第14話 避暑地のバニーさん(触手)
『お客様にお知らせいたします』
アウトレットパークの全体放送と、ピコンピコンという電子音の大合奏が始まったのは、ほぼ同時だ。
『日本政府により特別怪人怪獣警報が発令されました。当施設内にて怪獣が目撃されております。緊急条例に基づき、当施設は安全確認が終わるまで閉鎖いたします。お客様は係員の指示に従い、速やかに避難を開始してください』
電子音は、各自の携帯端末から聞こえる警報音。特別怪人怪獣警報は、怪人か怪獣が出現した半径一キロメートルに発令される。緊急地震速報やJアラートほどの重要な警報ではないが、それでも被害がないわけではない。被害者にならないとも限らない。
しかし、アウトレットパーク内のスタッフが慌てず騒がず「こちらに避難してください」と客を駐車場等に避難誘導しているため、大きな混乱はない。子どもとはぐれたと叫ぶ父母もいない。手に持ったジュースを飲みながら避難している人もいる。
そう、皆、避難慣れしているの。
何しろ、週に三度は北部・東部・西部の地域のどこかに怪人怪獣が現れる。どんな人でも年に二回は怪人怪獣アラートが鳴り、運が悪ければ二回とも怪人怪獣と遭遇する。さらに運が悪ければ、住居を壊される。でなければ、怪人怪獣保険なんて売れないのよね。
「ヌルリ! 女性たちを離すんだ!」
栗栖が芝生に出てきて叫ぶ。手に紙袋はない。どこかに置いておいてくれたならありがたいことだわ。触手の粘液でタンクトップとパーカーが溶けてしまっても、さっき買ったイワトビTシャツやパーカーがあるので着替えればいい。
「えっ? 離していいんですか?」
「いやいや! 今そこで離すなよ! 地面に下ろしてから!!」
「離せと言ったり、離すなと言ったり、相変わらずヒーローは注文が多いですねぇ」
十二本ある触手のうち、捕らえられている女性は私を含めて五人。皆、震えながら「キャー!」とか「溶かさないで!」とか叫んでいる。ヌルリ本体は目を細めて食事をしている。マズいとか言っていた割に、嬉しそうじゃないの。
女性の衣服はヌルリの好物だ。触手から出る溶解液で衣服を溶かし、吸収――食事をする。
ヌルリは不健康そうな女性や、年配の女性や女児は狙わない。捕らえられている若い女性の腹にはしっかり触手が巻かれており、落ちないように細心の注意が払われている。ヌルリは無意味に触手を振り回すこともしない。食事を終えたら女性を安全な芝生の上にきちんと下ろしていく。
そして、ヌルリは、女性の下着――ブラジャーとショーツには興味を示さない。食事の対象は、あくまでもトップスとボトムス。ゆえに、彼に襲われた女性の腹や腰はあられもない状態にはなっているが、下着は残されたままだ。
私は彼の美学の徹底ぶりに、感心しながら呟く。
「さすが紳士怪獣ヌルリ……」
芝生広場の近くでは、下着の色がわかる程度に衣服を溶かされた女性たちが見られる。避難をしていなかった男性――恋人や友人、係員はこぞって自らの上着を彼女らに貸し出している。
ヌルリは女性にとっては迷惑な怪獣に違いないが、男性にとってはチラリズムの神様であり、女性を助けるというヒーロー体験までさせてくれるありがたい存在なのかもしれない。
そのヌルリの美学とか、悪の組織チャンネルで特集してみたら面白いんじゃないかしら。今度ワルヴに提案してみましょ。
「女性の敵! ヌルリ! 今日という今日は許さないわよ!!」
栗栖に林檎と雷夢が合流する。林檎はビシィと人差し指でヌルリを指差し、雷夢は両手に紙袋を持ったままアタフタしている。
林檎、買いすぎ。雷夢、こき使われすぎ。ちょっとかわいそうだわ。
「別に女性たちに許してもらえなくても構いませんし、被害のないあなたから非難される覚えもないのですが」
「お黙りなさい!」
「しかし、まだお腹は空いているので」
ヌルリは食事を終えた女性たちを静かに芝生の上に降ろし、新たに避難誘導をしている何人かの女性スタッフを捕らえる。中にはブランド店の、あの語尾を伸ばすピンク色の店員さんもいる。衣服が穴だらけになった被害女性たちは、栗栖や雷夢が建物の陰などに誘導し、近くにいた男性が世話をする。
まぁ、いつもの光景だ。
……私も早く降ろしてもらいたいんだけどなぁ。タンクトップもパーカーも酷いことになっているし、ほら、今、ショートパンツが溶けてる感じがするもの。私、ボトムスは買っていないのに。触手は冷たくて気持ちいいし、高いところは嫌いじゃないし、カメラで撮られるのも気持ちいいけど、長時間ヌルリと一緒にいて正体がバレるのは問題だわ。
「桃矢と檸檬は!?」
「今向かってる!」
「じゃあ、とりあえず三人でやるしかないわね!」
林檎が変身用のバスケットウォッチを天に掲げたときだ。
「ぎゃああぁぁ!!」
ヌルリの悲鳴があたりに響き渡る。え? え? 何が起こっているの? わからない。とにかく、混乱したヌルリが、触手をブンブンと振り回し始めた。
えげつない角度で、私の体と脳みそがシャッフルされていく。ジェットコースターには最高速度があるというのに、ヌルリはもちろん遠慮なんてしないで生身の私をぶん回すわけで。
「きゃぁぁ!」
触手で捕らえられている女性たちの悲鳴が――聞こえない。あれ? 叫んでいるの、私だけ? あと三人くらい、スタッフがいたはずだけど?
慌てて眼下を見て、私は状況を理解した。切られたヌルリの触手が三本、芝生に落ちてビタンビタンと波打っている。その傍らに、三人の、フリフリした衣装を着た少女たちの姿がある。
「ヌルリ、なるべく建物は壊さないでねー!」
「でも、暴れてくれると怪獣手当がつくの、ありがとぉ!」
「ちょっとバイト休めるの、助かっちゃったぁ!!」
赤い薔薇・ピンクの桜・白い百合を基調とした可愛らしい衣装に、ステッキのような武器。ちょっと抜けたセリフ。
間違いない、彼女たちは――。
「痛いじゃないですか! あなたたちは何者ですか!?」
「情熱のローズ!」
「優美なブロッサム!」
「純潔のリリー!」
三人がそれぞれ可愛らしいポーズを取って――。
「アイドル戦隊フラワー・フラワー!!」
そう、名乗りを上げた。
……思い出したわ、あのブランド店の店員さん、アイドル戦隊のブロッサムだわ。喋り方、どこかで聞いたことあると思ったのよね。
ローズがステッキをひと振りし、剣の形に変える。あれで三人ともヌルリの触手を切って逃げ出したのね。納得していると、彼女はいきなり剣を私目がけてぶん投げた。そう、ぶん投げたのよ。
そりゃ私も「ひゃあ!」なんて可愛く叫ぶわよ。ジャスミンバニーでもない一般人に向かって刃物を投げつける正義の味方なんて、聞いたことないもの。
けれど、彼女は最初からヌルリの触手を狙ったようで、私の腰の何センチか右あたりで、触手がブチと切れた。……切れた。
「きゃぁぁ!」
まぁ、五メートルくらいの高さから落下しても、大怪我をすることはないと思う。打ち所が悪ければ重傷になるけど。
アイドル戦隊は、結成二年目に入ったばかり。戦闘経験が少なく、実戦では不慣れな部分が多い。だから、こうして、一般人を危険にさらすことだってある。危ない目に遭わされたほうは溜まったもんじゃない。
「ナーイス、キャーッチ!!」
私が芝生に激突しなかったのは、バニースーツに変身したわけではなく、マロンブラウンに抱き止められたからだ。ジャスミンバニーに変身するわけにはいかなかったので、ちょっとだけ、マロンブラウンに感謝する。まぁ、ほんのちゃんとだけ。
「荷物はジェラートの店に」とマロンブラウンに教えてもらったので、戦場を避けて店へと向かう。もう客とスタッフの避難はほとんど済んでいるので、私のあられもない姿を見せつけることができなくて残念だわ。……ものすごく残念だわ。はぁ。
「あんたたち、バカ!? 一般人の救助を何だと思ってんの!!」
「えっ、えっ?」
「すみません、すみません!」
「ごめんなさいぃ!」
「要救助者の命を危険にさらすなんてもっての外! 一般人の安全を確保してから戦いなさい! それまで武器すら手にするんじゃない! それがわからないなら、正義の味方を名乗るんじゃないわ!!」
アップルレッドが怒りに任せて後進のアイドル戦隊たちを正座させて説教をしている。厳しい口調だが、間違ったことは言っていない。気に入らないはずの私を「一般人」の枠に入れているのも、正しい。
アップルレッドは、ちゃんと「正義の味方」なのよね。性格に難はあるけれども。かなり、難があるけれども。そこはブレないのよね、結成時から。彼女は正しく「正義の味方」なのよ。
栗栖と座っていたベンチの下に、私の荷物があった。ジェラートの店には誰もいないので、勝手にハサミを拝借してタグを切る。ブカブカのイワトビTシャツは、新品の匂い。溶けたショートパンツをも隠してくれる長さ。我ながら、いい買い物をしたわ。
――さて。
私は店内の入り口から避難状況を確認し、戦局を窺う。ジャスミンバニーに変身するかどうか、まだ決めていない。
ヌルリは短くなった四本の触手を悲しそうに見つめながら、他の八本の触手を振り回している。ヌルリの触手は切られても大した出血がなく、一週間ほどで再生するものだ。ただ、痛みはあるし、喪失感もあるという。四本も喪失した、という事実がヌルリに悲しみを与えている。かわいそうに。
六対一では分が悪いのか、ヌルリの触手は切られ、どんどん可動触手が少なくなっていく。九本目をライムグリーンの斧で切断されてしまってから、とうとうヌルリはボロボロと涙を流し始めた。
ごめんね、ヌルリ。一週間、再生するまで愚痴に付き合ってあげるからね。
「姉さん、痛いですよ、姉さん!」
ヌルリの触手が残り二本になり、泣き声が聞こえてきたところで、私はジャスミンバニーに変身し、ジェラートの店から少し離れた建物の屋根に飛び上がった。
「ヌルリ、おいで!」
触手を懸命に伸ばし、ヌルリは私の体に巻きつけ、本体ごと飛んでくる。もちろん、二十メートルほどあった巨体を縮ませて。
「ジャスミンバニー!!」
泣きじゃくるヌルリを胸に抱き、果物戦隊とアイドル戦隊を見下ろす。アップルレッドは好戦的な視線で睨んでくるが、他の面々は疲れているようだ。アイドル戦隊なんて私を見ようともせず、ぜぇぜぇ息を切らしながらへたり込んでいる。一人元気に「あたしはまだ戦えるわよ!」と挑発してくるのは、アップルレッドだけ。経験と体力、やる気の差かしらね。
私に戦う意志はない。満身創痍なアイドル戦隊を再起不能にすることも、「ちんちくりんご」とアップルレッドを煽ることもない。目的は達成できている。不要な戦いは好まないの。
ヌルリは「すみません、バニー姉さん」とうなだれたまま。……あぁ、これ、一週間じゃあメンタル戻らないわね。かわいそうに。一ヶ月はかかるかしら。
「……また来るわよ!」
いつも通りのセリフを捨て置いて、屋根をピョンピョン跳ねて逃げる。逃げ足は速いの。ウサギだもの。
「正義は必ず勝ぁぁつ!!」
アップルレッドのうるさい声が、パーク中に響き渡る。それを合図に、避難誘導していたスタッフが戻ってくる。『怪獣の脅威はなくなりました』というアナウンスも流れる。けれど、客が戻ってくることはない。
安全確認が終わらない限り、パークが営業を再開することはない。今日一日休業だ。賢明な判断だと思う。二次被害を招いてはいけないもの。客の買い物が終わっていなくても、仕方がないわよね。
私はヌルリをカバンに入れ、混雑した駅のホームで新幹線の到着を待つ。ヌルリは泣き疲れて眠ってしまったみたい。
『悪の組織が世界征服をしないなら、オレ、果物戦隊辞めて悪の組織に入りたいんだけどな』
茶山栗栖の発言の意図がわからない。バカなのかしら。バカなのよね、きっと。
正義の味方から悪の組織に「悪落ち」した人がいないわけじゃない。でも、過去に悪落ちした人たちにはそれぞれのっぴきならない事情があった。例えば、恋人や家族を殺されたとか、友人の手酷い裏切りにあっただとか、悪の組織としても「正義の味方なんてやっていられないよなぁ」という説得力があった。
栗栖の場合は、どうなの? 納得できる理由があるの?
もちろん、私は茶山栗栖のすべてを知っているわけじゃない。彼の大事な人が殺されたり酷い目にあったりしているのかもしれないけど、別に知りたいわけではない。悪の組織で一緒に働きたいわけでもない。
……面倒だから、聞かなかったことにしよっと。
「茉莉花って、結構地味な色の下着だったんだね」
背後から私にだけ聞こえるように発せられた言葉に、ちょっとだけ殺意を抱く。
「茶色ってオレの色だよね? オレのこと好きになった?」
前言撤回。ちょっとどころではない殺意が湧いてきた。どうしよう、抑えきれないわ。
「茶色じゃなくてモカよ!」
振り向き様に殴ろうとして、軽く腕を止められる。変装をした茶山栗栖は、セクハラを自認しているのか、得意げに笑っている。
あー、ほんと、大嫌いだわ、こいつ。
「似合ってるよ、イワトビ。名前、呼んでくれてありがと。じゃあ、また」
それだけ私に伝えて、栗栖は人混みの中へ消えていく。名前なんて呼んだかしら? 戦闘のとき? 記憶にないんだけど。
赤峰林檎も緑青雷夢もいないように見えたけど……正義の味方は、新幹線で移動するのかしら? ヒーロー用ヘリとかあるでしょ? なのに、何で?
「……まさか」
まさか、ね。
私は、脳裏をよぎった可能性を振りほどくように頭を左右に振る。
まさか、私の無事を確認しにきただけ、なんてことないわよね?
そこまで自惚れちゃいないけど、私はいまいち茶山栗栖という人間のことが理解できずにいる。正義の味方のことを理解できないと、悪の組織の女幹部なんて務まらないのに。困ったことね。
▼▽▼ 解答(7) ▼▽▼
♯6514789(ヒの字)
【もちろんフィクションです。実際にダイヤルしないようお願い申し上げます。】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます