第2話 疲労というには

 イルキラ魔兵商会という案件は、ここ最近でも特別大きな案件ではあった。

 だが、それだけでリクシーナが回るほど小さな会社ではない。

 数多くの小口の案件を抱え、それらの入金チェックや取り立て、融資の相談に走り回ることが窓口課カスタマーの日常で、案外体力を使う。

 ヴェルムもある程度は体力がある。

 彼自身が化け物と評している、無尽蔵に暴れ回っても平気な顔をしているシャムレナには遠く及ばないが、一般的な若者よりは体力があるつもりだ。

 そして、彼の部下である十五歳の少女は、彼以上に体力がある、はずなのだ。

 だが、その少女、メイフィはここ数日見て分かるほどに疲労している。

 頭も回ってはいない。

 それが仕事に影響が出始めている。

 おそらく、でよいのなら、原因は分かる。

 食費が尽きかけているのだろう。

 仕様のない奴だ、と思う。

 だが、仕様のないことだ、とも思う。

 ただ、ほんの少し前に親と永遠に引き離された、誰も助けてくれない少女に、いきなり自活しろ、計画的に生活しろ、と言っても無理だ、それは理解している。

 だから、泣きついてくれば、いくらでも融通を利かせようかと考えてはいた。

 だが、ああいう少女は、くだらないプライドを持っていそうではある。

 何も言っていないのに、勝手に融通を利かせば、自分が自活も出来ない子供だと思われていると怒りそうだ。

 ならば放っておけばいい、とは思うものの、やはり部下のパフォーマンスが低下しているなら向上させる必要があるだろう、と、理由を付けて帰りに食事をさせたりもした。

 その日はある程度向上したのだが、やはり次の日になるとまた疲れている。

 基本、体調管理は個人の責任ではあるので、放置しておけばいいのだが、何しろ彼女の教育をきちんとしなければ、自分の責任にも関わるのだ。

「メイフィ、昼からアルラ領に行くが大丈夫か?」

「え? あ、はい、大丈夫です……」

 明らかに注意力が散漫になっている。

 これを連れて行くのは彼女のためにも先方にも良くない。

 置いて行くべきだろうか?

 体調の悪い時は、仕事において重要な局面でない限り休む、というのは一つの体調管理でもある。

 それがまだ自分で出来ないのなら、こちらで調整してやるしか──。

「入るぜ?」

 ばん、と勢いよくドアが開けられる。

 ドア近くの課員が、びくん、と驚くほどだ。

 そしてドアの向こうから現れたのは、ここに来ることがまずありえない人物だった。

 シルバーの長髪に褐色の肌。

 下半身がホットパンツ型という、肢体の美しさを強調する選択である以外は、まるで式典の軍人のような勇ましい軍礼服を纏っている美形。

「シャムレナか。珍しいな、お前からくるとはな」

「ったく、窓口課カスタマーは相変わらずクソ静かで面白味もねえなあ」

「仕事中に笑い声が漏れる方がおかしいのではないか?」

 シャムレナの言い分は真っ当ではあるが、ヴェルムの言い分が正論である。

「てめえとは何一つ分かり合えねえみたいだな。まあいい、今日はてめえに文句を言いに来たんだよ」

「何のことだか大体分かるが、一応聞こうか」

 普段なら文句を言いに来ることですら話したくない、顔も見たくないというヴェルムに、わざわざ文句を言いに来たシャムレナ。

 となれば、言いたい事は一つしか思い当たらない。

「メイフィの事だよ! てめえ、本人に間違って伝えやがったな!?」

 掴みかからんばかりに激怒しているシャムレナ対し、いつも通り何の動揺もないヴェルム。

「私は一切嘘を言った覚えはない。情報を切り取って伝えただけだ。それをどう取るかは、私が関知する問題ではない」

「てめえっ!」

 どん、と、ヴェルムの机を、壊れんばかりに叩くシャムレナ。

「それでメイフィの心がうちから離れたらどうするんだよ!?」

「離れたらそれまでだろう。感情のみで動くことは危険だ。自分の能力を最大限活かせる部署を──」

「んなことどうでもいいんだよ!」

 シャムレナは、振り下ろせばヴェルムが死ぬのではないかと思う程、拳を握りしめ振り上げる。

 ヴェルムはだが、ただ、ため息を吐くだけだった。

「決めるのは彼女ではない。私が報告して部長が決めるのだ。そちらには詳細間違いなく伝えている。それで問題ないだろう」

 実際はヴェルムが決める、という事は最後まで言うつもりはない。

「…………っ!」

 シャムレナは動きを止める。

 彼女の計算が狂ってしまったのだ。

 もちろん彼女はヴェルムを殴るつもりはない。

 勢いよく乗り込んで来て、課長に掴みかかったが、そのつもりは全くない。

 そこまですれば窓口課カスタマーの誰かが止めてくれるものだと思っていたのだ。

 この場にはメイフィもいるから、他の誰が止めなくても、彼女が止めてくれると予定していたのだろう。

 ヴェルムは良くも悪くもシャムレナとは長い。

 だから、彼女が脅すように怒鳴っても、暴力は振るわないと分かっており、平気になっているのだ。

 だが、誰も止めない。

 メイフィですら、止める様子もない。

 誰も止めないのであれば、振り上げた拳は振り下ろすか、静かに下ろすしかないのだ。

 そして、シャムレナは殺しそうな目つきのまま、後者を選ぶ。

「ちっ! メイフィ! 絶対うちに来いよ!? うちに来ないなら辞めるって言えよ?」

 ヴェルムから目をそらし、メイフィに向かって言う。

 それは、ヴェルムに対する当てつけでもある。

「え? あ、はい、分かりました」

 メイフィの応えは、ヴェルムもシャムレナですら、予想してたものではなかった。

 らしくない、ではない。

 気がないのだ。

 目の前で繰り広げられていた、次長と課長の喧嘩。

 それも、自分の所属に関する喧嘩を、まるで他人事のように見ていた。

 気にすらしていなかった。

 言った本人のシャムレナですら、様子を確認している。

 ああ、これはもう駄目なようだな。

 ヴェルムはそう判断せざるをえない。

 午後からの出張には連れて行くべきではないだろう。

「ああ、それと、忘れてたが」

 気を取り直したシャムレナが、手提金庫セーフティーボックスを取り出す。

「お前、それは──」

「これ、返す。うちの金庫が一杯になったからな」

 昨日、メイフィが頼みに行って預かったもらっていたイルキラ魔兵商会からの担保が入っている手提金庫セーフティーボックス

 本来なら一番安全な金庫に収納されているそれが、眼前に返されていた。

「昨日の今日で金庫が満杯になるわけがないだろう。一度預かった以上、責任を持て」

「知らねえな。昨日はメイフィのメンツを潰さないように預かりはしたけどよ、こんなもん預かる義理はねえだろ?」

「……こんなことをして何のメリットがある? 私に恩を売っておいた方がいいのではないか?」

 ヴェルムはため息交じりに言う。

「そんなもんどうでもいいんだよ。私はてめえが困るならそれで幸せなんだ!」

 そう言うと、用は済んだとさっさと出て行った。

「理解できんな……。仕方がない、これは諜報課ラクシルに預かってもらうか。メイフィ、行ってきてくれるか?」

「え? あ、はい?」

 メイフィは、まるで聞いていなかったかのように、返事をする。

 これが平時なら彼女以外の課員にもよくある話だ。

 彼らにはやる気がほぼない。

 だが、ついさっきまでシャムレナが来て、怒鳴っていて、しかも宝石を置いて行く嫌がらせを目前で見ていた今となっては、聞いていない、という方がおかしいだろう。

 現に他の課員は全員聞いていたし、震えている者もいる。

 こんな者に、使い走りとは言え、重要な宝石を預けるのは心もとない

「いや、私が諜報課ラクシルに行って来よう。お前は午後の出張は付いてこなくていい。仕事も済ませるだけ済ませて、今日は定時に帰れ」

 そう言って、ヴェルムは、手提金庫セーフティーボックスを持って窓口課カスタマーの事務所を出た。

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