対室なんかに配置しちゃダメよ! 演技派の私だから良かったけど、私じゃなかったら、すぐバレちゃうじゃないの! 素直なサウザンズなんか、すぐ基地の場所を喋っちゃうじゃない!

 早めにサウザンズたちに教育しておかなきゃ! 特対室は敵だ、って!

 肩をいからせながら、コンビニの袋を振り回しながら、歩く。あー、もう! 疲れた! このストレスをどうしてくれよう!?

 こんなときに限って通信機が振動し、着信を知らせてくる。イライラの種が増えるわけよ。あぁ、もう、腹立たしい!


「何?」

『こちらスネーク、バニー、今どこだ!?』

「どこって、隅田川の近くの」

『今すぐ戻れ。緊急事態だ』


 特対室が基地にやって来た? そんなまさかね? それとも、またサウザンズの誰かが地上で暴れているとでも言うの? 私の仕事を増やさないでほしいわ。

 けれど、スネークからもたらされた情報は、私の想像をはるかに超えているものだった。


『北部地区が全滅した……!』

「……は?」

『全滅だ!』


 八月十日。

 そう、それが、悪夢の始まりの日、だった。




▼▽▼ 解答(8) ▼▽▼

田んぼ。稲作地域。米どころ。いずれも正解。


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