第13話 避暑地のバニーさん(よろず屋)

「バニー姉さん」


 小さなヌルリが手のひらの上でつまらなさそうな声で私を呼ぶ。ぽよぽよと跳ねるスライムも気持ちいいけれど、ヌルヌル動く触手もまた冷たくて気持ちいい。ほんと、夏場には最適な怪獣ね。けれど、その気持ちよさを堪能している暇はない。北陸新幹線の軽井澤駅はもうすぐなの。

 東京から軽井澤へ怪獣を連れて行く理由はただ一つ。今から悪の組織のお仕事なの。


「やっぱり気が進みません。自分は衣服が食べたいんです。夏場は皆さん薄着じゃないですか。食べられる面積が少ないじゃないですか。自分としては、カシミアとかアンゴラとか、冬の衣服のほうが好みなんですけど」

「うん、選り好みしないで暴れようね、ヌルリ」

「美味しくないものを食べるのは嫌です」

「好き嫌いはダメよ、ヌルリ」


 小言ばかりのヌルリをカバンの中に閉じ込め、軽井澤駅で北陸新幹線を降りる。東京ほどじっとりと湿度がまとわりつくような空気ではない。けれど、蝉の声はうるさいし、暑い。避暑地とは言うものの、日本の夏はやはりどこも暑いのだ。

 人混みに紛れながら南口へ向かうと、そこに広がっていたのは、巨大なアウトレットパークだ。夏休みだからか子ども連れの家族が多い。もちろん、友達同士、カップルもいる。

 ヌルリの言う通り、確かに周りを歩いている客は皆薄着だ。私だって、部屋着とそう変わりない服装ね。仕方がない。だって暑いんだもの。あっっついんだもの!


「じゃあ、二時間くらい経ったら暴れてね」


 誰にも見えないように隠しながら、カバンからヌルリを取り出し、湖に放つ。ヌルリは「かしこまりました」と不服そうな返事をして湖に沈んでいく。

 さて、二時間。

 私はウキウキとしながらフロアガイドを広げる。目当てのお店はどこかしら!? 私、物欲はないけれど、「セール」や「バーゲン」という言葉には弱いし、「限定品」も好きなのよ。ペンギンマンの限定グッズが販売される、と聞いたら行かないわけにはいかないじゃない?


 ペンギンマンのコラボ商品が売っているブランド店には、列も人だかりもできていない。ラッキー。

 ペンギンマンに人気がないというわけじゃないわよ、きっと。西部地区のヒーローグッズを長野県で販売するという意味不明さが原因なのよ。ターゲットもコラボする店選びも展開地域も、色々失敗していると思うわ。悪の組織なら始末書モノね。

 ……でも、コアなファンは買うのよ。どんなものでもね。

 ブランドショップに入り、イワトビデザインの高級レザー財布を見つけて手に取る。黒と黄色の飾り羽が格好いいデザイン。隣にあったキーケースも、その隣にあったレザーキーホルダーも、カゴに入れていく。もちろん、値札は見ない。イワトビのグッズには惜しみなくお金を出す、それが私よ。


「ペンギンマングッズを五つ買っていただけるとぉ、限定のタンブラーがプレゼントになりまぁす」


 やる気があるのかないのかよくわからない抑揚の声で、薄いピンク色の服を着た店員さんが告知をしている。……なるほど、あと二つか。

 店内を見回して、Tシャツを見つける。リュニクロの悪の組織コラボTシャツが一枚なくなってしまったので、補充用で買っておくのもよいかもしれない。メンズのLサイズを手に取り、頷く。


「プレゼント用ですかぁ?」


 背後からピンク色の店員さんに話しかけられたので、「自分用で」と返す。

 レディースのMサイズだとどうしても収まりが悪くなるのよね、胸の。レディースLを着るよりも、少しダボッとした感じのメンズMやLを部屋着として着るほうがいい。

 もちろん、部屋着ではなく外へ出るときの服や勝負服ならきちんと胸を強調する衣服を選ぶ。今日みたいに、谷間を強調させるようなものを着るのが好きよ。見られる、って気持ちいいの。


「あぁ、確かに、お客様だとメンズのほうがいいですねぇ。レディースLでもキツイかもしれません。デザインは変わらないので、メンズMとLで比べてみますかぁ?」

「お願いするわ」


「ご試着はあちらですぅ」と店員さんが示してくれたので、それに従いフィッティングルームへと向かう。部屋着なのに寛げないものを買うわけにはいかないじゃない。

 ……にしても、どこかで見たことがある顔ね、店員さん。どこだったかしら? 芸能人だったかしら? 喋り方もどこかで聞いたことある。まぁ、私より綺麗な子はなかなかいないけど、赤峰林檎よりも可愛い子なんてゴロゴロいるのよね。

 考え事をしながらフィッティングルームにたどり着くと、目の前に緑色と茶色の男が二人立っていた。


「あれ、君は確か」

「茉莉花じゃないか」

「……緑青さんに、茶山さん、でしたっけ?」

「雷夢と栗栖でいいよ、茉莉ちゃん」

「こんなところで会えるなんてオレたちはやはり運命で繋がっているんだね」


 嘘でしょ。何で果物戦隊が――よろず屋がここにいるのよ? カメラ、全然気づかなかったわ。


「んー、やっぱ黒ってしっくり来ないわね。ペンギンマンのグッズに赤はないのかしら?」


 アデリーのTシャツを着てフィッティングルームから出てきた人物を見て、私は納得した。なるほど、雷夢と栗栖はお姫様のお守りか。

 赤峰林檎は私の姿を見て首を傾げる。変身前の姿では初めて会うのだ。変身後ではもう何回も、何十回も会っているのだけれども。


「初めまして、よろず屋の赤峰林檎さん。私は宇佐美です。先日、家がよろず屋さんのお世話になったので」

「あぁ、なるほど。それで二人と面識があったのね」

「林檎さん、黒もよくお似合いね」

「そう? あたしとしては赤以外はそんなに」

「アップルブラック、って結構クールな響きだと思うけど?」


 目を丸くした林檎を横目に、私はもう一つのフィッティングルームへと入る。「アップルブラック」はアップルレッドの裏アカウント名。林檎は驚いているはずよ。

 隣でこそこそと「何、あの女? あたし、あの女、好きじゃないわ」と雷夢と栗栖に食ってかかっている林檎に、笑いが込み上げてくる。丸聞こえなのは、意図的なんでしょうね。意地が悪い女がやりそうなこと。私は気にしないけど。

 私はパーカーを脱いで、タンクトップの上にTシャツを着る。うん、文句なしに、クールで着心地がいい。ショートパンツの上にダボッとしたTシャツを着ると、下に何も穿いていないように見えて、とてもセクシーだ。

 フィッティングルームのカーテンを開けると、まだ林檎の着替えを待っている雷夢と栗栖がいる。くるりと一周してみせると栗栖はわかりやすく目をハートマークにした。


「どう?」

「すごくいい!」

「最高!」

「スタイルいいねぇ、茉莉ちゃん!」

「付き合ってくれ!」


 あー、もー、気持ちいい。もっと言って。もっと褒めて。このときのために、日頃から鍛えているの。称賛される快感は、病みつきになる。


「……待たせたわね」


 お連れ様を不快にさせるほどの肉体美に鼻が高くなるわ。林檎の不機嫌そうな表情。スタイル維持のためにトレーニングしていて良かったと思う瞬間ね。


「ねぇ、宇佐美さん。それ、サイズが合っていないんじゃない?」

「いいの。これくらいじゃないと胸が窮屈になるから」

「……ほんと、大きくて羨ましいわぁ」

「小さいほうがいいんじゃない? 大きいと似合う下着も服もなくなっちゃうもの」

「へぇ、贅沢な悩みねぇ」

「まぁ、全くないよりは贅沢な悩みかもしれないわね」


 私と林檎の間にバチバチと火花が散る。争いたくはないのだけど、売り言葉に買い言葉。やっぱり、変身前でも赤峰林檎とは反りが合わないみたいだわ。


 サイズを確認し終えてフィッティングルームを出ると、林檎も雷夢も栗栖も姿を消していた。林檎が「あの女と一緒にいたくない」と我が儘を言って、先にショップの外へ出ていったのだろう。

 これで気兼ねなく買い物ができるわ、とTシャツを吟味する。あ、パーカー可愛い。ジップアップパーカーもある。えぇー、どうしよう? 二着とも買っちゃう? よし、買うぞー! 買って後悔するより、買わずに後悔するほうが嫌だもの!

 ウキウキしながらレジに並び、会計を済ませる。もちろん、限定品プレゼントもゲット。デフォルメされたペンギンマンとサメ貴族がデザインされたタンブラーだ。可愛い。

 果物戦隊と東部地区サウザンズが一緒にデザインされた商品は少ない。サウザンズ嫌いの林檎がいる限り、コラボは最低限のままに違いない。


「まさか茉莉花がペンギンマン好きとはね」


 店を出た瞬間に、会いたくない人から声をかけられた。林檎と雷夢はいない。待ち伏せしていたのは栗栖だけだ。しかも、眼鏡をかけてキャップをかぶっている。それで変装しているつもりなのかしら。

 この人、本当にしつこいわね! ヒーローのくせにストーカー? 警察に突き出すわよ! 特対室の二人にだけはもう会いたくないけど!


「ジャスミンバニーとして、それは大丈夫なの? 敵じゃん」

「私はジャスミンバニーじゃないわよ」

「まぁ、それはどっちでもいいんだけど」

「どっちでもいいなら口に出さない男のほうが好きだわ」


 栗栖は押し黙る。なるほど、今の一言は意外と効いたらしい。栗栖は無言で私の紙袋を取り、「付き合うよ」とスマートに隣に立つ。荷物持ちがいるのはありがたい。誰でもいいというわけではないのだけど、エスコートしてくれるなら甘えようじゃないの。


「じゃあ、冷たいものを食べたいわ」

「チョコレートショップのアイスクリームなら右、ジェラートなら左」

「じゃあ左ね」


 栗栖は文句を言わず大人しくついてくる。こういう態度があの「お姫様」を作り上げたのではないかしら。罪な男たちね、果物戦隊って。


 ジェラートの店で美味しそうなストロベリージェラートを選び、もう一つのバニラを栗栖に渡す。驚く栗栖は慌てて財布を取り出そうとするが、私の荷物が邪魔をしてうまくいかない。

 私は適当なベンチに座り、イチゴの酸味と牛乳のほのかな甘みを堪能する。栗栖が千円札を出してきたが、受け取らない。「荷物持ちの代金よ」と一言伝えると、ようやく彼はベンチの隣に腰掛けて溶けかけたバニラを一口頬張った。


「……美味い」

「モンブランとかフルーツが入ったもののほうが良かった?」

「いや、そういうのはもう勘弁してもらいたいね」


 栗とか果物のなんちゃら大使なんかに就任しちゃうと、大変ね。オフの日に外出してもなるべくフルーツを食べないと周りの目が気になるそうよ。「バニラなんて久しぶりだ」と栗栖は笑う。

 眼鏡とキャップの効果か、栗栖があの果物戦隊とよろず屋の一員だと気づく人はいない。皆、他人よりも自分の目の前の楽しみに心奪われている。そういう、キラキラしたものが集まる場所なんだろう。


「茉莉花は仕事楽しい?」

「楽しいわよ。栗栖は楽しくないの?」

「オレも二十七だから、そろそろ転職を考えないといけない時期でさ」

「果物戦隊辞めるの?」

「それも視野に入れてる」


 なるほど。果物戦隊も四年目。戦隊モノにしては息が長いほうだ。しかし、もうメンバーに未成年はいない。今年、黄木檸檬が成人したはずだ。将来を見据えて世代交代をするのを考え始める時期だというのだろう。

 悪の組織は、一応は、敵対する正義の味方に合わせて出撃させる戦闘員サウザンズを変える。しかし、正義の味方が代替わりしても、悪の組織の幹部が変わることはほとんどない。正義の味方とかぶらないように名前を変えることがあるけど、それも稀だ。

 だから、果物戦隊が解散するかもしれないと聞いても、私は驚かない。私の仕事が終わるわけじゃないんだもの。

 目の前に広がる芝生広場で子どもたちが鬼ごっこをしている。楽しそうな笑い声がそこここから聞こえる。

 まぁ、実に――。


「平和だなぁ」

「……そうね」


 栗栖に先に言われてしまったので相槌を打つ。

 実に平和だ。ここに悪の組織の女幹部と正義の味方の一員がいるとは思えないくらい平和だ。しかも二人はジェラートを食べながらぼんやり外を眺めている。何とも平和だ。


「キミたちは本気で世界を征服するつもりなの?」

「何のことだか」

「そうやってとぼけるのはナシにしてよ」


 いやいやいや。そういう問題じゃないわよ。正義の味方に悪の組織の事情をペラペラ喋る女幹部なんていないでしょ。バカなのかしら?


「悪の組織が世界征服をしないなら、オレ」


 あぁ、ストロベリージェラート美味しかった。


「果物戦隊辞めて悪の組織に入りたいんだけどな」


 紙くずを捨てようと立ち上がって、私は、思わず「バカなの?」と口にしてしまっていた。栗栖は目を丸くしている。彼はバカなのよね、きっと。


「茉莉花!」


 慌てた表情の栗栖が叫ぶのと、私の体が浮くのは、たぶん同時だったように思う。ジェットコースターに乗ったみたいに、すごい勢いで栗栖が遠く、小さくなっていく。

 私、いつの間にジェットコースターに乗ったの? ――なんて、ボケている場合じゃないわね。

 眼下に逃げ惑う人々と無人航空機カメラを確認。そして、腹のあたりの衣服が溶けていく感触に気づいて、私は叫んだ。


「栗栖! イワトビグッズは死守してぇぇ!! 汚したら許さないからぁぁ!!」


 触手怪獣ヌルリはピンク色の触手で器用に女の子を捕らえながら、衣服を溶かして「美味いなぁ!」と叫ぶ。あれだけ夏の服を嫌がっていたのに、なんて変わり身の早さ!

 それにしても、ヌルリのことをすっかり忘れていた。完全に私の落ち度だわ。

 グッズ、早くコインロッカーに預けておくんだった!




▼▽▼ 問題(7) ▼▽▼

正義の味方事務局への電話番号は。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る