灰色の魔女(ⅲ)
悠と瑩の意識がそちらに向いたと同時、彼に馬乗りになっていた瑩の体が吹き飛んだ。彼女の華奢な体はあまりの勢いにビルの塀に勢いよく叩きつけられた。
「大丈夫かしら? 織笠くん」
音のした路地の奥から、聞き覚えのある声がした。内臓がひっくり返る思いで悠は視線をそちらへ向ける。
「乃、瀬?」
暗闇から出てきたのは、悠のクラスメイトである『乃瀬エリカ』。昼間と変わらぬ制服姿のまま右手を掲げた状態で姿を現したのだ。
月光を浴び輝く綺麗なブロンド。夜の闇だとより一層目立つ蒼い瞳が、不気味に輝いている。
「お前……え、いったい、何が……」
「話は後」
エリカの視線は悠ではなく、吹き飛ばされてぐったりしている瑩に向いていた。
「そうだ……瑩!」
悠は冷たい地面から飛び起きると、動かない瑩の元へ駆け寄ろうとした。だが、力なく倒れていた瑩の身体が不気味に痙攣し始めたのに気が付き足を止めてしまう。
何度か瑩の全身が痙攣すると、操り人形のようにありえない勢いで彼女の顔が悠達へと向けられた。
『最優先目標ヲ確認――標的ヲ追加』
倒れていた瑩は勢いよく起き上がると、地面に転がるナイフを拾い上げて何の迷いもなく地を駆けた。
「『ラグナロク』……厄介なのが来たものね」
二人に急接近してくる瑩は右手のナイフを順手に握ると、エリカへと飛び掛かっていった。
「乃瀬!」
目の前のことが理解できなく、悠も瞬時には動けていなかった。
瑩の爆発的な突撃に、エリカは避ける動作すらみせない。
――いや、そもそもエリカは最初から回避などする気がなかった。
彼女の右手に、いつの間に現れたのか鞘に納められた太刀が握られていたのだ。エリカは鞘から太刀を抜きもせず、瑩のナイフを鞘で受け止めてみせる。
「速いわね――でも、それだけ」
鍔迫り合いから、エリカは手に持つ太刀を大きく振るった。瑩を弾き退かせると同時に抜刀。空気を斬る一閃が放たれる。
瑩は横薙ぎに放たれたエリカの斬撃をナイフで受けるようなことはせず、身を引いて躱してみせた。そのまま更に飛び退くと、エリカから距離を取り四肢を地面に付けて着地。
間髪入れず、今度はエリカの方が距離を詰めて太刀を瑩の脳天めがけて振り下ろした。容赦のない命を断つような一撃。だが、またしても瑩は獣の如く軽やかな身のこなしで刃を避けてみせる。
「……って、おい、止めろ乃瀬! 瑩を殺す気か!」
思わず目の前の攻防に見惚れてしまっていた悠。エリカが幼馴染を本気で殺そうとしているのがわかり思わず声を張り上げた。
しかし悠の声は彼女に届いていないのか、エリカと瑩は斬り合いを再開する。
「あああもう! 結局、俺が行かないといけないのかよ!」
ヤケクソ気味に地面から飛び起きると、悠は二人の間に飛び込もうとした。
その矢先、
「織笠くん! 死にたくないのなら離れてて!」
エリカの怒号の間も、両者は持っている得物で打ち合っている。暴力の嵐はまさに一進一退。二人の放つ斬撃の中に飛び込もうとしていた悠の足は止まってしまう。少しでも二人の間合いに入れば、間違いなく自分の首が飛ぶ――そう思えてしまう程だ。
いつのまにかエリカの獲物が太刀からレイピアに変わり、素早い連撃を放っている。しかし、圧倒的な速度の突きを前にしても、ナイフ一本で捌く瑩もまた圧巻だった。
「元となった個体の性能がそうとういいのかしらね。でも」
押しに押していたエリカが、初めて距離を置いた。両者が間合いから離れた僅かな瞬間、エリカは持っていたレイピアを唐突に投擲する。得物を手放すという想定外な行動に瞬時に対応出来なかったのか、瑩の流れるようだった動きに乱れが生じた。
その隙に、エリカはどこからともなく大斧を引き抜き振り下ろしていた。
「私を殺るにはまだ調整不足よ!」
ドゴォン!
「……ッ」
鈍い音と凄まじい衝撃が路地裏に巻き起こった。
瑩から苦悶の声が短く漏れると、そのまま彼女の身体は力を失い地面に崩れていく。
「……瑩? ……おい」
倒れて動かない瑩に悠が近づくと、悠の靴がペンキの様な感触を踏みつけた。
ドロリとしたそれを、悠は知っている。
ペンキは放射状に拡散し、路地の壁や地面を赤色で染めていた。真っ赤な、真っ赤で黒な血肉。
「―――」
自ら作った血溜りの中に転がる瑩は右肩から左脇にかけて大きな裂傷があり、ピクリとも動かない。
それが、かつて幼なじみであったモノだと認識した瞬間、悠の中で理性が崩壊した。
声にならない叫びが喉を貫く。息だけが喉を抜けていき、焼けるように痛みが頭を走った。瑩の側には、血に染まった大斧を肩に担ぐ金髪の少女が立っている。
「乃瀬、おまえ!」
悠はエリカの胸倉を掴むと、無抵抗の彼女を力任せに地面に押し倒した。
「痛いわよ、織笠くん。強引な男は嫌いじゃないけど」
乱れた綺麗な金髪がエリカの目元を隠す。詫びる様子も無いのか、口元の笑みと感情の籠っていない声が悠の怒りを逆撫でした。
エリカの持っていた大斧が煙のように闇へと消えていったのを、悠は気が付いてすらいない。
「なんで、瑩を、殺した!! 殺す必要は無かったろ!!!」
今すぐにコイツも同じ目に合わせてやりたい。そんな衝動で悠の両腕が疼く。
だが、力を振るうことを本能が拒否しているのか、それとも幼馴染の死で心と身体がバラバラになったのか、上手く身体は動かせない。
頭痛は更に酷くなる一方。マウントポジションでいるのも今の悠には苦痛だった。
そんな彼の怒りを前にしても、エリカは何食わぬ顔でいる。
「なんとか言え!!!」
胸倉を掴み上げ、エリカの上体を引っ張り上げる悠。乱れていたエリカの髪が勢いで元に戻ると、隠れていた瞳が露わになった。
蒼い瞳は、なぜか淡白く濁って輝いていた。銀色にも、灰色にも見える目はまっすぐに悠を見据えている。
エリカは微笑みを浮かべたまま、うつ伏せに倒れている瑩を指差し、
「少し落ち着きなさい。どうやらアレの死を嘆いているようだけれど、君の知る『華園瑩』ならまだ生きているわよ」
そう、告げた。
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