第10話 契約成立

「これは専務。今日はお一人ですね?」

 翌々日、再びイルイラ魔兵商会を訪問するヴェルム。

 出迎えたのは専務一人だった。

「彼女は研究が忙しく時間が取れませんでした、申し訳ございません」

「いえ、こちらこそ、今朝になっての急な訪問依頼に応じていただきありがとうございました」

 前回と同じ応接室に通されたヴェルムは一通りの挨拶を交わしてから座る。

「それで本日はどのようなご用件ですか? 融資に関して何か問題が?」

「いえ、問題という程ではありませんが、上の方から一つ指摘がありまして、確認をしたいと存じまして」

 そう切り出すヴェルム。

 実際のところ、融資営業部次長であるヴェルムが許を出せば、上が融資を渋ることはほぼない。

 それが例え巨額の融資であったとしても、彼のこれまでの実績から、上は彼の許否を信頼している。

 融資の決定に関しては、融資審査部という部門で行われるが、彼の案件がこれまで否決されたことはない。

 つまりは、彼の許否が融資を決定するため、「上の指摘」というのはただ「自分が気になった事」の確認でしかないのだが、こういう言い方をした方がことが円滑に運ぶことをヴェルムは経験から知っている。

 彼は落ち着いてはいるし、年齢より大人にみられることは多いが、それでも十八歳の少年であり、特に三十代以上の男性には信頼されにくいし、説得力に欠けると思われる。

 であるから、こういう場合、使い走り感を出した方がいいのだ。

「それで、御社の方はどこ点が気にかかると?」

「呪い術式の件ですね。あれを私も専務と同様、『毒』と表現してしまったために、『これの解毒剤はあるのか?』と訊かれました」

「解毒剤、ですか」

 専務は毒と表現したものの、それはあくまで表現であり、実際は呪いである。

 それは既にヴェルムも知っている。

「もちろん私はそれが術式であることを理解しているのですが、『解毒出来ないとミスした時に困るだろう。欠陥品扱いされないか?』と指摘されました」

 その上で、訊いたのだ、これは解除できるのか、と。

「うーん……あれは呪詛術式ですからね。解毒剤、という表現は正しくはないかと思いますが」

「存じております。その上で、呪詛を解除出来る方法はあるのでしょうか?」

「過去に研究し、ある現象に気づき、研究を始めたことはあります。ただし、切迫する予算の都合と、『容易に解除出来てしまっては商品価値が下がるのでは?』という意見もあり、開発は保留状態ペンディングとなっております」

 傀儡諜報員パペットエージェントの開発は想定以上の資金が投じられている。

 おそらくこれはイルキラでも考えられていなかったのだろう。

 当初は多岐にわたって研究・開発を行う予定だったのだろうが、予算の先が見えてくると、脇の研究は徐々に後回しや中止の憂き目に遭う。

 解毒剤などは、極めて末枝の研究で、予算に陰りが見えれば、早い段階で打ち切られたのだろう。

「ちなみにどのような解除方法ですか?」

「これは極秘だと思っていただきたいのですが……対象者を心から愛する者のキスによって、呪いは解除されます」

 キス、とは、ヴェルムもその存在を否定することはないが、自分としては何の益ももたらさない無駄な行為だと思っている。

「随分とロマンチックな解除法ですね。彼女レイナさんがそうしたのですか?」

「いえこれは偶然見つけたものです。元来キスは呪術に頻繁に登場する行為ですし、古来より呪術の解除には極めて有効な手段の一つです」

 ヴェルムは呪術に詳しいと言えるほどの知識はないが、それでも昔からの物語を紐解くと、キスによって呪いが解けた、という童話は数多く存在することは知っている。

 あれは物語の演出だと思っていたのだが、確かに世界中に同様の童話が同時に存在するという事実は、それに何らかの効果があると考えることが誤りとは言えまい。

「その現象がある以上、その現象をうまく利用しての解毒も可能と考えて研究しておりましたグループが存在します」

「なるほど、でしたらそのグループにはそちらの研究に戻ってください」

「はい?」

 驚く専務に次の一手を考える。

 この会社が恒久的な顧客になれば、社にとって大きな利益となる。

 ならば、先方のビジネスプランに、プラスワンを追加する相談役コンサルタントを担おうではないか。

「そして、先ほどの呪術の解除法も含めて解毒剤の存在は一切の機密にしてください」

「……どういうことでしょうか?」

 不思議そうな専務。

「おそらく、これを世界中に売り出せばどこかの国が、毒に侵された兵士を何とかしてくれ、と言って来るでしょう。そうしたら、治すのです。高額の治療費を請求して」

「なんと! それは凄いアイディアだ!」

 専務は立ち上がって叫ぶ。

「これはまあ、発売後の話なので我々とは関係ありませんが、万が一を想定して研究を先んじてはいただけませんか?」

 万が一、とは、思いの他、売り上げがなかった場合の話で、巨額の融資であるため、十全の対応を促したいのだ。

「分かりました、そのように手配いたします」

「ありがとうございます。おそらくこれなら上も大丈夫でしょう」

 ヴェルムはそう言うと、専務から差し出された手を掴み、握手をした。

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