第9話 銛と網亭のお説教2
「……くだらない昔話をしようか」
もどかしい様子は態度に出ていたようで、ヴェルムがため息交じりにそう続けた。
「え?」
メイフィは軽く驚く。
目の前にいるヴェルムは冗談や内容のないくだらない話は嫌いだし、昔話など冗長が過ぎるなどと言いそうな奴が、自ら「くだらない昔話」をこれからするのだと前置きをした。
「私の両親は貴族で、私も十歳の頃までは裕福に暮らしていた」
「え? ヴェルムさんが、ですか……?」
「似合わないと言いたいのは分からなくもない。だが子供の頃の話だ」
似合わないとは言っていないし、そうして考えると、歳のわりに落ち着いた物腰は、子供のころから貴族として教育されてきたのだと納得できてしまう。
「だが、ある日、私は親から引き離され、一人になり、家も失った。その時はただ、理不尽な運命を嘆いたものだが、どうも父親が事業を興そうとして失敗したのだと知った。それで金融会社に連れて行かれたようだ」
「…………」
「自分で調べたところによると、父親はどこかの王国の錬金術師に人体実験とされたようだ。母は歳の割に美しかったからか、元貴族の女として
とある貴族の一族に訪れた一家離散と凄惨な末路。
それを、息子が、何の力もなく、翻弄されただけの本人が、表情も変えず淡々と語る。
「人の運命は金の有無だけであっさり決まる。金によって運命が操られる。ならば私は金に一番近い位置にいよう。そう思った。だからまだ子供だった私はリクシーナ金融社の門を叩き、受け入れてもら──」
「いやいやいやいや!」
淡々と語るヴェルムに、思わず突っ込みを入れてしまうメイフィ。
「どうしてそうなるんですか? 自分がそうなって辛かったんですよね? だったらどうして人に同じことをするんですか?」
ヴェルムの生い立ちが不幸なのは理解した。
それは同情すら出来る。
だが、そこからリクシーナへ入社する流れがどうしても理解出来なかった。
なんだ、「金に一番近い位置にいよう」って?
そこにいれば不幸になっていく人をずっと見続けることになるのではないだろうか?
「同じことをするも何も、私は職務を全うしているだけだ。金を貸す、返さないから担保を受け取る。それだけだ」
「そうなんでしょうけど……どうして、自分と同じ目に遭う人を見る仕事に就いたんですか?」
「金の近くにいれば、金は失われない。それに気づいたからだ。大金は他の金を呼び寄せる。小銭は大金に呼び寄せられて行ってしまう。そのルールに気づいたのだ」
ちょっと意味が分からない。
自分が馬鹿なのは理解している。
だが、何か話が決定的にずれていないか?
そもそも、これは何の話だっただろう?
おそらくこの人にとって話は一ミリもずれてはいないのだろう。
だとすれば──。
ああ、そうか。
メイフィは気づいてしまった。
おそらく動機を理解してしまった。
出来れば、そうあって欲しくはない。
この人にも人間味があって、私も「ヴェルムさんも人間なのね」と思いたい。
尊敬するかどうかは別にしても、機械のような上司であって欲しくはない。
だが、もう訊かずにはいられない。
「……それが一番合理的、だからですか?」
「その通りだ。よく分かったな」
ああ、やはりだ。
この人は十歳の時に、両親が連れ去られたにも関わらず、最も合理的な方法を模索して、実行したのだ。
両親がどうなったかを確認したにもかかわらず、消息を確認していないのも、おそらく、非合理的だからだろう。
何なのだ、この人は?
上司であることを考慮して、控えめに言ったとしても、合理の化け物でしかない、気持ち悪い。
感情的な部分、生理的な部分での嫌悪感。
自分が十歳の時、何をしていただろう?
自分が親と引き離されたのは最近、つまり十五歳だ。
あれが十歳の時だったら?
まだ、親と暮らし、親に依存していたあの頃、引き離されていたらどうなっただろうか。
親から見れば生意気な子だっただろうが、遊びの事と、ムカつく友達の事、おいしい食べ物のことくらいしか考えていなかった。
その時、親と離れたら、誰かが何かをしてくれなかったら、飢えて死んでいたか、コソ泥でもして、そのうち捕まって殺されていただろう。
少なくとも「金の近くにいるべきだ」などとは思いつきもしなかっただろう。
そして、それに関しては、私の方が一般的だと思う。
この人は、おかしい。
「誤解しているようだが、私もその時は幼く、ただの少年の感性を持っていた」
メイフィの表情から察したのか、ヴェルムが言葉を加える。
「ただ、必死ではあった。何もかもが一日でなくなったのだ。それまで優しかった使用人が、先を競って家の調度や物を持ち去った。私は着ていた服まで奪われたのだ」
「え? そ、それはつまり、裸って事ですか?」
「……それは重要なことか? まあ、下着一枚にはなったが、使い古しのシャツは奪われなかったのでそれを着たのだが」
怪訝な表情のヴェルム。
まずい、リーナさんの影響で、彼が虐待を受けていると聞くと、裸で屈辱に耐える彼が頭に思い浮かんでしまう。
いや、違う。
別にこれはただの癖であって、そういう趣味はないのだ。
うん、多分、ないのだ……。
「話がそれたな、私が言いたかった事は、美しく生きる、気高く生きる、というのは何もしなくても生きていける環境にある人間のみが享受出来るという事だ」
屈辱の表情の消えた、いや、元からそんな顔などしていなかったヴェルムが続ける。
「我々の選択肢は、醜く生きるか、気高く死ぬか、その二択だけだ」
「分かり、ます、けど……」
ヴェルムの言いたいことは分かる。
我々は生きるために理不尽な目に遭わなければならない。
それを避ければ、生きては行けない。
惨めに生きていくか、それが嫌なら死ぬしかない。
だが、それは二択だろうか?
「それでも人は、自分の出来る範囲内で美しく生きる事は出来るんじゃないですか?」
生きるか死ぬか、そう訊かれれば確かに二択だ。
だが、「醜く生きる」か「気高く死ぬ」は二択ではない。
その両極端の二つの選択肢の間には、無限の選択がある。
それは、悩んで選ぶものではないかも知れない。
必死に歩んで、最後に妥協するものかも知れない。
どっちつかずで、両方とも達せられないかも知れない。
だが、それはあくまで結果であって、そこに達するまで、もがいて行くのが人生なのではないだろうか?
「……そうか」
ヴェルムは遠くを見るような目で、メイフィではないどこかを見つめていた。
その言葉には、特に肯定的な響きはなかったが、否定的でもなかった。
そしてそれは、どう反論するかを考えているような表情でもなかった。
「お待たせいたしました。オードブルとなります!」
そんな微妙な空気を消し飛ばすような元気な声。
扉が開き、ウェイターが料理を運んでくる。
「わあ、いい匂い!」
思わずメイフィは声を上げてしまった。
ヴェルムは呆れたような表情をするが、食事を始めることに異論はないようだ。
その後、ビジネスマナーに関する説教は延々と続いたが、先ほどの話の続きはなかった。
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