犠牲

 最初の襲撃を乗り切った悠とレンカ。それからの数分は襲撃も何もなく静かだったがまだ安心は出来ない。いつ更なる追手がくるとも限らないのだ。

「これで、本当に帰れるのか?」

 装置の操作に戻ったレンカの背に、悠が問いかける。

 かなり巨大な装置が起動したのか唸りをあげていた。エリカは即座に『ゲート』を作り出していたが、こちらは生成まで時間がかかるらしい。必要な操作を全て終えたレンカも、今は『ゲート』の出現を待つだけとなっていた。

「この世界から『現世』への唯一の移動手段だからね。私たちは『アーク』って呼んでるわ」

「アーク。箱舟か」

 悠は意識の無い稍夜に寄り添い、彼女の寝顔をただ見つめていた。

「……レンカさん。アンタはこの後、どうするんだ?」

 悠の言葉に、レンカは何も返さなかった。

 このままこの世界にいては殺される。明確な敵対行為を犯した彼女が許されることはないだろう。

 かといって、逃げようにも手負いのままでは到底この施設を脱出できまい。仮に、彼女が無傷だったとしても世界を相手にするには強大すぎる。

「そうねー。この『アーク』を破壊するため、私はここに残るわ。もうこれ以上、犠牲を生まないためにね。この『アーク』がある限り、終わりはないわ」

 レンカはそれ以上何も言わず、悠に背中を向けたまま続ける。

「聞きたいんだけど、あっちの世界はこんな死と隣り合わせの世界なんかじゃないんでしょう?」

 彼女の身体をつたう紅い血。先の戦闘で傷が開いたのだろうか。ドレスを伝って床に垂れる音がやけに大きく聞こえた。満足いく手当ても出来ない状況、焼いて止血していた脇の傷から血が滲み出している。

「――少なくとも俺のいた所は平穏で、大抵の人間は争いとは無縁の人生を過ごしているよ」

 『箱庭』ではない、悠たちの住んでいた世界。中でも奏風町は本当に穏やかな所だ。

 国家間の小競り合いにも関わりの無い国だから平和に見えているだけかもしれない。だが、少なくともあの町の住人は平穏の中で過ごしている。

「平和なんてものは、今だけなのかもしれない。世界は、俺なんかが思っているよりも遥かに残酷だろう。それでも、少なくとも自分の身の回りの世界だけは平和であることは確かだから」

「……そっか……それならもう一人の私も、あっちで幸せに生きてるのかしらね」

 そういう彼女の背中から、悠は目を反らせない。

「レンカさん。アンタも俺達と一緒に来るべきだ。それなのに、一人残って死ぬのを待つだなんて……」

 現世は、レンカでも十分に羽を伸ばして生きていける世界だろう。こんな暗い世界ではない。

「まだ生きていける希望があるのに……」

 見捨てることなど、悠には出来なかった。

「いいのよ。さっきも言ったでしょ、この装置は壊さなくちゃならない」

 先ほどまでの明るさがレンカには無い。

 悠はこれ以上、何も言うことができなかった。状況は悠が思い描いた最悪のシナリオを辿っている。

 現世でエリカ達を襲い続ける『ラグナロク』止める為にも、この『ゲート』は破壊しなくてはならない。だが、帰還の要である『ゲート』を破壊すれば、帰還の手段がなくなる――そのことを悠も考えていなかったわけではなかった。レンカがこうして助けてくれなければ、悠と稍夜はこの装置を破壊してどうやって帰えればよかったのか、と。

 稍夜ならば何か手段を持っていたのかもしれない。だが意識を失った稍夜からそれを聞く手段もない。

 レンカの言うようにこの『ゲート』がある限り、クローンが『ラグナロク』という最悪な兵器として送り出され続け、世界はこれまで通り見えない脅威に晒されることになる。

 だからここで『ゲート』は壊さなくてはならない。これだけの装置を跡形も無く壊せる手段は、レンカの『発現力』以外に残されてはいないだろう。

「君たちに手を貸すと決めた時に、もうこうすることは決めていたわ。血に飢え、身も心も汚れている作り物の私があちらへ行く資格なんてない……それに、アイツを置いてく真似は……出来そうもないのよねーまったく、惚れた弱みというか、なんというか」

 黙ってレンカの言葉を聞いていた悠はその綺麗な顔に浮かんだ笑みを見て、これ以上何も言えなかった。

 しかし、このままでは自分達の為に残る気でいる人を見殺しにしてしまう。なのに、ただ巻き込まれてここにいるだけの悠には彼女にかける言葉など何一つ出てこなかった。

「そんな苦しそうな顔しないでよ。君は、優しいわね。その優しさは大事にしなさい。そして、彼女をしっかり守ってあげること」

「アンタだって十分、優しい人間だろう」

 レンカは、もう振り向らなかった。

 目の前で助けてくれた人を犠牲にする。それしか手段がない状況。レンカに託された思いを無駄に出来なかった。

 彼女は自分のことを『作り物』と言ったが、彼女は紛れもなく生きている一つの存在。ようやく枷から放たれた彼女の思いは何よりも強かった。誰が彼女を止められるものか。

「……そうだ。まだ少し時間がかかるみたいだから昔話でも聞かせてあげる」

 背中で語るレンカは、子供に物語を聞かせる母親の様に穏やかな口調で一つのお話を語り出した。

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