対峙(ⅰ)
「――くそ! 逢武さん!」
「悠くん! 動かないで!」
粉塵が舞い、稍夜の姿さえ確認出来ないほど視界が死んでいる。だが彼女の声は聞こえた。臨戦態勢に入ったらしい、先ほどまでのマイペースな稍夜ではなくなっていた。
一方、悠の握った手の中は汗で濡れていた。今の爆発は間違いなく敵。今この世界にいるのは逃げる二人とそれを追う者達だけだ。
視界の効く範囲、隈なく意識を向け備えた。
「――あぁ? なんか増えてんぞ?」
ぞわっと背中に気持ち悪い寒気が走った。爆発のした方向とは逆、意識を向けていなかった予想外の方向からの声に悠は振り向いた。
「何モンだ?」
土埃を吹き飛ばし、一つの影が拳を腰に構えた状態で悠に突っ込んできた。顔に巻いたターバンで前が見え辛かろうが、彼、キョウヘイの突進に迷いはない。
「――んな!」
視界ゼロの中でも的確に悠を狙ってくるキョウヘイ。一方の悠も即座に反応してみせた。
相手に得物は無いと判断した悠は、一旦距離を取ろうと大きくバックステップで躱そうとする――だが。
「咄嗟の動きは悪くねぇ」
「――っぐ!」
キョウヘイのスピードは悠の想定を上回り、ギリギリで避け切れると踏んでいた彼の拳が腹部に浅く入っていた。浅いと言っても、致命傷にならないというだけ。胃液が食道を逆流して胃の中の物を全部吐き出してしまいそうだった。
「げほッ! 避け切れ、なかった!?」
『ラグナロク』やエリカの斬撃と比べるまでもない。キョウヘイの拳は悠でさえ視認できるような動きだった。それでも避けられなかったのは、
「……はぁ……はぁ。あの長い腕とこのスピードか。反則だろあのターバン野郎ッ!」
男子高校生の平均的な体格よりは少し細身の悠と、二メートルはある大柄なキョウヘイ。両者の階級差でいえば三階級くらいは違うだろう。さらに、キョウヘイはその体に見合った長いリーチを持ち合わせている。単純な殴り合いならば小回りの利く悠の方にもわずかな希望があるかもしれないが、キョウヘイは超ヘビー級にも関わらずパンチスピードが異常だ。これでは間合いに入る隙もなくノックアウトされる。
悠は腹の痛みと最悪な展開に顔を歪めながら、本能的な恐怖で距離を取ろうと煙の中に逃げ込んだ。
と、悠はこの時初めて離れたところで爆発音のような物が数度上がり閃光が弾けていることに気が付いた。目の前の脅威に意識の全てを持っていかれていたので稍夜がどうなっていたのかまで考えが及んでいなかったのである。
「門番は二人って言ってたよな……ッチ! 分断されたか!」
充満した煙により、離れてしまっていた稍夜の状況を把握する術が悠には無い。確かなのは、彼女も攻撃を受けているということだけ。選択肢がなかったとは言え、状況の把握ができない煙の中に逃げてしまったことに悠は舌打ちをする。
「どうする……爆発の方に行くか――いや、馬鹿が! あんな怪物をつれて彼女の所に行けない!」
すぐ近くにはまだキョウヘイの気配がある。いつ、どこから攻撃が来るかもわからない。少しでも意識を他に反らせば終わりだ。敵の一歩、そして一撃は異常な程長いのである。
「殺し合い中に、ずいぶん余裕だな」
声がしたのは背後。迫るリアルな死の気配に、煙の中から再び現れたキョウヘイ目掛け、悠は鋭い右の拳を振るった。悠の方が数コンマ早い。前に出した左足に体重を乗せ、彼のアッパー気味な右フックはキョウヘイの顔面を捉えている。
だが
「イッ、ツ!」
拳から腕の関節を伝わり、殴った反動が悠の脳まで響いた。完全にカウンターを決められるタイミングだったが、悠の拳は易々とキョウヘイの腕で受け止められてしまった。
リーチで負け、腕力でも負け、スピードでも負けた。まともに戦えるような相手ではないのを再認識させられる。
「……いい拳だが、相手が悪かったな」
ターバンでこもった声と共に、キョウヘイは丸太のような右腕を振り抜いた。対し悠は全身全霊で体裁を気にすることもなく転がって回避してみせる。そのまま、背中を見せることも厭わず全力疾走。
「ああ? まだ逃げんのか?」
「戦略的撤退だ! ターバン野郎がッ!」
悠の走る方向は、先ほど爆破された壁の穴。
体は満足に動かず、足は絡まりそうになる。それでも生き残るにはこの状況を打破しなくてはならない。煙の流れ方から開いた穴を特定し、戦局を贅沢ならば有利、最低でも振り出しに戻そうという狙いだった。
もうこの部屋から稍夜の気配は無くなっていた。恐らく、彼女も悠と同じく一対一を選択したのだろう。。ならばここに留まる理由もない。少しでも自分が優位に立てる方法を模索するべきだ。
背中に刺さる追手の視線から、必死になって悠は逃げた。
「止まるなよ! 動け足!」
止まってしまいそうになる足に鞭打ち、とにかく悠は動いた。
もっと早くに気が付くべきだったのだ。ここは『ラグナロク』と同等かそれ以上の化物たちの巣窟。ただ喧嘩が強いだけの一般人がどうこうできるような場所ではない。
煙の中、悠の気配がどんどん遠ざかっていくのをキョウヘイは感じていた。
ほんの一瞬の間だったが、キョウヘイは悠を追わずに動きを止めてしまっていた。しかし、すぐに足を動かし始めて追撃に入る。
「――なんだ、この殴られた違和感」
走りながら、悠に殴られた腕を摩る。痛みはない。だが、何かをキョウヘイは感じていた。
「まあいい、俺は自分の仕事をやるだけだ」
悠が抜けていった穴からキョウヘイもゆったりとした足取りで出て行った。
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