発現者(ⅱ)

「……ん?」

 キョウヘイが何か違和感を覚えた瞬間に、10メートルは先にいたはずのヤヤが自分の懐に潜りこんでいた。胸元を見ると、大型のナイフが深々と急所を突いている。

「っぐうッ! まず、一人!」

 悲痛の声を漏らしたのは、刺されたキョウヘイではなくヤヤの方だった。身体の内、脳と目の激しい痛みに気が狂いそうになるのを吐血と一緒に呑みこんだ。

 手に残る肉の感触をさっさと頭から追い出し、ナイフを引き抜く。未だ余裕の表情でいるレンカへと標的を変えた。

 しかし、

「――種は解らねぇが中々に珍しい力を持ってるじゃねぇか」

 頭上から聞こえる曇った声に、ついそちらを向いてしまった。

「――え?」

 何故、とヤヤが意識を向けたが遅い。

 少女の溝に突き刺さる重たい衝撃。自分の目線が、長身のキョウヘイと同じ高さにあると思った時には景色は回転し、少女の細い体は来た道を吹き飛ばされていた。

「――がはッ!」

 殴られた――と認識しながら宙を舞うヤヤの体の力がどんどん抜けていく。満足な受け身すら取れずに廊下に全身を打ち付けた。

 霞む視界。視線の先にいたキョウヘイの左胸には確かに深い傷がある。肉を裂く感触もナイフへあった。しかし、キョウヘイは何事も無かったかのようにヤヤを殴り飛ばした。

(いったい、何で――心臓を刺したはずなのに)

 体を何とか起こそうと、ヤヤは藻掻いた。しかしボロボロになった小さな体は思うように動いてくれない。

「キョウちゃんの拳を食らってもバラバラにならないなんて素敵。益々処分するのが勿体無いわね」

 今まで黙って事の成り行きを見守っていたレンカだったが、息のあるヤヤに感嘆の声を漏らしていた。

(……油断、いや、全力で行った……)

 意識が飛びそうな程の衝撃に加え、全身を別の痛みが襲う。あまりの苦痛にヤヤは泣き叫びそうになってしまう。

「インパクトをずらされたな。殴られる直前の違和感、何したんだお前?」

「……げほ……さ、さぁ……なんの、こ、とですか?」

 一度拳を収めたキョウヘイだったが、手首を数回捻ってからヤヤを見下ろす位置までゆっくりと歩いてやって来た。

(失敗した……ダメ……だった)

 痛みに耐えるので必死な中、ヤヤは自分へと悪態をつく。意識が切れそうになるのを必死で繋ぎとめる。だが、この状況で二人を相手にすることなどもはや不可能だ。

「せっかくのカワイ子ちゃんだったけど、残念」

 倒れるヤヤの頭の先まで来たレンカが囁いた。大きな目の尻を少し垂らし、彼女は本気で残念そうな顔をしている。

「鍛えれば良い『発現者』になっただろうな。だが、こっちも仕事だ。同郷の誼として一撃で楽にしてやる」

 ヤヤの頭を踏み潰そうと、キョウヘイはその大きな足を持ち上げた。ハンマーのような足で頭を踏みつけられては原形すら残らないだろう。

 まさに一巻の終わり。

 だが、こんな状況でもヤヤの紅い瞳は光を失っていなかった。

「まだ――ここで死ぬわけにはいかない!」

 ――昔の、己のことだけを考えていた自分とは違う。

 ――投げ出すのは簡単。それでもヤヤは生へと必死に喰らい付いた。

 キョウヘイのその太い足が少女の頭を貫く刹那。

 突然水槽のガラスの向こうが淡く輝き始めたのにヤヤは気が付いた。彼女だけでなく、彼女を見下ろす二人もその異常さに顔を向けた。

「キョウちゃん! 水槽が!」

「……なんだ、この気配」

 ヤヤの命を奪おうとしていた二人も思わず動きを止めた。

 光は次第に強くなり直視できないほどだ。眩い光が巨大な水槽から溢れ出し、輝きは尚も増していくばかり。

 そんな光の中に、少女はあり得ない存在を見つけた。

 消え入りそうで朦朧としていた意識が一気に覚醒していく。

「そんな、なんで――」

 水槽の中に現れた””は、鈍い音をたてながらガラスに体を叩きつけた。簡単に割れるはずがない分厚いガラスだが、衝撃と水圧により粉々に砕け散ってしまう。

「っち! 馬鹿な! なぜ突然水槽のガラスが割れやがった!」

「言ってる場合じゃないでしょう!!!」

 割れた水槽のガラスと大量の水が荒れ狂って通路に流れ出ていく。

 予想外の事態に、キョウヘイ達は為す術なく近くにあったハッチの付いた部屋へと駆けこんでいった。

 しかし、ヤヤだけは違った。

 割れた水槽の中から飛び出してくる見知った顔へ向かって、手を伸ばす。

「――悠くん!」

 完璧に意識を失っている彼、織笠悠の姿にヤヤの死にかけた顔に色が戻る。

 何故ココに彼が来たのか、彼女の疲弊した頭では考えることすらままならない。ただ今は、水と一緒に飛び出してきた悠を助けることしか頭になかった。

 悠を受け止めようと、ヤヤは腕を広げた。だが、満足に立てもしない今の彼女では、勢いの付いた悠の体を受け止めることなど到底出来ない。仮にキャッチできたとして、迫る水の勢いは凄まじく飲み込まれてしまえば無事ではすまないだろう。

 だから彼女は考えるよりも先に行動した。

 脳の血管がぶちぶちと切れる音を聞く。目眩と吐き気、脳天をカチ割られたかのような痛みが同時に少女の小さな体に襲いかかる。

 それでも止まらない。口の端から、喉を込み上げてきた血が垂れる。

 ヤヤは先ほどまでの弱々しさが嘘のように軽快に跳ね起きると、気を失って宙を舞う悠の腕を掴んだ。そして激流とは反対方向へすぐさま転換して迫る水に背を向け全力で通路を走った。

 幸いにも、脇に逸れる通路の隔壁は開いている。少女はその通路へ飛び込むと、隔壁の開閉装置へ向かって太もものナイフを投擲。ナイフの狙いは正確で、隔壁の制御盤を粉々に破壊した。

 水の大軍が襲いかかるのと、二人の頭上で厚い防壁が降りたのは同時。二人の体は水が隔壁に直撃した衝撃により軽々と吹き飛ばされてしまった。

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