衝動

 ―

 ――

 ―――気をうしなってから、どれくらいの時間がたったのだろう。

 

 激しい眩暈と身体の痛み、それと呼吸のしづらさに悠は目を開けた。

「……」

 何か夢を見ていたような気がするが思い出せない。

 仰向けのまま、最初に見えたのはパイプや配線が剥き出しになっている天井だ。何かの駆動音らしき唸り声も聞こえる。だが耳が雲っていてはっきりと聞こえない。

 次に気が付いたのは息が出来ないことだ。酸素を求め上半身を起こすと、喉の奥から大量の水が溢れた。何度も咳き込みながら空気を取り込む。

「げほげほ! はぁ……はぁ……ここは。ついたのか?」

 薄暗くて水浸しになっている見覚えの無い鉄筋コンクリート作りの通路。悠がさっきまでエリカたちと居た部屋でないことは確かだ。人外同士の恐ろしい肉弾戦も、瞳を蒼く輝かせる少女もいない。

 周囲を見回していると、悠の倒れていた場所から少し離れた所に黒い塊があった。何なのか、とよく見ればそれは人の形をしていた。水に濡れた長い髪が全身に張り付いているのである。

「お、おい! 大丈夫か!」

 悠が声をかけると、黒い塊が反応した。彼の声で意識を取り戻したらしく、ゆっくりと体を起こしていく。

 髪の毛のボリュームのせいで大きく見えたが、よく見れば普通の女の子。

 背を向けていた身体が悠の方へ振り返る。たっぷりと時間をかけ、二人はようやく向き合った。

 水に濡れ、目まで隠れている長い前髪はまるでホラー映画の悪霊を彷彿とさせる。しかし、髪の間からなんとか見えるその幼さの残る顔は、悠とそう歳の変わらない女の子だ。水を吸った服は体に張り付き、ボディーラインがしっかりと出ている。大きな胸や剥き出しの太ももにどうしても目が行ってしまった。

 そして、何より印象的なのはその紅い瞳。

『ラグナロク』と同じような、紅い瞳が髪の毛の向こうで光っていた。

「……なんで、なんで来ちゃったの」 

 今にも消えてしまいそうな、か細い声で少女は囁いた。震える身体を両腕で抱くようにして押さえている。

 じっと、怪訝そうな顔で髪の隙間から悠を凝視してくる少女。彼女の表情は、嬉しさと悲しみが入り混じった複雑な表情をしている。口の端には乾いた血の跡が薄らと残っていて、とても痛々しい。よく見れば、ノースリーブの腕や破れたニーソックスと生足に生々しい傷がいくつも出来ている。座っているのに体も前後にふらついていた。

「お、おい。随分と体調悪そう……ッ!?」

 悠が言い終わらぬ内に、少女の細い体が倒れるように飛び掛かってきた。不意なことではあったが、彼女の小さな身体のタックルくらいで倒れるほど悠も柔ではない。胸で彼女の冷たい身体をそっと受け止めてみせる。

 一方の少女は力強く悠の背中に腕を回し、顔を胸に埋めてくる。悠の水を染み込ませた服に少女の大きな胸が押し付けられた。少女の体はとても柔らかく、それでいて震えていた。

「君は……」

「……ゴメン、なさい」

 透き通るような声。顔を上げると、少女は邪魔な髪の毛を整えながら離れていった。髪の下にあった少女の顔は外国人であるエリカの美しさとは違う、綺麗で整った顔立ちをしている。だが見るからに血の気が失せていて体調が悪そうに見える。それ故にいっそう少女の儚さが際立っており、思わず悠は少女に見惚れてしまった。

 初めましての女の子――のはずなのに、なぜか既視感が付きまとう。顔を見た瞬間に彼の頭は針で刺されたかのような小さな痛みを感じていた。

 同時に、彼女がエリカの言っていた『仲間』であるのだと直観的に思った。それが何故であるのか悠にも理解できない。

 天井から零れる雫の音以外、無の世界で二人はどれくらい見つめ合っていただろうか。悠は少女からどうしても目が離せない。

 小さな頭の痛みは最早慣れたもの。だがそれ以上に不思議だったのは、視界が霞んだことだった。

「……あれ」

 突然のことに理解が追いつかない。自分の目元を拭うと、涙が引っ切り無しに溢れ出てくるではないか。

「なんだこれ……」

 自分の感情に反して、涙が止まらないのだ。

 そんな悠の頬に、少女はそっと傷付いた手を添えた。

「泣かないで。君は何も悪くない」

 赤子をあやすかのような声色。反射的に、悠は少女を抱き寄せ声を出して子供のようにただただ泣いた。

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