お題文章集
夜桜 咲
ビターオレンジ
お題 天然/アンティーク/舞台/罪/えんじ色
名古屋 【伏見】
伏見通と広小路通が交差する広小路伏見交差点南東角。保守的な組織が好きそうな橙タイルで飾られた日土地名古屋ビルはそびえ立つ。地下鉄伏見5番出入口と一体になったそのピロティ脇のベンチで私はあいつを待っていた。
スマホの画面が光る。LINE「今駅着。もうすぐ」と表示された。振り向くと出入口の階段をはあはあ言いながら急ぎ登る青年。服装は黒カットテーラードジャケットに中は白シャツ、下はジーパンの大人ラフな格好。
「15分遅刻」
「ごめんごめん」
「ほら、いくよ」
地下鉄伏見駅上の交差点を西へ渡る。
堅実経営で有名な名古屋の中でも、伏見は銀行や土地などの堅い企業が集まるオフィス街に位置しており、劇団四季など伝統ある文化芸術施設にも近い。伏見駅は鶴舞線と東山線の乗換が可能な唯一の駅であり、名古屋駅や栄駅につながる乗換駅だ。かっちりとしたビジネスマンが行き交う。
広小路五園の南西に、こじんまりした外観の喫茶ダンデライオンはあった。
「強そうな名前だね」と彼は言うが、たんぽぽの英語名である。緑の暖簾をくぐり、ドアを開けるとかなり奥行きがあることに気付く。店内は暖かなアンティーク調の木のぬくもりで、落ち着いた渋い茶革ソファと古い調整式テレビ、清潔でかっこいい髭を生やしたおじさまバーテンダーが優しく迎えてくれた。
「ご自由な席をどうぞ」
その笑顔は寿命3年の喫茶店業界で、半世紀の歴史ある純喫茶の貫禄が垣間見れる。
モーニングではドリンクを注文するとトースト・卵・ミニサラダがついてくる名古屋スタンダードだが、私はあえてアイスココアとサンドイッチ、彼はプリンを頼んだ。
「朝からプリン?」
「いいだろ〜?」とにやり笑う。
程なくすると、頼んだ品が運ばれてきた。
昔ながらのプディングの上にクリームとピンクのさくらんぼが乗り、周りはバナナやメロン、キウイ、オレンジなどが囲む。彼は目をキラキラさせながらフルーツを頬張り始めた。頬張るとなお一層目を輝かせ、彼の手は止まりそうにない。
「いる?」こくこくと縦に首を振る彼にサンドイッチをあげた。すると今にも泣きそうな顔をした。ここのサンドイッチはマスタードがすこし多い。私はしてやったりとアイスココアをストローですする。ココアのクリームはシュークリームを連想させるほど甘く口に広がった。程よくパンチの効いたサンドイッチと甘いココアの往復は癖になる。
グラスを拭くバーテンの隣には様々なコーヒー器具があった。バーナーの暖かい火がコーヒーの入った丸底フラスコに当たる。ポコポコと心地よい音が響く。
「あ、そういえばスマホ直したん?」
「え、なんでしってんの?」
「『スマホの画面すげえ割れ方したwヒビやべえw画面スクショして送るわw』の直後に『画面のヒビスクショで写るわけなかった忘れて』ってLINEしてきた天然はどこのどいつだったかなー」
「お願いだから、忘れて」
彼は顔を真っ赤にして伏せる。
「仕事に影響なかった?舞台稽古の打ち合わせLINEでやりとりするんでしょ?」
「なかったよ」
彼は舞台役者だった。下っ端の下っ端の見習いだが。最近初めて本番で役をもらえたらしく、劇団四季のリトルマーマレイドに出ている。内容は主人公ビターオレンジの立身出世物語。周囲の果実から苦くてバカにされていたビーターオレンジはジャムになって華麗に転身する。彼はえんじ色の服をまとう高貴な嫌味脇役貴族(苺)。1時間半の劇中で登場2回の計5分しか出てこない。しかし、彼はそれにありったけのエネルギーを注ぎ込むのだ。ビターオレンジに5分嫌みを言うためだけに彼は毎日4時間の舞台稽古と4時間の雑務を汗水たらしてする。私には到底そんな生き方できない。そこまで熱心になれるものもない。
「将来やりたい役とかあるの?」
「んーやっぱりオレンジかな」とプリンパフェのオレンジをスプーンでつつく。
彼は舞台のことを楽しそうに話し始めた。
あぁ、彼の笑顔は罪だなと私は思った。
お題文章集 夜桜 咲 @yozakurasaku
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