逢武 稍夜

「私は、稍夜やや逢武稍夜あいたけ やや

 微笑みながら自分の名を告げた少女。彼女の前には、正座して一人俯く織笠悠の姿があった。

「えっと、そんな恥ずかしがられちゃうと私としても恥ずかしいといいますか」

 同い年くらいの少女に抱きつき、みっともなく泣きわめいたことによる羞恥心が悠を追い詰めていた。

 少女、稍夜はまるで気にしたそぶりも見せないどころか悠が落ち着くまで彼の頭を撫で続けてくれたのだ。

 先ほどまでは目が離せなかったというのに、今度は稍夜の方を一切見られなかった。

「……ッッ!」 

 両手で自分の頬を軽く叩き、自分に中で区切りを付けると悠は水浸しの床から勢いよく立ち上がった。

「俺は、織笠悠。乃瀬に言われて君を頼るよう言われてきた!」

 恥ずかしさを忘れるかのように、悠は今日一日の出来事を稍夜に話して聞かせた。最初は稍夜も黙って悠の話を聞いていたのだが、『ラグナロク』の話になったところで大きな声を上げ身を乗り出してきた。

「え!? 『ラグナロク』に襲われた!?」 

 急に迫られ、反射的に悠は仰け反ってしまう。

「ああ、突然な。そこを乃瀬に助けられたんだけど、俺を守りながらは戦えないからってアイツにここへと放り込まれたわけだ」

「……そんな、いくらなんでも早すぎる……やっぱり……」

 悠の話を聞き終えた稍夜は一人ブツブツ言いながら何かを思考し始めてしまった。

「まずは『ラグナロク』をどうにかしないと……アレは世界を繋ぐ『ゲート』を通して『ガーデン』に操られているはず。だから『ゲート』さえ破壊できれば、『ラグナロク』は無力化できる。でもそうなると……」

「『ゲート』って、乃瀬が開いた光の靄みたいなやつがこっちにもあるのか?」

 悠に声をかけられ、稍夜の小さな身体が震えた。

「ふぇ!? あ。うん。悠くんが通った筈の現世と『ガーデン』を繋げる門。それがある限り、『ラグナロク』は止められない」

 稍夜は体に力を込めて立とうとした。だが足元は覚束ない。フラフラと倒れそうになるのを咄嗟に、悠は受け止めた。

「っと……そんな体で」

 目の前で、少女は傷付きながらも強い意思を見せた。

「急がないとエリカちゃんたちがもたない」

 この世界、『ガーデン』が脅威となるのを悠は身をもって味わったばかりだ。それをこの傷ついた少女は止めようとしているのだ。

「……」 

 そんな重荷を一人背負おうとしている女の子に手を貸さない理由など、悠は持ち合わせていなかった。 悠はふらつく稍夜にそっと肩を貸した。

「――ありがとう、悠くん。だいぶ『発現力ディーパ』の反動は落着いて来たから」

「ディ、ーパ?」

 またしても初めて聞く単語に、悠は反応する。

「えっと……私もエリカちゃんからの受け売りだからあまり詳しくは知らないんだけど……『人工魔素』のこと。で、その『発現力』を持つ存在のことを『発現者』と呼んで……魔族とかその辺りのことは聞いていたりする?」

 稍夜のペースに合わせてゆっくり歩きながら、悠は首を縦に振った。

「そっか、聞いているなら話が早いかな」

 うん、と一度頷いてから稍夜は持っている情報を頭の中で整理し始めた。彼女も全てを知っているわけではないのか、言葉を選んでゆっくりと口を開いていく。

「エリカちゃんとか聖士さんみたいな純血の魔族は、元来血統によって魔素を継承していくの。で、端的に言ってしまえば『発現者』っていうのは純血の魔族でなくとも特異な力を使えるようになった者たちのことを言う」

「そういえば、乃瀬のやつがそんなこと言ってたな……」

「『魔族』以外が力を持つことを可能にしたこの『発現力』。この力は、魔族の血を直接投与することにより発現するとされるわ」

「魔族の血を?……たしか、『ラグナロク』も同じように『魔族』の血で作られた『失敗作』だって」

 神妙な表情で頷く稍夜。

「そう。この世界は、14歳になった子供に魔族の血を投与して『発現者』を作りだしてるの」

 あまりにも現実離れした言葉。言っている稍夜自身も気分を害しているのが一目でわかる。

「多くは発現しないで普通に成長するわ。けど、相性が悪いと発現した際に魔族の血に拒絶反応を起こし絶命する。そして死して尚、肉体に残留した『魔素』によって肉体は生き続ける。それが、『ラグナロク』の正体」

 だから『失敗作』とエリカは言っていたのだ。普通の人間が特異な力を使えるようになる代償にしては、あまりにも惨い。

 歩く力の戻ってきた稍夜は悠の肩から腕を離すと、彼から少し離れて先を進んだ。彼女の紅い瞳がエリカの瞳のように発光している。

「基本的に、発現する力は突然変異で、多くの能力は己の心身に直接発現するわ。こんな風に」


“バリリッ”


 耳を劈くような轟音がしたと思ったら、一瞬にして稍夜は悠の後ろに立っていた。

 何が起こったのか、瞬きする間も無く彼女は瞬間移動していたのだ。

「な、何が!?」

 なんとか自立していた稍夜の足が再度崩れた。その場にしゃがみ込んでしまった彼女の元に悠は駆け寄る。

「だ、大丈夫。今は本当に少しだけ力を使っただけだから……すこし眩暈がしただけ」

 血相を変えている悠を安心させる為なのか、稍夜は弱々しく笑って見せた。

「……ん? その『発現力』を持っているってことは」

 悠は気が付いた。『発現力』という力は、ここガーデンで生まれた子供に投与させられる『魔素』で発現する。つまり、その力を持つ稍夜は、

「そう……私は、この体は逢武稍夜のクローン。『ヤヤ』」

 悠に背中を向けると、稍夜は長い髪を持ち上げた。魅力的なうなじの下、肩甲骨の間辺りに焼印の様なものが見える。十桁ほどの番号と、見知らぬ文字が刻まれていた。

「製造番号。正真正銘、ここで造られたクローンであることの証」

 白い肌に刻まれた印は、非現実なこの世界を体現しているかのようだった。

「――」

 言葉が出ない悠。稍夜は刻印を隠すために急いで髪を直していく。

「それじゃあ……君はここの住人にも関わらず、敵であるエリカに協力してるっていうのか?」

「そこは少し複雑で……今の私は『ヤヤ』であって『逢武稍夜』という人間でもあるの」

 悠から目を反らしてバツの悪そうに薄く笑って見せる稍夜。体調の悪さから出ている苦悶の表情とは別に、憂いを秘めた色を浮かべていた。

「――それは、どういう」

 稍夜はしばらく何も言わずに、悠の目を深く赤い瞳で見るだけだった。その悲しそうな表情を見ているだけで、悠の頭の片隅がピリピリと痛む。

「――悪い。土足で踏み込み過ぎたな」

「……うんん、ゴメンね」

 稍夜は消え入りそうな笑みで、そう囁いた。

 何とも言えない空気になり、見つめ合っていた二人は揃って思わずそっぽを向く。悠は再度稍夜に肩を貸し、二人は通路を進んでいった。

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