思い出

 ――少女には、この残酷な世界が自分の全てだった。


 明日には消えているかも知れない仲間。友と呼べるかも解らないそれに近しい存在もいた。だが、誰一人として少女は心を開くことをしなかった。どんな理由であれ、一度でも失敗すれば二度と会うことはないと解っているからだ。

 時には夕食を一緒に食べ、叶いもしない夢を語りあった相手を手にかけなければならない。しなければならなかった。

 だから、彼女は心を無にして刃を振るった。

 この紅い世界で生きていくということは、誰かの命を踏み台にすること。そうやって今まで生きてきたのだ。明日には居なくなっているかもしれない存在をいちいち気に止めていては生き残れない。

 ――そして、少女は目を覚ました。

 気が付けば、無機質な天井が目に入った。窓の無い、ベッドと小さな棚だけが置かれた一室。

 起き上がろうとして、視界が回っていることに気が付いた。上手く起き上がれない。

 最後の記憶を思い返す。覚えているのは、テストの説明を受け終えるとガスが部屋に充満して意識が朦朧とした所まで。この眩暈は恐らくは催眠ガスの副作用だろう。

 症状が落ち着くのを待ちながら天井を眺めていると、

「よお、起きたか?」

 突然の気配に、刷り込まれた自衛本能が目覚める。声のする方へと警戒を強めた。目はまだ回っていたが、飛び起きざまに声のした方へ視線を送る。

 少女のいたベッドの隣。その上に、拳銃を組み立てている少年がいた。胡坐をかいた彼の傍には、分解された標準的なグロックのパーツと弾倉弾丸が無造作に転がっている。

 身なりは少女の黒いセーラー服と同じで黒い襟詰めの戦闘制服を着ていた。まだ真新しさが際立つことから、彼も新入生なのは一目でわかる。少年は女の子のような中性的な顔立ちをしており、感じる雰囲気はとても同年代とは思えないほど落ち着いていた。

 ぼけーっと少女は少年の銃を組み上げる動きを見ていた。作業に集中しているのか、少年は最初の一声以来彼女の方へは視線も意識も向けてはこない。不用心にも、少女をまったく警戒などしていなかった。

「終わりっ」

 少年は拳銃を組み終えると、手の中で弄び始めた。子供の手には少し大きいグリップを握ると、ようやく少年は少女の方へ顔を向けた。

「さて、随分とお寝坊だったな。もうすぐテストが始まるぜ」

 体内時計の感覚では、彼の言う通り試験開始の時刻が迫っていた。

「お前が俺のパートナーでいいんだな?」

 彼の綺麗な顔と鋭い目に見詰められ、少女は危うく目を反らしそうになった。

 しかし、

「でもよ、同室の者が相棒だとは言われて無いよな」

 咄嗟に、少女の目はベッド横の台座に用意されているナイフへと向いていた。手を伸ばせば十分届く距離。だが彼女が動くよりも先に、眉間に銃口が押しつけられた。

 いつベッド一つ分の距離を詰めてきたのか、少年に銃を突き付けられナイフへ伸ばそうとしていた少女の手は止まる。

「その手を引っ込めないなら、俺はお前を敵として処理する」

 冷たい殺気。少年の指が引き金にかかっていく。

「……」

「――なんてな」

 無感情な表情から一転、少年はあどけなく笑い向けていた銃口を呆気なく降ろした。

「お前の顔には見覚えがあるぜ。初等部の主席だったよな。六組の俺でも知っているくらいの有名人だ」

 ニコニコと、少年は気さくに話しかけてくる。どうにかして反撃の隙を窺っていた少女は彼の豹変ぶりに肩すかしを食らった。先ほどまでとは打って変わり、少年は無邪気な笑みを浮かべて殺気など皆無。

 彼は銃を手の中で反回転させると、グリップの方を彼女に向けた。

「ほら、これはお前のな。一応バラして点検はしといてやったから直ぐ使えるぞ。信用ならないようなら自分でもう一度見てくれ」

 少女はその細い指で恐る恐る、引っ手繰るようにして銃を受け取った。

 弾倉に銃弾は装填済み。薬室にも初弾がセットされていたので、少女が少しでも抵抗していれば彼は容赦なく引き金を引いていただろう。

 少年から慎重に目を離し、枕元を見る。用意されているナイフの他にも簡単な装備一式が置かれていた。

 一番に目についたのは大型のサバイバルナイフ。他にも予備の弾倉やナイフを収める為のホルスター、携帯食料や医療品が置かれている。

「っしゃ! さっさと退屈で面倒なテストなんか終わらせちまおうぜ。俺はさっさと帰って遊びたいんだ」

 少年は自分の分の装備を手際よく準備し始めた。

 彼女も慣れた手つきで装備を装着していく。スカートをたくし上げ、ナイフが収まったバンドを太ももに巻いた。銃はホルスターに戻し、元あった場所に置いて再び支度に取り掛かる。

 そんな少女を見ていた少年の手が止まった。

「銃、使わないのか?」

 少女がこくん、と頷くと彼は穴が空くほど見つめてきた。

「へぇ……噂は本当だったんだな」

 支度が終わると、少年が瞳を輝かせながら少女へと迫っていった。整った彼の顔に緊張し、思わず少女は体を僅かに反らして距離をとってしまう。

「なんで銃使わないんだ? 使えないわけがないよな?」

 なにやら興奮気味な少年に圧倒され、少女は何も言い返せなかった。ただ小さく、肯定の意味で首を縦に振る。

「っと、詮索して悪い。別にだからどうってことはないんだ。人様のスタイルに文句なんてないよ」

 少女は喋りたくないのだと判断したのか、少年はそれ以上追及するような事をしなかった。

 二人の準備が終わるタイミングで、唯一あるドアのロックが外れる音がした。

「んじゃ、行きますか」

 部屋のドアノブにゆっくりと手を置く少女。その後ろで、邪魔にならない適切な距離感を保つ少年。

「俺は邪魔にならないよう援護に徹するよ。近接主体のお前にはその方が動きやすいだろ?」

 彼は少女が前衛を務めるのをしっかり理解し己の役割を認識している。

「あなた……なんで六組なんて底辺クラスだったの? 進学できたんだから実力は認められたんでしょう?」

 初めて声を発した少女に、少年は驚いたのか目を大きく見開いた。少女の声は、耳を欹てないと聞こえないほど小さなものであったが、綺麗な声色をしている。

「なんでかと言われたら『訓練が嫌いだった』からだろうな」

 ニコっと、無邪気な笑顔を向ける少年に、少女の心が一瞬揺れた。

「死なない程度の軽い気持ちで行こうぜ。っと、そういえばお前の名前を聞いてなかったな」

 ドアノブに手を掛けていた少女はあまりの緊張感の無さに、ため息をついた。

「……ヤヤ」

 一瞬だけ躊躇しながら、少年に自分の名を明かす。

 本人は聞こえないように言ったつもりだったが、自分より大きな手が一方的に小さな手を力強く握り返してきた。

「ヤヤか、よろしくな」

 なるべく他人の印象に残りたくなかった少女、だからどんな人とも距離を取ってきた。孤独を望んでいた少女に、少年は土足で入り込んで来る。

 彼女の小さな手に返って来る彼の力は、感じた事のない温かさを纏っていた。不思議と、緊張していた心が落ち着いていく。

「そうだ、俺の名は―――」

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