発現者(ⅰ)

―――

――


「……!」


 少女は体の痙攣で目を覚ました。

 部屋の隅で小さくなって蹲っていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。緊張と疲労が限界にきていたのだろう。

 足を抱えてうずくまっていたはずの手は、太もものナイフへ伸びていた。

 周囲に異常がないことを目視してから、大きく息を吐く。背中と額に汗が浮かんでいた。体が活動を再び始め体温が上昇する。

 息を整え、状況確認へ移った。

「ここは……」

 現在彼女がいるのは薄暗い倉庫だ。

 追手を撒きながらで目的地まで思う様に辿り着けずにいたのを思い出す。無駄な時間だけがかかり、焦りだけが先行していた。

 自分の体調を顧みる。

「戦闘は、出来て後一回か二回……」

 大きな溜め息の後、太ももの鞘から大振りのナイフを取り出した。鏡の様に磨かれた刃に映る自分の姿を見る。

 黒い髪と長い睫毛、切れ長の目は疲労から少し充血し、整った美しい顔は疲れ切った顔をして今にも泣きだしそうだ。

 ナイフから視線を反らす。

「ダメダメ。弱気になっちゃダメ」

 自分に言い聞かせ、萎んだ心を振るい立たせる。目を閉じ深呼吸を一つ。それだけで不安は幾分か落着いた。

 ナイフを元の鞘に戻すと、目的地へ向かってフラフラの足を引き摺りながら歩み出した。

「……行かないと」

 彼女は今の自身の体調の変化、自分の活動限界をわかっていた。

 これ以上の戦闘は命に関わる、と。


 現在、彼女がいるのは地上から地下深くに潜った施設の深部。なんとかして施設の奥へと潜りこむ事は出来たのだが目的の場所は更に奥だった。

 しかし、潜るにつれて嫌な予感が少女に纏わりつく。それでも、今の彼女は成さなければならない使命感だけで動いていた。でなければ、全てを投げ出してしまいそうになる。

 いかなる状況になろうとも足を止めてはならない、と自分に言い聞かせる。それでも少女の細い手足は強い意志とは別に震えた。

「あと、少し」

 自分に言い聞かせるように呟き立ち上がると、フラフラしながら倉庫から通路に出た。通路片面の壁は巨大な水槽になっていた。幻想的な光景。中は多様な生き物が住む小さな世界が形成されている。悠々と泳いでいるここが彼らにとって唯一の世界とでも言わんばかりだ。

 壁には、第二障壁と名打たれた電子掲示板が掲げられている。通路は電源が落ちているのか、僅かな非常灯の明かりしかない。水槽から差す光がユラユラと通路を照らす。

「下手に戦闘するのは避けて、できるだけ体力は温存……それから」

 一瞬、もう投げ出してしまおうかという弱気な心と、生きたいという強い思いがぶつかりあった。それでも、少女は生きて帰る、という選択をした。死と隣り合わせの極限の状況で、泣きそうになるが現実へと目を向け続ける。

「せめて、もう一度……」

 声に出し続けて自分に強く言い聞かせる。そうして重たい一歩がようやく踏み出せた時だった。

 通路の先から足音が響いた。

「わぁーお! キョウちゃん、みーっつけた!」

「なるほど、『未発現者』じゃあ返り討ちに会うわけだ。来て正解だったな」

 少女は全身の毛が逆立つのを感じた。

 この地に来て、何度か大小の戦闘をしてきた。だが、これほどの重圧を感じたことは無かった。

 直感で悟る。前方から来る者達は異次元の怪物であると。

「『発現者』!」

 声が震えていた。一歩一歩と近づいてくる悪魔達の足音に、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。だが少女は必死で震えを抑え込みながら踏み留まった。

「うっわぁ……見てみて、この子。すっごく可愛い、めっちゃ私好みなんですけど! ここで散らすには勿体無い、ってあら? この子、確かリストにいた脱走兵じゃない? 確か名前は……“ヤヤ”だったかしら」

 ようやく全容が見えてきた二人組。

 赤いドレスに黒いロングブーツ、肘まである黒い長手袋をした女性が小走りに姿を現した。乱雑に肩の辺りで切り揃えられた赤い髪も印象的で見ていて目が痛いほどだ。

 ドレスの女性は身構える少女に上から下へとねっとりとした視線を這わしていく。

「なら丁度いい。叛逆者の始末と侵入者の始末がいっぺんに出来る」

 赤いドレスの女性の隣、ここに来るまでに何度か見てきた追手の装備と同じ物に身を固めた男が進み出た。一見すると普通なのだが、異質なのは顔を覆うターバンのような黒い布だ。顔全体を布で覆い、素顔は窺うことができない。

 ヤヤの前に現れた二人組の見た目は奇抜だが、感じるプレッシャーは尋常ではなかった。

「なんて、禍々しい……」

 二人には死の世界を生き抜いてきた者だけが持つ臭いがある。両者の奥底に潜むドス黒い闇を肌で感じ取れるほどだ。

「レンカ、こいつは俺が殺る」

「えー! 私も美少女と戯れたいのに!」

 赤いドレスの女性、レンカが頬を膨らませて不貞腐れていた。不満を無視するかのように、キョウちゃんと呼ばれていた男が一歩進み出る。

「そう簡単に、やられるわけにはいかないんです キョウちゃんさん」

 男に対し、ヤヤは太もものホルスターから大振りのナイフを引き抜いた。握力の無くなりつつある手で、ナイフを取り落とさないように力を込めて握る。

「誰がキョウちゃんさんだコラァ。俺にはキョウヘイって名があんだ」

 それは失礼しました、と律儀に頭を下げるヤヤ。

「ッチ……調子狂う。テメェ、随分と体調が悪そうだな。そんな瀕死の状態で俺とやり合うっていう度胸は認めてやるが、なめてんのか?」

 あっさり体調が悪いのを見破られたが、表情にだけは出さまいとヤヤは奥歯を噛む。

「……お気遣いなく。この状況、どちらにしろ私は死ぬ気で前進するしかないんですから手段は選びません」

 殺り合う気満々のキョウヘイとヤヤを見て、レンカはつまらなそうに壁を背に静観体勢へと入る。


 最初に動いたのは、ヤヤだった。迎え撃つキョウヘイは武器らしい物を何も構えず、腕を組んだまま戦いの構えすらとっていない。

「『発現者』が相手なら、出し惜しみをしている余裕は――ない……!」

 こみ上げてくる吐き気と、体を襲う激痛に耐え自分の中でスイッチを入れる。目にかかりそうな前髪を一気に掻き上げた。

 開ける視界。そして、キョウヘイをその『目』で捉えた。

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