灰色の魔女(ⅳ)

 二人の間に沈黙が数秒ほど続き、言葉の意味を表面上理解した悠の顔が疑問で歪む。

 倒れている瑩は、斧による斬撃を受け直視できないほど酷い躯だ。それなのに、エリカは瑩が生きていると言っているのである。

「正確に言えば、転がっている『ソレ』は君の……『織笠悠』の知っている『華園瑩』ではないということね」

「……お前、何、言ってんだ?」

 当然の疑問を口にする。悠はエリカの胸倉から手を離してしまうほど、怒りが完全に冷めてしまっていた。

「説明すると長くなるんだけれど、アレは『華園瑩』という個体ではあっても、君の幼馴染である『華園瑩』とはまったくの別物。言わば、もう一人の――離れて!!」

 エリカは馬乗りになったままの悠の身体を凄い力で蹴り飛ばした。あまりの威力に、吹き飛ばされた悠は錐揉みしながらアスファルトの地面をバウンドして塀に叩きつけられる。

「――がは!!」

 肺の空気が全て抜けて呼吸が一瞬止まる。

「――な、何す……え」

 先ほどまで悠が居た場所に、あり得ない状況が出来上がっていて悠は言葉を失う。

「――あき、ら?」

 黒い制服を自身の血で更に黒く染め、死んだはずの瑩がナイフを手に小太刀を持つエリカと鍔迫り合っていたのだ。

 瑩の傷は動けるような傷ではなかったはず。それどころか、間違いなく即死だった。それなのに、彼女は再び立ち上がっているのである。

 瑩の顔の下半分を覆っていたガスマスクのようなものは外れ、綺麗な顔が表情一つ変えずにエリカを凝視している。

「織笠くん、今は逃げるわよ! コレは見ての通り死なない! このまま相手をしたところでこちらがジリ貧になるだけだから!」

 悠を弾き飛ばした時以上の力で、エリカは瑩の腹に強烈な前蹴りを放った。

 先ほどまでの機敏に動いていた瑩ならば回避もしただろう。だが、今の瑩の動きは緩慢で蹴りはもろに鳩尾に入っていた。

 蹴り飛ばされた瑩の身体は数十メートルは吹き飛び、塀を突き破ってビルの壁をも貫通して再び動かなくなった。

「ほら、走るわよっ!」

 状況が何一つ飲み込めずに呆けていた悠の手を取り、エリカは瑩がやって来た路地の闇に向かって走り始めた。

 去り際、崩れた塀から這い出てくる瑩の姿が見えた。衝撃で皮膚はズタズタに引き裂かれ、アバラ骨が肉を破って突き出ている。

 それよりも、先ほど受けたはずの致命傷は――

「――傷が、治っている?」

 まったく見当たらない。黒い制服はエリカに切り裂かれたままだが、肉体にあったはずの傷は完全に無くなっていた。

「見ての通りよ。君の知っている彼女はあんな化物なのかしら?」

 路地に転がり出てきた瑩の姿は、到底人間と呼べるものではない。胸から骨が肉を食い破っているのだ、普通なら正気ですらいられないだろう。

 決定的だったのは、骨も肉も皮膚も、あらゆる傷がとんでもない速度で再生していくのを自分の目で見てしまったこと。その間、僅か7秒。瑩の傷は見た目だけならば完全に完治してしまっていた。

 自身の身体が元に戻ったと同時に、瑩はすぐに悠たちの後を追って走り出す。

「おいおいおい、なんなんだよ……いったい、なにが起こってんだよ!!」

 悠は引っ張るエリカの手を振り払うと、並走して路地裏を走り始めた。

「あれはこことは違う世界で作られた『華園瑩』の複製品。簡単に言えばクローンよ。その中でも最悪な、『ラグナロク』と呼ばれる殺戮兵器。目的を完遂するまで決して死ぬことはない化物。だから今は逃げることだけに集中!」

 並んで路地を走る悠とエリカ。混乱と頭痛に苛まれて汗だくの悠とは対照的に、エリカは息の一つも乱れていない。

「こことは違う世界? クローン!? 『ラグナロク』?! 殺戮兵器って……ターミネーターかよ!!」

 ちらりと後ろを振り返る悠。彼ら二人の後ろには、じわじわと迫ってくる瑩の姿をした『化物』がいる。

「まじかよ……まじかよ!」

 あり得ない現実を否定するように、悠は逃げる足を一層速めた。

「その先にあるT字路。右に曲がったら道幅が広くなるわ。右折したら間髪入れずに地面に伏せて。いいわね!」

「は、はぁ!?」

 すぐ目の前にはエリカの言う通りT字路があった。このまま走れば数秒後には突入してしまうだろう。

 考えている時間はない。

 エリカに続き、言われるがまま角を曲がった悠は地面に向かって見事なダイビングヘッドを決めた。

 彼が地面に伏すと同時に、頭上を何かが風を切って通過する。それは凄まじい勢いで路地を通過していく。

 そして、二人を追って曲がってきた瑩の姿をした化物は、再度絶命した。

 悠が風を切る音を認識したのと同時に、上半身と下半身が綺麗に切断されたのである。さらに、追撃するように何かが瑩の身体を何分割にも切り刻んでいく。四肢が吹き飛び、首が刎ねられ、バラバラの肉片になっていく。彼女の持っていたナイフや全身に纏っていた機械も原型がない。

 無残な姿に成り果て、臓物を撒き散らした瑩『だった』肉塊が路地に転がる。

「え…………」

 悠の足元に、絶命した瞬間のまま時が止まっている瑩の顔が転がってきた。光を失った赤い目は悠を見ている。

「……うぉぇ」

 我慢できず、悠は込み上げてきた胃の中身を吐き出した。

 あまりの非日常。頭痛で今にも脳が焼けきれそうになる。

「ふぅ……これで少しは足止めできるわ」

 涙目になりながら声のする方を向くと、エリカは身の丈はある大鎌を地面に突き立てながら乱れた髪を整えていた。

「……これは、なんだったんだよ」

 胃の中を空っぽにし、肉片から気を反らす為にもエリカに問いかける悠。

「だから、言ったでしょう? あれは『華園瑩のクローン』。そしてその成れの果て。自我の崩壊された魂を宿している哀れな傀儡よ。『ガーデン』と呼ばれるもう一つの地球からやってきた、私たちを滅ぼす敵」

 エリカは悠に視線を向けることもなく、転がる肉片を見続けそう告げた。

「……もう一つの、地球だって……?」

「そう。私達の生きるこの次元からは隔絶された別世界にあるこの星と瓜二つの世界。それが『ガーデン』とよばれる箱庭」

 改めて自分が何か飛んでもないことに巻き込まれているのだと認知し、悠は手で顔を覆った。

「もう一つの世界? ……ッハ……そんなことを知っているお前は、いったい何なんだ?」

 当然の疑問。

 我が物顔で悠の日常に紛れていた見知らぬ同級生。それが、斧やら刀やら鎌で幼馴染の姿をした化物と戦ってみせたのだ。ただの一般人ではないのは明白。

「私? そうね……君たち的に言わせれば『魔法使い』ってところかしら」

 エリカは持っていた大鎌を煙のように消すと、悠の元まで優雅に歩いてきた。

 幼馴染のクローン兵器。もう一つの地球の存在。そして、それらを語る自称『魔法使い』の同級生。軽く混乱気味のまま屈む悠の腕を、エリカは取った。

「ほら、ボケーっとしてないで行くわよ」

「――え?」

 素の声を悠が漏らした時には音を路地裏に置き去りにし、エリカは悠の腕を引いたまま夜空へと飛び上がっていたのだ。

「――は、はぁあああああああああ!?」

 人間一人を片手で引っ張り上げたまま、エリカは10メートル以上も垂直に飛び上がったのである。そのままビルの屋根に着地すると、悠は屋上に投げ出された。

「……はは、もう、考えるのやめるわ……」

 いつも通りに夕飯を食べ、布団に倒れ、気が付いたらこの有様。朝の悪夢を皮切りに、ここまでぶっ飛んだ展開に巻き込まれることになるなど誰が想像できるだろうか。

 エリカは夜風で揺れる長い金髪を耳にかけながら、屋根の縁に足かけ下を覗き込んでいる。

「……もう再起動したわね。厄介極まりない」

 舌打ちするエリカと同じように、悠も恐る恐る先程まで自分がいた路地に目をやった。血と臓物が撒き散らされている凄惨な路地では、瑩のバラバラになった血肉が互いに引き寄せあって蠢いているではないか。

「おいおいおい――まじかよ」

「あの感じだと、動きだせるようになるまで数十分――ってところかしら」

 あり得ない、と言いそうになるが悠は言葉を飲み込んだ。もう何度も『あり得ない』を自身の目で見て体感したのだ。紛れもない事実として、悠は現状を受け入れるしかなかった。

「『ラグナロク』の目的はどうやら君と私を殺すことだろうし、それまで止まることはないわ。ほら、移動するわよ」

 エリカは四肢を床につけ恐る恐る眼下を見ていた悠の襟首を掴むと、屋根の縁にかける足に力を込めた。

「……乃瀬? お前、嘘だよな」

「歯食いしばって口は閉じておいた方がいいわよ。じゃないと、舌噛むかも」

 悠が制止するよりも先に、エリカは床を蹴り夜空へ飛び出した。

「ぎゃあああああああああああああ!」

 悠の絶叫が真夜中の空に響き渡る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る