難を逃れて

「あー! もうびっしょびしょ! 下着もぐちょぐちょ!」

 赤いドレスは艶かしい身体にフィットし、ボリュームのある赤毛も肌に張り付いていた。膝下まで浸水している中、ブーツを脱いで裸足のまま水の中に立っているレンカは黒い長手袋も外して片手にまとめて持っている。

 その傍ら、部屋へ備え付けられている端末へ自身の携帯端末を繋げて操作するターバンの男、キョウヘイがいた。何も見えていないような格好をしているが、タッチパネルを操作するその手は迷い無く動いている。彼も顔の布にまで水を染み込ませているのだが、レンカと違って気にしたそぶりは見せていない。

「取り合えず逃げ込んだはいいんだけど、ここって中央管制室よね?」

 キョウヘイに変わり、レンカがモニターの情報を読み取り伝える。

 二人は侵入者を追い詰めた。だが突然巨大水槽のガラスが割れ、押し寄せる鉄砲水から避難せざるを得なかったのである。

「本来ならここってあっちの監視部隊が駐在しているはずでしょ? なにこれ」

 レンカは、部屋の隅で倒れている者たちへ視線を送る。手足は結束バンドで拘束されていたが、意識がないだけで全員まだ息があった。

「あの子がやったのかしら」

「他に誰がいる? 小娘だろうが『発現者』だ。『未発現者』には抵抗もできねぇよ」

 部屋へは少しずつだが水が浸水し続けていた。このままでは気を失っている者達が溺死しかねない。キョウヘイは携帯端末をしまうと、倒れている彼らを床から更に高い場所に移していった。

「……くそ。このまま浸水が続くとなると厄介だ。非常事態時の機構が稼働して他ブロックへ浸水が拡大しなかったのは不幸中の幸いか」

 負傷者の移動を終えたキョウヘイを横目に、レンカは部屋の液晶モニターに顔を向ける。

 逆三角形、ピラミッドを逆さにしたような見取り図マップが表示されており、この施設内の現状が簡略化されて映し出されていた。二人のいる場所の近くは水没しているのがよくわかる。

「あちゃー、この階層はほぼ全滅みたいね」

 髪の水を絞りながら、レンカはキョウヘイの呼び出したマップのタッチパネルをたどたどしく操作し別の画面を呼び出していく。

「取り敢えず、水の排出しとくわね」

 レンカがタッチパネルを操作すると、鈍い音が建物全体に響いた。どうやら排水用のポンプが作動し始めたらしい。分厚い壁の向こうからポンプを動かすエンジン音が聞こえてくる。

「これであの子が死んでなければいいんだけどねぇ。キョウちゃん一人で遊んじゃうからまだ私は楽しんで無いしー」

 ジト目でキョウヘイに抗議の視線を送るレンカ。彼はそそくさと一人管制室の奥へと向かって歩き出した。

 どこ行くのよ! という相方の声を無視して一番奥の部屋に入っていく。

 どうやら休憩室のようなスペースらしく、ここまでは水が到達していなかった。他より一段高くなっているので目立った浸水被害は無いようだ。

「少し休んどけ。排水がある程度終わるまでは動けないんだからな」

 追いかけてきたレンカの気配を感じると、キョウヘイは倒れていたパイプ椅子を正してそこに腰かけた。

 腰につけているバックパックから包帯や医薬品を取り出していく。

 レンカも適当にデスクの上に足を組んで腰を下ろした。

「ねぇ、手当手伝ってあげよっか?」

 彼女が指差すのは、キョウヘイの左胸に出来た戦闘服の傷だ。血の様なものは全く出て無いが、スーツの表面はしっかり穴が空いている。

 キョウヘイがジャケットを脱ぐと、下に着ていたシャツにだけ小さな血の痕が浮かんでいるのがわかった。

「……大丈夫だ。これくらいの手当てなら自分で出来る」

 キョウヘイに手伝いを断られたレンカは頬を膨らませながら押し黙ると、ポンプの音が一層大きく休憩室に響いた。

「――にしても、相変わらずでたらめな体。普通は心臓刺されたら死ぬのよ?」

 シャツの下にある傷は正確に心臓の真上だが、キョウヘイはこうして生きている。

 応急キットから適当に見繕い、手早く処置を済ませていく。消毒をし、人工皮膚組織の癒着を確認してから血のついたシャツを着直した。

「『筋肉組織の強化』。心臓を刺されてもナイフを押し返せるほど固くできるって、どれだけ激しいプレイに耐える気なのよ。発現時の状況的にもキョウちゃんって実はマゾだったりする?」

「お前、頭湧いてんのか? どこをどう取ったらそういう結論に行きつく。人を勝手に変態扱いするんじゃねぇ」

「あら、そう? 私の煮えたぎるような女王様魂に火がつきましたのに。残念」

 今にもオホホホ、と高笑いしだしそうなポーズを取るレンカ。それにイラっときたのだろう、今まで無駄口をたたかないキョウヘイが珍しく反撃に出た。

「『単騎での拠点制圧訓練』」

 余裕の表情を見せ、デスクに置いてあったペンを手に取って回していたレンカが固まる。

「訓練兵時代、唯一その訓練に出ていた女がいるらしいな。肉体的調教に快感を覚える異常性癖者しか受けないとまで言われた地獄のスパルタ訓練だ」

 彼女の手からペンが滑り落ちる。ついでに彼女もデスクから転げ落ちそうになった。 

「ちょぉ! な、なななんでキョウちゃんがそのこと知ってるの!? ……っは! あ、あの獣女ね! 秘密にしとけって言ったのにベラベラと言いふらしやがってぇぇえ!」

 顔を真っ赤にして叫ぶレンカは頭を両手で掴むと、身悶えるようにして絶叫した。

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