対峙(ⅷ)
悠は息を大きく吸いこむ。同時に相手も確認もせず、脚を動かした。脅威に目を向けるより先に、悠は全力で回避するため狭い通路に飛び出る。悠へと飛びかかっているキョウヘイは相変わらず武器らしい物は何も持っていない。あるのは、真っ直ぐに伸ばされた五指のみ。たったそれだけなのに、悠の生存本能は今までにない全力回避へと移行していた。
「オラオラ! 無駄に足搔いてんじゃねぇよ!」
前転の体勢から見えたのは、キョウヘイの腕が床にめり込んでいる光景。鉄骨もろとも鋼鉄の床を軽々貫いた右手が全てを引き裂いていく。
「なんつう、馬鹿力だよ! 豆腐じゃねぇんだぞ!」
普通の人間の腕力で分厚い鉄板を貫通などできはしない。その力で貫かれているのが自分だったらと想像するのさえ恐ろしい。
「逃げ回るのだけなら一級品だな」
両者睨みあう中で、悠は呼吸を整える。
最初に動いたのはキョウヘイだ。動きに無駄がない。巨体に似合わない俊敏さで、最小限の動作のまま悠に詰め寄った。
「くそッ!」
真っ直ぐ駆けてくるキョウヘイ。躊躇わずに悠は腕を上げてガードを固める。大口径の砲撃のような、キョウヘイのストレートを、全力で捌いた。カウンター気味に、彼の溝へ肘を叩き込む。
「ッ! こいつ!」
やはり、先のように鉄のようなキョウヘイの肉体に弾かれてしまう。肉弾戦ができるような相手ではない。悠は再び逃げる、もとい戦略的撤退に移っていった。
唖然としている悠に向って、ターバンを靡かせ迫るキョウヘイ。
足元の僅かな明かりを頼りに悠は全力疾走。ただ、人並みの走力には限界がある。最初から常に全力で走っていたのでそろそろ足も呼吸も限界が近かった。それなのに、キョウヘイは悠に合わせて同じ速度で追ってきている。まるで逃げ惑う動物狩りを楽しんでいるかのようだ。
「どうする! 俺なんかがあんな化物に勝てる、見込みなんて!」
接近戦という選択肢は一瞬で考えから消し飛ぶ。一手でも読み違えれば、一瞬で引き裂かれるのが関の山だ。上手くいけば悠の力でも張り合えるかもしれないが、相手は鉄の塊のような身体を持つ怪物。対して悠は普通の人間だ。そもそもが、化物と“殴り合う”という考え自体間違っているのを悠は体験したばかりである。装置のあった部屋で腹に貰った浅い一発が鈍く痛んだ。
「っ!」
「どうしたぁ? 速度が落ちてるぜ?」
キョウヘイの声が、今までで一番近かった。咄嗟に、近くにあった人間大の培養槽を両手で掴んで通路に倒した。たがこの程度の妨害で彼の進攻が止まるわけがない。
障害物を蹴り上げて破壊するキョウヘイ。分厚いガラスがまるで紙風船の如くバラバラになっていった。
「っち! とにかく今は、何か!」
幸い、キョウヘイはまだ悠を甘く見ている。どこかに付け入る隙があるはずだ、と次の培養槽を倒そうと手をかけながらチラリと横目に目標を確認する。
「……どこ、いった?」
さっきまでいた筈のキョウヘイの姿が見当たらない。
足を止めずに周囲を見回すと、これまでにない嫌な気配を感じた。第六感に従って顔を上げる。その先、猿の様に四肢を広げるキョウヘイが飛びかかってきていたのだ。
「何か見られるかと思ったんだが、期待外れだったな」
「んなこと――わかってんだよォ!」
咄嗟に、悠は腰に差していた銃を引き抜き向けた。トリガーに掛かる指は、悠の意思に関係なく流れるように引き金を引いた。
そんな諦めの姿勢を見せない悠に、ターバンの下にある彼の口がほんの少し吊り上がる。
「……いい目してるよ、テメェは。今まで処分してきた輩は全員泣き叫びながら逃げ回るか、諦め絶望してたんだがな」
四回。金属を弾く様な音が甲高く響く。悠の撃った銃弾が呆気なくキョウヘイに弾かれた音だった。
そして悠がその音を聞いた瞬間に、彼の脳味噌が読み取ったものは『白』
目の前が真っ白に染まり、身体の右側面全体に何か重たいものが押しつけられたていた。骨が砕けるような音が体の中から耳に入ってくる。
気が付いた時には、悠の身体はケーブルだらけの地面を二転三転と跳ねながら転がり、培養槽を固定している台座に身体を強打して動かなくなった。
「――ッ――ガ―ハッ……」
肺から全ての空気が抜けて息が詰まる。空気と一緒に、胃液の混じった血を大量に吐き出した。
(な、なにが――)
目玉が飛び出したのではないかと思う程視界が弾けていた。いったいどれだけの距離を吹き飛ばされたのか、霞む光景の中に飄々と立つ男が小さく見えた。
キョウヘイは、悠が先ほどまで立っていた場所に肩を捻りながら立っていた。その姿はまさに修羅。
「……っ、『発現者』ってのは……こん、な……出鱈目、か、」
少し喋るだけで全身に痛みが走る。うつ伏せの状態から立ちあがることも、指一本さえ動かすことが出来なかった。
生き物としての出来が違いすぎる。一矢報いる機会さえ与えられない。悠など、彼にとっては赤子も同然だ。完全に遊ばれていた。どうしたところで越えられない高い壁が、助けるべき少女との間に立ち塞がる。
「なんだ、まだ息があるのか?」
床を踵で蹴ると、分厚い鉄板を撒き散らせながらキョウヘイは悠の傍まで走ってきた。
(……挙動が、ほとんど見えなかった……)
頑丈さとスピード、そして圧倒的な破壊力。自分ではまったく歯が立たないことを思い知らされる。どうやったってこの怪物を突破出来る算段は立たなかった。
(く、そ……)
あまりにも無力な自分に、悠は笑いがこみ上げてきた。だが笑う力さえ残っていない。
足を振り上げるキョウヘイ。それは奇しくも、稍夜がキョウヘイに追い詰められた時の状況と似ていた。しかし、都合のいい助けなど入りはしない。ここは敵地の最も深い場所。助けなどこないのだ。
悠は掠れ行く意識の中、走馬灯のようにいくつも映像がフラッシュバックした。
その中の一つ、飾り付けられた学校の通路で笑顔を向けてくる少女がいた。
一瞬だけ見えた、その少女の笑顔。
それが、誰であるかを、
ふと、思い出した。
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