魔素
『はーい、もしもし?』
「……」
『……ん? もしもーし? あれ? 悠? こんな真夜中にどうしたの?』
「……瑩。お前、今どこにいる?」
『どこって……自分の部屋だけど?』
「……何してる?」
『えっ、お風呂上がって今パンツを……ってエッチ』
「生きてる、よな?」
『はあ? 悠、学園で倒れて頭でも打った? 今電話に出ている私が幽霊だとでも言いたいわけ? てか、何か風切り音が凄くて悠の声が聞き取り難いんだけど?』
「――夜中に悪かった。もう切るぞ。また――明日」
耳から離したスピーカーの先で幼馴染が何かを言っていたが、それを待たずに織笠悠は一方的に通話を終了した。
「どうだった? 私の言った通り華園瑩は生きていたでしょう?」
月明りの眩しい夜の大空を、ビルからビルへとんでもない脚力で飛び移っていく乃瀬エリカ。
「……ああ、いつもの瑩だった」
そんな彼女に襟首を掴まれ、悠はスマホをズボンのポケットに押し込んだ。大空を同級生に引っ張られて移動する異常事態の中で、である。途中、なんども電線やアンテナに殺されそうになりながらも、二人は奏風駅前の繁華街外れの路地裏から住宅街を抜け背の高いマンションから民家などに飛び移って移動をしていた。
――数分前。
上半身と下半身がサヨナラしてバラバラにされても尚生きていた華園瑩のクローン、『ラグナロク』。そんなありえない化物を目の当たりにしてもエリカの言う『もう一人の華園瑩』を悠は信じきれずにいた。
『私の言葉が信じられないのなら、彼女に連絡でもしてみなさいよ』
そう言うエリカに促され電話をしたのだった。
結果、瑩の無事は確認できたわけである。耳に残っているスピーカーからした瑩の声、それはいつも悠が聞いていた瑩の声だった。同じ顔をしてはいるが、呪いの籠った言葉を発し続ける先の化物とは違う。
エリカに殺され絶命した瑩の姿をした『モノ』が、今でも悠の目蓋の裏側には焼きついていた。血の海に倒れた少女がたとえ瑩のクローンだったとしても、気分を害するには十分である。
浮遊感と目の前に転がった死に顔を思い出して気持ちが悪くなった悠は、一度大きく深呼吸して顔を上げた。襟首を掴むエリカの方を見ると、彼女は無重力下にあるかのように風に身を任せて宙を舞っている。
悠の日常に突如として現れ、戦い慣れた立ち振る舞いと不思議な力で化物から悠の命を救ってくれた少女。綺麗なブロンドと蒼い瞳、白い肌。肉付きのよい太もも。エリカの綺麗な顔に若干見惚れていた悠は、彼女の蒼く輝いていた瞳がまだ灰色に淀んでいることに気が付いた。
「乃瀬。お前目が」
「あぁ、これ?」
エリカは悠に一瞥をくれると、空いている方の手で長い睫毛の生えている瞼を見開いて見せた。
「遺伝的な体質なの。『魔素』を過度に消費するといつもこうなっちゃう。だからといって、何かあるわけじゃないわ。数時間もすればいつもの色に戻るから」
「『魔素』?」
聞きなれない単語に、悠が首をかしげる。
エリカは空いている方の手を開くと、何もないところから塵のような物が収束して短刀が出現した。
「わかりやすく簡単に言ってしまえば、『魔力』とでも思ってもらえばいいわ」
創作物以外でそんな単語が出てくるとは思いもしなかった悠。
「そんな『魔素』を何千年もかけて子孫から子孫へと継承してきたのが、私たち『魔族』って種族よ」
「『魔族』……それじゃあ、今朝まで存在すら知らなかったお前がウチの高校に自然と馴染んでいたのも」
「もちろん、私の力よ。今この時間軸、この世界の私が『奏風高校二年生の乃瀬エリカ』であることに誰も、何の疑問も持つことは無いわ」
すらすらと、何の戸惑いも隠しもしない答えがポンポンと返ってくる。言っていることは突拍子もないことなのだが、彼女が言うとさも常識事のように聞こえてきた。
「日中も怪しまれず行動するには学生になるのが一番健全でしょう?」
四ヶ月もの間、学校生活から離れていた悠。本当に『乃瀬エリカ』という存在を忘れてしまったのかと思いもしたが、悠の認識こそが正しかったことがこれで証明されたわけである。
「……ん? じゃあ、なんで俺だけがお前を認識できていなかったんだ? 俺の記憶の中にお前はいない。なんで、俺だけが」
千鶴や他の同級生はエリカと普通に接していた。彼女の言う通りならば、悠も彼女をクラスメイトの一員として認識するはずである。しかし、悠だけが違っていた。靄のかかった彼の思い出にいたのは、乃瀬エリカではない別の存在。
その記憶を掘り返そうとする度に頭痛が起こり、何か大切なことを忘れている気がするのに思い出せない。無理に思い返す度に気持ち悪くなり悠の頭の中をぐちゃぐちゃにしていく。
「それねー。ほんと、なんでなのかしら。理由なら私も知りたいくらいなのよ。で、しばらく様子を見ようと思っていた矢先に『ラグナロク』に襲われるし。君こそ本当は何者なのかしらね?」
エリカは鼻で笑って見せると、外国人らしくオーバーなリアクションで肩をすくめてみせた。
「にしても君、随分と落ち着いているのね。こんなことになったからにはもっと慌てふためくと思ったのに」
大きな目を見開きながら、エリカは悠に視線を送った。彼のやけに冷静な態度に驚いているようだ。
「これでも動揺してんだけどな。今朝までの俺ならお前の言ったことを何一つ信じなかったろうが、これだけありえないことが目の前で起きてれば受け入れるしかない」
「……当事者だっていうのに、達観しているのね」
エリカの言葉に、悠は再び笑って見せる。
「確かに。自分でも驚いてはいる。知りたいこと聞きたいことなんて山ほどあるけど、これ以上ぎゃあぎゃあ騒いだところで今のこの状況が変わるわけでもないだろ……」
目の前に現れた『魔素』と言う特殊な力を使う『魔族』の少女。幼馴染のクローンである殺人兵器。そして『ガーデン』とよばれるもう一つの異世界。今朝までは到底知りえさえしなかった未知の存在のオンパレードだ。自分の理解の及ばないことをあれこれと考えたところで、悠にはどうすることもできない。
そんなドライな悠の反応に、あっけらかんとした表情で彼を見るエリカ。しかし直後、彼女は上品に口元を押さえてクスクスと笑い始めた。
「……なんだよ、人の顔じっと見たと思ったら笑いやがって」
悠の発言の何が面白かったのか。エリカはすぐに誰もが見惚れる綺麗な微笑みを浮かべて口を開いた。
「アハハ、ごめんなさい。なんとなく『織笠悠』という人間がどんな男なのかわかってきたわ」
だけど、とエリカは諭すような声色で続ける。
「事態は君が想像しているよりもかなり厄介で複雑なことになっている、ってことだけは伝えておくわね。それでも君が取り乱さないことを期待しておくわ」
エリカは意地悪でもするかのような嗜虐的な笑みを浮かべた。そして突然、彼女は自分の視線と同じ高さになるまで悠を引っ張り上げてみせた。直視するのが恥ずかしくなる程の距離に美しいエリカの顔が迫る。
「――君のことなんて正直どうでもよかったし、邪魔な存在とさえ思ったわ。でも、今日一日君を見ていて少し興味が湧いてきた」
エリカはそう悠の耳元で囁くと、突然右手を離した。
当然、悠がいるのは電柱などよりも遥かに高い夜空のど真ん中。エリカに襟首を掴まれているからこそ宙を舞っていた悠。その支えを失えば重力任せに落下していくだけである。
「――は? ――おおおおい! バカかああああ!」
意地悪く、落ちていく悠と並走するかのようにエリカも降下し始める。
「さぁ、着いたわ」
地面に激突した刹那、アスファルトの地面がクッションのように柔らかくなり落下の速度がすべて殺された。受け身も取れずに柔らかいアスファルトの上に投げ出された悠は何度も地面を跳ねた。
一方のエリカは優雅に着地してみせる。
「――この、クソ女……」
憔悴した悠の目の前、静まった夜闇の中に見覚えのある古臭い喫茶店がぽつんと建っていた。
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