記憶(ⅲ)

「とにかく、通報を――え、圏外?」

 彼女の無事を確認でき、ようやく冷静になってきたところでスマホを取り出し警察に通報しようとした。しかし画面には圏外の文字。ダメ元でコールしてみるが無駄だった。

「くそ……歩けるか、すぐにここから出ないと」

 クローゼットから彼女の上着を取り羽織らせる。震えてうまく歩けない彼女を導きながら、月明りしか頼りのない薄暗い廊下へ出た。

「お前は見ない方がいい。腕に掴まれ、歩けるか?」

 少女は固く目を結び、小さく頷いた。震える体から零れる吐息は、白くなって紅い世界に溶けていく。

「――あんれー、やっぱまだ生き残りいたじゃん! 数が一つ足りないからオレの数え間違いかと思っただろー」

 二人の全身に悪寒が走った。

 廊下の一番先、開いたエレベーターから黒い者が降りてくる。

 全身を覆う黒衣とフードを深く被った男が、全身を返り血で真っ赤にしながら、口元に不気味な笑顔を浮かべて歩いてくる。

 ヤツが現れた瞬間、二人は前進することも後退することも出来なくなっていた。純粋な恐怖。足が固まったかのように動かない。

 彼は咄嗟に、少女を庇うように背中で隠した。

「てか、お前はなんだ? リストにない、な。部外者かあ?」

 男は彼を指さしながら迫ってくる。

「……ま、いっか。どうせ殺すんだし。誰かなんて関係ないもんな」

 そう言いながら男は指していた指先を彼から、その背中に隠れている少女に向けた。

「まずはリストの素材からだよな。ほらよっと♪」

 男が空を切るように指を横に薙ぐと、

“ボキッ!”

 嫌な音が悠の後ろから聞こえた。そして、少女の身体からすべての力が抜けていく。

「え――――稍夜?」

 倒れる少女を咄嗟に支えようとする。

 だが、少女の首は折れ完全に絶命していた。

「―――――――――――――――――――」

 感情が、なくなる。

 何もかもが、崩れる。血の気の引く音が彼の身体の中で逆巻いた。

「おおお! ハハハ! やっと綺麗に殺せたぁ! いやーまだ力加減が難しくてさぁー。原形留めてなくてもいいとは言われたが、回収する俺の手間がかかるだろ? はぁーこれで任務完了っ。あとはお前を潰し……ん?」

 男が愉快に笑っている間に、数十メートルは離れていたはずの少年の拳が、男の顔面に叩き込まれた。衝撃で黒い男の鼻は粉々に砕け、右目が破裂する。

 殴られた衝撃で男の華奢な身体は吹き飛び、エレベーター横の壁に全身を打ち付けた。

「――がッはあ!!」

 すぐに起き上がろうとする男だったが、脳震盪を起こし血の床で滑って藻掻いている。

「こ、こお、野郎ぉ!」

 残った左目で殴ってきた少年を捉えようとする。が、彼の姿は見えない。

「――」

 破裂した右目の死角からした気配。反応してそちらに意識を向けるも、側頭部を強打され、男の上半身が浮かび上がった。

「ぐはあ!」

 男の頭を打ち抜いたのは、廊下に備え付けられている補助用の手すり。それを、少年は壁から引きちぎりフルスイングしてみせたのだ。

「な、な、いてぇだろうがこの下等生物がぁあああああ!」

 まだ意識があるのか、男は指を少年に向け捻った。同時に彼の右手がねじ切られて鉄の棒が床に落ちた。

「――はは! いてぇだろ! いてぇよなぁ! テメェは簡単には殺してやんねぇ……あ?」

「――」

 ケタケタと笑う男を軽蔑するかのように、少年は死んだ腕など構わず残った男の左目に向かって膝蹴りを見舞った。

「がああああああああああああああああああああああ!」

 痛みで少年は止まる、と思っていた男。

 だから反撃されるなど思ってもいなかった強烈な一撃で視界は完全に死んだ。度重なる激痛に男は絶叫した。

「み、みえねぇ! みえねぇと、潰せねぇだろがああああ! どこにいやがるぅう!」

 男は叫びながら両手を所かまわず振り回し始めた。すると、壁や柱、天井や床などが次々と崩れ、その規模は施設全体へと広がっていった。

 それでも男は無茶苦茶に指を振るい続けている。自身のいる二階の廊下すらも形を保てず崩れ、建物は爆発でもされたかのように倒壊していった。


 地響きを立て瓦礫と化した奏風学園。その廃墟で、男は瓦礫に巻き込まれ力なく自らの血の中でみっともなくのたうち回っていた。

「いてぇえええ! いてぇえ! どこにいやがる餓鬼がああああああ!」

 壊す物などなくなっても暴れる男。それを無表情で見下ろす少年は、足を振り被ると


“グシャ!”


 男の頭部を粉砕した。

 残っていた体が数度痙攣するが、命の去った肉体はそれで完全に停止した。

 そして少年は、全身の力を失い瓦礫に背中を預けて座り込んでしまった。

「――オレ、何し、たんだ」

 人を殺したというのに、彼の心象は穏やかだった。

 右手のぐちゃぐちゃに壊死した痛みすら感じていない。

 十二月の寒さが感じられないほど全身が熱く、彼は自分の体に目を向ける。見ると、右胸から、鉄骨が生えていた。倒壊の時に刺さってしまったのだろう。

 意識が遠退き、瞼がゆっくりと閉じていく。

「……や、や」

 だが、彼は力を振り絞りながら再び起き上がった。

 男の亡骸に一瞥することもなく、大切な人の元に向かおうと死に体の身体を引きずる。

 倒壊する建物から庇い地面に寝かした少女は、まるで穏やかに眠っているかのようだ。

「……稍夜」

 胸からの出血が地面に尾を引き、足は今にも力を失いそうである。

 ふらつきながらも何とか少女の元に辿り着くと、残っている左手で彼女の体を抱きかかえ上げた。仄かに残っていたはずの体温も今は奪われ、少女の身体は冷たくなっていた。

「…………」

 ようやく、現実に彼の脳が追い付いた。穏やかな表情の少女の頬に落ちる水滴。それが、自分の目から止めどなく溢れる涙だと気が付いた時が彼の最後だった。

 あまりにもな終幕。

 彼の他に生者の居なくなった施設の中、彼の慟哭だけが響く。

 ―――

 ――

 ―

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