第9話 匠なバニーさん(人狼)
「……空き部屋を?」
「そう。こんな感じにしたいんだけど?」
「ふぅん」
技術部長のタイガーに写真を何枚か見せ、図案を広げる。けれど、タイガーは写真も図案もろくに見ずにモニターばかり見て生返事だ。何をしているのかと覗いてみたら、化学式や何かの記号ばかりが並んでいてさっぱりわからない。
「……何、それ?」
「補充用のサウザンズ。触るなよ」
「補充用?」
どうやらサウザンズの遺伝子配列やら構成組織やら、らしい。私には全然理解できないけど。
……あ、なんか、どこかの記号に触れちゃった。文字が変わった? そんな気がするけど、まぁ、気のせいよね? 記号が変わったくらいで、おかしくはならないわよね? タイガーに怒られたくないから黙っておこうっと。
「北部で必要になったんだと。夏の雪だるまんは戦闘員に容赦しねえからな」
「長時間外にいると溶けるんだっけ?」
「短期決戦だから、力加減を間違うんだとよ。ストレス発散でサウザンズを大量破壊すんの、やめてほしいよな、まったく」
大量殺人、の間違いではないの? ――なんてタイガーに言ったって仕方がない。使い捨てられるサウザンズは多い。あとからあとから湧いて出てくる戦闘員に、自分たちと同じように命があると思っているヒーローなんていない。
サウザンズの命は、軽い。世間からも、悪の組織リーダーズからも、正義の味方たちからも、軽く見られている。補充すればいい、そんなふうに考えられている。
私はそうは思わないから、リーダーズの一員であってもなるべく戦闘には参加している。サウザンズに余計な怪我を負わせたくないもの。……もちろん、リーダーズの中では少数派の考え方だ。
「だから、今、補充用を造っている最中で忙しいわけ。空き部屋なら好きに使っていいぞ」
「端材とかも?」
「余ってるやつなら好きにしろ」
念のため、空き部屋の使用許可にタイガーのサインをもらっておく。彼は物忘れが酷い。「そんなこと言ったっけ?」が口癖だ。
「じゃあ、空き部屋、好きにするわねー! 内装も変えちゃうわねー!」
「おい、バニー、それは許可してねえぞ!」
「許可もらいましたー!」
退室しても、タイガーは追いかけては来ない。彼の中で「許可してはいないけど、追いかけて訂正するのは面倒だ」と結論が出たのだろう。そういう人だ。そして、すぐ忘れるのだ。
空き部屋の内装の変更は、最初は技術部の皆にやってもらおうと思っていたけど、どうやら難しそうだ。技術部が無理なら、サウザンズの出番。
「リフォームに興味がある人!」と寮の共同スペースで人手を募集したら、「DIYが趣味」「リフォーム番組を欠かさず見ている」「暇」と、挙手をしてくれるサウザンズがたくさんいた。
リフォーム番組の影響か、皆が皆「匠」になりたがったので、ノアとヨセフのカーペンターズ兄弟に現場監督を命じて、図案通りにリフォームするよう指示を出す。ま、兄弟の匠がいてもいいでしょ。他のサウザンズも「カーペンターズ兄弟なら」と納得してくれたし。
「水回りの資材はどうする?」
「解体直前の住宅展示場からもらってくる」
「あぁ、いつものところか」
兄弟から物騒な会話が聞こえてきても気にしない。まぁ、私たちは「悪の組織」だからね。多少の犯罪行為には目をつぶるしかないわよね。まぁ、都合のいいときだけ悪の組織を名乗るのもどうかと思うけど。
ふと、空き部屋の周りをウロウロしている人影に気づく。仲間に入りたいのかしら、と思って近づくと――。
「……ワルヴ?」
「わ、わ、バニー様!?」
そこにいたのは……なんと言うことでしょう、ハンディタイプのビデオカメラを持った人狼、ワルヴだったのです。
……いや、まだこのナレーションには早いわね。まだリフォームは始まったばかりよ。匠たちはまだ何も驚くようなことはしていないわ。
「何、しているの?」
ちなみに、ワルヴがアップルレッドと外泊、朝帰りをしてから初めて彼と会話をしている。いつもなら、耳やしっぽのモフモフ具合を堪能するところなのだけど、ぐっと堪える。誘惑のモフモフ……を、めちゃくちゃ我慢する。
ほら、暑いし。まだ夏毛だし。犬って嗅覚が鋭いから、他の女の匂いとか嫌かもしれないし。つまりは、私なりの配慮なのだ。
「あ、これは、その、撮影を……」
「撮影?」
そのビデオカメラでいかがわしい動画を?
「何、を撮っていたの?」
「それは、その、なんて言うか」
ワルヴはばつが悪そうに、灰色の毛をかく。そして、しばらく視線を漂わせたあと、覚悟を決めたのか溜め息を一つ吐き出して、私を見つめた。
「すんません、バニー様! オレ、どうしてもこの道で食って行きたくて!」
どの道? いかがわしい道?
「やり始めたら、魅力にハマってしまって」
ヤリ始めたら、アップルレッドにハマった?
「詳しい人にノウハウも教えてもらって」
ベッドの上で、アップルレッドに、どんなレクチャーを受けたの!?
「だから、オレがどこまでできるのか、挑戦してみたいんだ!」
デキ……!? もうそんな関係!? ワルヴがアップルレッドと夫婦になって、正義の味方に寝返るルート!?
「ダメよ、ダメよ、ワルヴ! 見る目がないわ、あなた!」
「手伝ってもらったんで、大丈夫! いやぁ、初心者にも使いやすくて良かったぜ!」
レクチャーの! 中身を! 教えなさい! 最初から道具に頼るなんて、邪道だわ!
「ワルヴ、あのね、アップルレッドになんて丸め込まれたのかはわからないけど、彼女は正義の味方よ? 私たちの味方ではないの!」
「知ってるよ、でも、親身になってくれたぜ! やっぱ正義の味方って伊達じゃねえんだな!」
ダメだ、これは完全に入れ込んでいる。もう説得は無理なのかしら。嫌だわ、このモフモフがいなくなってしまうなんて。
「……バニー様は反対なのか?」
「ええ、やっぱり上司としては承服しかねるわ」
悪の組織の一員と正義の味方の一員の恋を、応援したくないわけではない。障害があればあるほど燃え上がる恋だとも知っている。
でもねぇ、やっぱり理屈じゃないのよ。
「バニー様、ダメですか?」
その声は、ワルヴのものではない。周りから聞こえた。見ると、トンカチや板を持ったサウザンズたちが心配そうに私たちを見つめているのだ。
「ワルヴが初めて見つけた趣味なんす!」
「あいつ、貯金を全部使っちゃって」
「本当にダメすか?」
「いいモノ、作るんすよ、意外と!」
「一回見てやってくださいよ!」
やだ、サウザンズたちは皆ワルヴの味方なの? 応援しちゃうの? 敵同士になるかもしれないのに、本当に応援しちゃうの?
「みんな……!」
ワルヴ、感動していないで。私が泣きたいくらいだわ。
……ん? いいモノ? 見る?
「キミ・チューブで動画を配信したら、何万人もの人間が見てくれたんすよ!」
「このリフォームの様子も、きっとウケますよ!」
「サウザンズの日常生活、意外と興味のある人間が多いみたいで!」
……ごめん、頭を整理しなきゃ。理解が追いつかない。
「ワルヴは、アップルレッドと一緒、だった?」
「おう、キミ・チューバーの緑青雷夢を紹介してもらったぜ!」
「蜂王子のよろず屋に行った?」
「おう、雷夢に撮影のコツとか編集のやり方を教わりにな!」
「ビデオカメラでキミ・チューブ用の動画を撮っている?」
「悪の組織チャンネル、大人気だぜ!」
……なるほど、わかった、そっちね。そっち。ちょっと、一度、叫ばせて。
「紛らわしいわ!!」
サウザンズたちは飛び上がり、私はスッキリする。
んもう、紛らわしいじゃないの!!
「ワルヴ、何日前から配信しているの? チャンネル登録者数は?」
「一昨日から始めて、動画は三つ、登録者数はまだ五千人くらいかな」
「編集はワルヴが?」
「一応。パソコンも買ったぜ!」
「よし、カーペンターズ!!」
ノアとヨセフ兄弟が言い争いながらやってくる。喧嘩が始まったみたいね。そう、匠は一つの場所に二人は必要ないの。こうして意見が対立するから。
「ノアとヨセフ、どちらかがこの現場を仕切って。で、もう一人はもう一つの現場に行ってもらいたいんだけど」
「もう一つの現場?」
訝しげなサウザンズたちを前に、私は高らかに宣言した。
「スタジオを作るわよ! ヒーローチャンネルや緑青雷夢に負けないくらいの番組を配信しましょう!」
ワルヴが泣き崩れ、他のサウザンズたちがガッツポーズでそれぞれ喜びを表現する。それを見て、私は気づくのだ。外の世界――地上と、人間と、接点を持ちたがっているサウザンズは多いのではないか、と。
それがサウザンズの居場所になるなら、それもいいのかもしれない。
「……お呼びですか、バニー、様」
消え入りそうなほど小さな「様」をつけたのは、メドゥーサのメディだ。ふてぶてしい態度を崩さないのは、相変わらずだ。アナちゃんズも私を警戒している。彼女たちが私の正体に気づいているのかどうなのかはわからない。匂いで気づいているのかもしれないけど、メディには伝えていないみたい。
「メディに頼みたいことがあるのだけど」
「何ですか。出撃ですか? いつですか? 早めに計画書をください」
「まぁ、ついて来て」
メディをリフォームが済んだばかりの空き部屋に案内する。寮に近い、けれど奥まったところにある空き部屋には、ほとんどのサウザンズが寄り付かない。だから空き部屋になっていたのだけど。
「……何ですか」
「ドアはちょっと大きめだから出入りはしやすいかしら。装飾はヨセフと相談してちょうだい」
どんなドアがいいのかわからなかったので、今はシンプルな木製のドアがついている。看板も装飾も何もない。メディの好きなようにしてもらいたい。
ドアを開け、電気をつけてメディを招き入れる。
「……わ、ぁ」
アナちゃんズが、ぶわっと立ち上がる。興奮しながら、あちこちを見る。「なんと言うことでしょう」と心の中で白蛇のアテレコをする。
一枚板の大きなカウンターに、壁面には酒の瓶が並ぶ棚が造り付けられている。いくつかのテーブルとソファがあり、椅子に座らない客用のスペースもある。
昔、どこかのホールで使われていたミラーボール、カラオケ……中古品だけどまだまだ使えるものを自称「空き部屋の義人」ことヨセフが手配してくれた。通り名のセンスは皆無だったけど、内装のセンスは抜群だった。
「メディに、この店を任せたいんだけど、引き受けてくれる?」
「……えっ?」
「最近サウザンズが地上で飲酒による不祥事ばかり起こしているから、基地にもお酒を飲むことができる場所を作りたかったの。でも、私はママにはなれないから、メディにお願いしたくて」
「なんで、あたし、なの?」
「だって、メディ、聞き上手じゃない。優しいし、気配りもできる。あなた以外にママができる人材が思いつかなかったわ」
私が奪っていた、メディの居場所。彼女がここを居場所だと感じてくれればいい。彼女や酔っ払いを閉じ込めたり隔離したりする意図はないけど、地上で泥酔するよりはここで楽しんでもらいたい。
「とりあえず、今並んでいるお酒は私のポケットマネーで支払っておいたわ。開店祝いということで」
「バ、バニー、さま」
「大赤字にしないように頑張ってね」
「はい、っ、ううっ」
大きな肩を揺らして、メディが泣く。石化を解くための涙がボタボタ落ちるのは何だかもったいない気もする。
「やだ、泣かないでよぉ」
「べ、べつに、泣いてなんか!」
「はい、ハンカ――」
私、ハンカチ、と言いたかったのよ。ハンカチをメディに手渡して、涙を拭いてもらいたかったのよ。
涙に滲む、金色の瞳を、見ちゃったのよね。あ、宝石みたい、と思った瞬間に、ピシッと体が固まっちゃったのよね。
「……バニー様? バニー様!? やだ、石化しちゃってる! あっ、涙、涙!」
メディがメドゥーサだってこと、忘れていたわ。体は動かなくなるけど、脳は正常に働いているみたい。何だか不思議。メディの声が遠くに聞こえる。
「あぁぁ、涙、引っ込んじゃった!」
うん、だから、あなたの手についている涙を……涙を……あ、拭いちゃったのね、服で。
「今すぐ涙のスプレー持ってくるから!」
あー……行っちゃった。サングラスしないまま行っちゃった……これ、被害が拡大するわね。
「あのメディを泣かせるなんて、さすがバニー様だぜ」
ローアングルから撮るんじゃない、ワルヴ。視界の隅で見えてるわよ。舐めるように撮るんじゃない。バカ。エロ狼!
あ、あと匠のヨセフも、協力してくれたサウザンズも、ちゃんと紹介してあげなきゃね。お店の名前も決めなきゃいけないしね。やること、まだまだあるわよ。
私はハンカチを差し出したまま、笑う。
石になると、なぁんか……考えるの、やめたくなっちゃうわね。
▼▽▼ 問題(5) ▼▽▼
「メドゥーサ」のメディの髪蛇たちの名前は。
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