対峙(ⅸ)

(――……ああ、そうか)


「じゃあな。これで鬼ごっこは終わりだ。久しぶりに壊すに値する仕事ができた礼に、苦しまないよう一撃で仕留めてやる」


(――そういう、ことか――) 


 キョウヘイの踏みつけは床を貫いた。

 しかし――

「……あ?……またかよ……あの小娘の仕業か?」

 キョウヘイの足の下に悠の死体は無かった。状況を理解しきれなかったキョウヘイは、また稍夜が介入してきたのかと思った。

 だが違う。

 すぐ隣に立つ一つの気配に気が付くと、キョウヘイのターバンの下にある顔が歪んだ。

「おまえ……一体。今、なにしやがった……おい……」

 綺麗に背筋を伸ばし、直立しているのは間違いなく織笠悠だ。彼の気配に間違いない。

 キョウヘイの拳を受けた右腕が痛々しいまでに変形し、折れた骨が皮膚を破って血肉と一緒に咲いている。だが異常なのはそれだけではない。キョウヘイは、悠から感情というものをいっさい感じなかった。

 相手の存在がつかめない。わかるのは、まるで先ほどまでいた男とは別人ということだけ。 

「――あぁ。コレで終わりみたいダナ」

 しゃべった。

 相手の存在を認識したキョウヘイは、左腕から大砲の様な拳を放つ。轟雷一閃の拳を、しかし悠は避けもせずに右腕で受けた。

 そう、骨が粉々になっているはずの右腕で。

 キョウヘイの左手は完全に悠の頭を吹き飛ばすはずだった。顔の骨など粉々に砕くストレート。しかし悠はボロボロになった右腕でそれを器用に受け止めたのである。

 悠の目がキョウヘイのターバンの下へと突き刺さる。彼の、感情の欠落した濁った黒い瞳は生気というものがない。

「――」

「ッ……! この、ガキィ!」

 もう一度、今度は力を込めた右手が悠のボディーを貫かんとした。だがやはり、杭の様な右手で空く筈の風穴はできない。今度は右腕の肘と右膝の間にキョウヘイの腕を挟んで受け止めた。視認できないほどのスピードで放たれる彼の拳を二度も受け止めてみせたのだ。

 しっかりと押さえ付けられている腕をキョウヘイが引き抜こうとした時だった、何かが眉間に押しつけられる。

 それは悠の左手にある拳銃。トリガーにかかる指を、悠は引いた。だが眉間を撃ち抜く銃弾は、キョウヘイの肉体を傷つけることはない。それでも撃たれた衝撃は頭部と首に伝わり、彼の頭が軽く仰け反った。

「――くッ……テメェ、いまさらそんなおもちゃを使ったところで俺が殺せると思ってんのか!」

 悠はキョウヘイの腕を開放し、生きている左手で銃口を再び向ける。

「――――――うるせぇナ」

 目の前にいるキョウヘイに向ってトリガーを更に数度引いた。狙いは同じ。正確だ。全てキョウヘイの眉間を捉えている。

 キョウヘイは銃弾を避けることすらしなかった。弾は全て彼の身体に弾かれていくだけである。

「ッ! だから、無駄だと言って――ぁ?」

「遅セえんだよ」

 キョウヘイが意識を銃弾に向けていた隙に、いつの間にか悠が顔面目掛けて膝蹴りをお見舞いしていた。不意打ちに、眉間に集中していた防御が薄くなる。

「っ……急に、なんだこいつ! 動きが!」

 突然動きの変わった悠に、キョウヘイはあらゆるものを破壊する腕を再度振るう。しかしキョウヘイの攻撃が当たるというその瞬間に全てがいなされたかのように受け流されていくだけだった。何度も何度も。結果は変わらない。

 お互いが組み合う形になりそうになると、悠は零距離で銃弾を放った。弾そのものはキョウヘイにとってはなんの脅威にもならない。が、意識をそがれるだけで大分動きが制限されてしまう。

 態勢を崩すと、すぐさま悠の拳や攻撃の起点としている蹴りが雨の様に突き刺さって来る。全てを受けきることになんら支障が無いキョウヘイでも、チマチマした攻撃に苛立ちが募る。

 お互いに引かず何十手もの攻防を繰り返すと、初めてキョウヘイの方から悠との距離を取った。

「……糞! ……だから、何をしやがったって、聞いてんだよ!」

 キョウヘイは初めてその手で得物を取った。床の表面に張っている電柱ほどの太さを持つ高圧電流のケーブルだ。片手だけでケーブルを引き千切り悠の身体を殴りつけた。

「あンたニは解らナいさ」

 だが、悠の身体は吹き飛ばされなかった。太いケーブルを悠の右手が受け止めている。

 キョウヘイはあまりの光景に、言葉もでない。

「……――なんなんだ、なんなんだぁあああ!」

 悠の異質な気配が、キョウヘイの神経を狂わせるのに時間などかからなかった。

 傍にある何十もの培養槽が取り付けられた巨大な台座。それをキョウヘイは片手で引っこ抜くと、悠の真上から数十トン単位の圧力を叩き付けた。高速であり最凶の圧死。台座だけでも人間の十倍はあろう重さの鉄の塊。それに培養槽の重さも加わる。これだけの物量に床は耐えきれず、鉄の塊になり果てた台座は床ごと破壊されめり込んで歪に変形した。

「……はぁ……はぁ」

 頭に血が上ったキョウヘイは、いつに無く息があがっていた。動揺の隠せない姿は、ここに来て初めて見せるものだ。

 これで終わった、とキョウヘイは思った。

 だが、

『――』

 鉄の塊の中から、小さな息遣いが聞こえてくる。

 一万キロオーバーの鉄の塊の直撃を受け、生きていられるはずが無い。

 キョウヘイは寒気を覚えていた。ただの人間が平気でいられるはずがない。キョウヘイは首を何度も横に振った。

「テメェは、なんなんだ!!」

 彼は何者なのか。何度もキョウヘイは回答を出しては否定を繰り返す。

「違う! 違う、違うッ! テメェは!」

 最早、いつもの冷静さを欠いたキョウヘイはただの力の嵐でしかなかった。

 右手を力の込められる限り握りしめ、鉄の塊になっている台座にブチ込んだ。水に手を通すかのように、鉄の塊は割れていく。

 殴り、蹴り、引き千切りながら前進していく巨体。道中、台座の大元になっている鉄を掬い取るように引き剥がし、無骨な鉄の剣のようなものを造りだしていく。

「うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉおぉ!」

 力任せに進んだ結果、台座が衝撃に耐えきれずくす玉が割れるように二つに裂けてしまった。

 その先、叩き付けた時と変わらない体勢で立ち続ける悠がいる。彼に向って、キョウヘイは荒々しい鉄の剣を全力で突き刺した。空気が引き裂かれるような音と共に凄まじい衝撃が空間を振るわせる。

 だが鋭利な刃先は、同じように悠の右手で受け止められてしまった。

「っく!」

 力を使えば、弾丸だろうが刃物だろうが彼には効かない。全てを無二帰すような爆発だろうが彼の肉体を傷つけることは無い。鉄壁の盾であり最強の矛。


 今日までの自分が消えていく。

 目と、大切な者達との時間を失った時から止まっていた人間の感情が、沸々とキョウヘイを追い詰めていった。

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