皇国の盾
小早川
第1話 プロローグ
太平洋 大日本帝国南洋地方、
周囲二百キロに及ぶ世界最大級の堡礁・
中心となる夏島には埋め立てにより、航空母艦を収容、整備可能なドックを含めた海軍施設や三千六百メートル級の滑走路がV字に配置された航空基地が整備されており、周辺の春島、竹島等を鉄道も通る連絡橋で繋ぎ、離島としては高度で先進的なインフラが整えられていた。
海側からそれらの島を見ると近代的に発展した軍港街で、日本からはるか三〇〇〇キロ離れた離島とは思えない沿岸部となっている。
環礁内は航空母艦が全速航行しながら艦上機を発艦させられるほどの広さがあり、現在も曇天の空の下でも南国の美しいトルマリンブルーの内海を帝国海軍の艦艇が継続的に航行している。その環礁の中心を進む航空母艦《赤城》の飛行甲板では春島基地を飛び立って母艦に戻ってくる艦載機の着艦作業が行われていた。
轟音を響かせながら着艦する79式艦上戦闘機F-14Jを
平たい
その機体が主翼を大きく広げて飛行甲板へと迫りつつある。着艦誘導灯に従い、《赤城》の右斜め後方から飛来したF-14Jは
潮風がエンジンの発する強烈な熱気を時折月島の立つウイングにも運んできた。飛行甲板ではそんな獰猛で危険な猛獣のように荒れ狂っている戦闘機に向かって走っていき、アレスティングフックがワイヤーにしっかりかかっているか確認しに行く甲板要員や燃料や弾薬を運ぶ者もいて人々が行き交っていた。
「あれは五二型かね?」
月島の横からの唐突な声は横目を向けなくともその穏やかさの中に威厳を感じるもので誰からの問いかけなのか月島に理解させた。コーヒーの入ったマグカップを片手に《赤城》艦長の制服に身を包んだ
「三二型です、艦長」
月島は視線を外さないまま、身に走った緊張と共に姿勢を正す敬礼を取って答えた。
艦長の存在は艦では絶対的だ。それが三千名を超える乗員が乗り込む航空母艦の艦長であればなおさらだが、南雲艦長は神出鬼没だった。柔らかい物腰で各行事での言葉も短く簡明で、兵卒の話にもよく耳を傾けてくれる温厚な性格で知られる南雲だが、この戦争が始まってからはその指揮官としての資質を遺憾無く発揮し、その信頼と尊敬の念を高めつつあった。
「艦長がウイングに」
ウイングにいた他の水兵も姿勢を正す敬礼を取って自らの業務を続ける。艦長は自分がこれからどこに向かうのか必ず伝えてから移動する。それは伝令によって向かう部署にも伝えられるが、月島にまでその伝令の声が届いていなかったことに、月島はウイングにいた若い伝令の水兵に少しばかり不満を抱きつつも飛行甲板を見下ろしていた。
F-14Jの五二型は再生改良を行い、中身や
「信頼性は高いな」
南雲の前向きな発言に月島は首肯した。
「五二型に比べ、整備と補給面を考慮すれば三二型は信頼性が高いと言えます」
ただし
79式艦上戦闘機F-14Jは採用からすでに四十年が経過していた。当時こそその特徴的な可変翼機構は先端技術であったが、現代では最新の
しかし未だに帝国海軍主力の艦隊防空戦闘機はこのF-14Jであり、また月島の乗機であった。軍備縮小の折り、後継機を簡単に採用することや機体寿命の残るF-14を廃止することは出来ず、海軍は近代化改修や再生改良により無駄な執着心を発揮して使い続けられている。
これから《赤城》を含む海軍機動艦隊隷下の第二機動艦隊は太平洋を北上。激戦が繰り広げられる西太平洋、そして東シナ海の海上優勢を枢軸軍から取り戻す任務を帯びている。
東アジアにおける自由主義陣営の盟主たる大日本帝国の目と鼻の先で行われている激しい攻防は、枢軸軍が大西洋やインド洋で繰り広げる限定的戦術核戦争と同様の様相になり兼ねない危機的状況にあった。中国も自国の眼前で戦術核の使用には踏み切れていないが、戦闘が長引けばその躊躇も失われることになる。戦況の早期打開により、戦線を中国大陸へ直ちに押し上げる必要があった。
その先陣として第二機動艦隊はトラックでの短い補給の後に再び前線へと繰り出そうとしている。
《赤城》の周囲には目を凝らせばといえるほどの距離を置いて第二機動艦隊の各艦が配置についていた。最も近い《赤城》の直掩である防空巡洋艦《比叡》を始め、戦艦一隻と巡洋艦三、防空駆逐艦四、汎用駆逐艦四、補給艦二の十五隻が《赤城》を旗艦とする第二機動艦隊の構成艦だった。先鋒としてすでにトラック環礁外に出た艦もいる。
これからの激戦に向けて最強最高の機体で飛べないことは不安でもあったが、日本海軍が改造して使い続けるF-14Jに乗り始めて一年弱、操縦にも慣れてきており、一定の信頼も抱いているので複雑な気持ちを抱いている。乗り慣れた機体か、慣れない未知数の新型機かと問われれば満足に訓練を受けた機体を選ばざるを得ないのがパイロットの本能だった。
トラック環礁を進む《赤城》は艦載機を収容しながら、それと同等の巨大な艦影とすれ違おうとしていた。月島はその姿を見て思わず声を詰まらせる。
「あれは……」
「《トルーマン》だな」
それはインド洋で枢軸軍の攻撃を受けた米合衆国海軍が誇る原子力空母の末路だった。外洋サルベージ用タグボートに曳航され、真珠湾へ後送されるための準備を大日本帝国の領域で行っているその姿は、月島には皮肉に見えた。
ニミッツ級原子力空母《ハリー・S・トルーマン》の上部構造物はすっかり無くなっていた。鉛色の基部のねじ曲がった残骸が、五メートルほどの高さで残っているだけだ。飛行甲板は歪み、たわんでいたが原型は残していた。ただ航空機用エレベーターはすべて喪失している。核攻撃の爆風で吹き飛ばされ、核爆発の衝撃波面が反射して艦上で分散し、飛行甲板が上にめくれあがったのだろう。
「向こうが透けて見える」
月島は呆然と呟いた。かつて格納甲板のあった場所やもっと下部の裂け目から向こう側が見えていた。艦上戦闘機操縦士である月島にとって空母は第二の家だ。米国の《トルーマン》の数千人の乗組員達もあの艦で働き、訓練し、同じ同僚達と寝食を共にし、家族や友人に手紙を書いて電話に列を成していたのだ。今も排水ポンプが稼働し、排水される水が弧を描き、空母が沈むのを防いでいた。
シナイ半島を占領し、スエズ運河によって地中海とインド洋を支配したロシア―中国枢軸軍から、中東からのシーレーンを奪還しようとした米国は自慢の空母打撃群を即座に展開させたが、枢軸軍の仕掛けた攻撃を受けて艦隊は壊滅。世界最大級の原子力空母はこの有様だった。
――なんて威力だ。生存者はどれだけ居たんだ。
「米国はこの艦を復旧するつもりなんでしょうか」
「この艦は墓場だ。生存者の数は乗員数の十パーセントに満たなかった」
《トルーマン》は火と海水に含まれる塩分によって鉄板が酸化し、艶の無い淡い赤茶色に変色した部分を除いて何もかもが炭のように真っ黒だった。外壁部の多くは残っているが、それは白骨化しかけの肉や皮が僅かに残る遺骸に見える。乗り込んでいたアメリカ海軍の兵士達を思うとやり場のない怒りが混み上がって来た。
現状、大日本帝国とアメリカ合衆国は一応友好国であり、敵対はしてない。しかし近年の米国のアメリカ第一主義と呼ばれる孤立主義によって世界経済は混乱し、世界の混迷を招いた米国に対して日本は反抗。日本と米国は経済戦争状態にあった。そのため南シナ海における中国の軍事行動や、ドイツで起きた政変に対して歩調を合わせることが出来ず、連携が取れぬまま枢軸軍の卑怯な罠に飛び込むことになった。
現在の枢軸陣営は中国、ロシア、そして傀儡政権下のドイツだ。
南シナ海における中国の大規模な軍事行動に対する国連の禁輸措置に対抗し、中国は南シナ海、マラッカ海峡の海上封鎖を実施して日米英の商船を攻撃するという手段に出た。直ちに
そして大西洋に生じた軍事的空白を狙ってドイツの反乱グループは行動に出た。ベルリンを社会主義者グループが掌握。それに呼応してロシアがヨーロッパにおける電撃戦を開始し、リヨン上空で戦術核による電磁パルス攻撃を行い、さらにワルシャワとカイロを戦術核で攻撃した。ポーランドはウクライナと共に激しい地上戦を行って抵抗しているが、フランスはドイツの電撃戦により降伏し、結果現在ドイツの国家社会主義政権及びロシアの枢軸がヨーロッパ大陸を支配している。連合軍は初戦で多くの戦力を失い、強大な敵と同時多少面で戦うこととなり、厳しい戦いを強いられていた。
米国は日本と安全保障条約を結ぶ同盟国だ。日本が現状の海軍力を保持しているのは米国の存在なしにはあり得ず、米国は日本に戦力の供出を要求し、インド洋で欠けた戦力を日本に負担させようとしていた。
日本はこれを受けて空母《蒼龍》を含む空母機動艦隊をインド洋へ展開させ、南洋防衛を担当していた第二機動艦隊を本国へ呼び戻すことになった。さらに遠征型艦隊の機動艦隊を始め、大日本帝国の絶対国防圏の海域を防衛する海上護衛艦隊を派遣。南シナ海を同時に確保しようとしている。つまり二正面作戦どころか三正面に戦力を展開させており、大東亜戦争時よりも苦しい事態に直面していた。
「核攻撃はぞっとするね」
南雲はその威力を間近に感じて声のトーンを落としていた。
枢軸はワルシャワとカイロに戦術核を落とし、リヨン上空で電磁パルス攻撃を目的とした核爆発を起こして以降、連合軍より先に人口密集地域における核攻撃を行わないことを自ら宣言して連合国の反撃を封じ、海上戦力で劣る彼らは戦術核兵器を使用してそれを補い、海上における限定的戦術核戦争を展開した。米英は核戦力での反撃のタイミングを失い、開戦から一か月で連合国は大きな痛手を受けている。
「余計、連中をのさばらせておくわけにはいきません」
《トルーマン》の遺骸を見送り、月島は決意を告げた。第二次大戦、世界で初めて使用された原爆の一パーセント程度の威力であろうと戦術核兵器を平気で使うような敵に屈するわけにはいかなかった。
月島は使命感も強くなければ日本への愛国心も高いとは言えなかったが、恐ろしい兵器に頼った武力による現状変更に負けたくはないと強く思ったほどだ。
最後の艦上戦闘機が着艦しようとしている。
「《トルーマン》は潜水艦の発射した巡航ミサイルによる攻撃を受けた」
月島は南雲の言葉を黙って聞いた。
「艦載機が迎撃に当たり、発射された巡航ミサイルの多くを落としたそうだが、本命には間に合わなかった」
南雲の目が月島を射抜いた。
「航空隊は艦隊防空の要だ。期待している」
「微力を尽くします」
まだ下っ端である月島だが、南雲にとっては航空隊の搭乗員であり、求められている覚悟だった。
二十一世紀に復活したロシアと中華人民共和国からなる枢軸を倒さなければ皇国の未来はない。再び世界に戦争の火の粉が降りかかろうとしていた。
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