始まりの(ⅱ)
いつも使っている通学路を通り過ぎ、自宅とは逆方向の奏風駅方面へと続く道を進んだ。
学園から奏風駅までは歩いて10分ほど。平日の昼過ぎでも駅前はそれなりの人で賑わっていた。ファストフードやカラオケ、ゲーセンなどがある繁華街には寄り道せず、悠は通いなれたスーパーへと向かう。
夕食の買い出しを命じられたとはいえ、調理するのは妹の亜紀である。何を買ってこい、という指定がなかったので悠は自分の食べたい物を適当に籠に突っ込んでいった。
悠自身、台所を妹に占領されているだけで料理ができないわけではなかった。レシピさえあれば人並程度には作れるので買い物でそれほど悩むことはない。
二日分の食材や日用雑貨を買い終え、スーパーを後にする。結局買ったのはカレーのルーとその材料だ。軽いレジ袋を、開いている方のもう一方の手で持ちながら賑わう繁華街を進む。
メインストリートは人が多く、広くもない道はどうも歩き辛い。病み上がりの身体で人混みは少々苦痛だったので、メインストリートから細い路地に入った。雑居ビルや夜しか開いてないような暖簾の下りた店がある路地を通る者は滅多にいない。
快適なまましばらく進んでいくと、
「ねぇねぇ、少しくらい遊んでかね? どこでもいいよ? カラオケ? ゲーセン? なんでも奢ってあげるからさ」
少し開けた場所に、他校の制服を着た柄の悪い男子高校生が数名屯っていた。悪友を見慣れている悠からしてみれば生易しい類。しかしダボダボの制服に煙草、色の抜けた汚い金髪などは一般人からしたら近寄りがたい存在だ。
「……」
男たちの何人かに、悠は見覚えがあった。過去に一度だけ千鶴と一緒に蹴散らした相手だ。
「ま……触らぬ何とかに祟りなしっと」
余計な面倒は避けようと、脇道に向かおうとした悠。だったが。
「あ、織笠くーん。ちょうどいいところに」
不良集団の真ん中から、今一番耳にしたくない声が上がった。思わず足を止めてしまう悠。ゆっくりとそちらに顔だけ向けると、
「彼ら、興味無いって言ってもしつこくてなかなか解放してくれないのよ。少し助けてくれないかしら?」
悠を認識した瞬間、明らかに殺意の籠った剣幕に変わる不良たち。その中に乃瀬エリカがいた。まるで緊張感の欠片さえない笑みで手を振っている。
「――」
何も見なかったことにしてさっさと逃げようかと思った。だが、状況が状況なだけに見て見ぬ振りもできなくない。
「てめぇ織笠ァ!」
悠が興味ない彼らを覚えていたくらいだ。ボコボコにされた憎き悠を不良たちが忘れるわけがない。美人なエリカをナンパするのに夢中だったことなど忘れ、不良たちは悠の方へ向かってくる。
「あぁ? 今日は一人か? 獅子神の野郎がいねぇのは都合がいい」
煙草を地面に捨てながら、不良の一人が悠の進路を塞いだ。煙草と香水の混じった気持ち悪い臭いが鼻を刺す。
進路を断たれた悠はすぐに不良たちに囲まれてしまった。全員、ただならぬ気配で卑しい笑みを浮かべている。
「……ウチの生徒にちょっかいかけるなよ」
「おーおー、正義の味方ですか?」
男は悠の胸倉を掴み上げる。反動で、悠の持っていた買い物袋と鞄が地面に放り出された。
「あのさ……やめとけよ。無駄に怪我するだけだぞ?」
「っは! 馬鹿か? この人数差、いつまでそんな粋がっているつもりだ?」
目の前のニタニタ笑みを浮かべる男の他には四人が悠を取り囲んでいる。中には、警棒のような物を持つ輩もいた。
「俺は言ったからな? それと、機嫌があまりよくないから加減なんかしねぇぞ」
「相変わらずキザな野郎ぶぎゃああああ!」
最後まで言い終わらない内に、悠の胸倉を掴んでいた男の身体が弾けた。悠の頭突きが前頭部にヒットし、仰け反ったところに悠の回し蹴りが男の頬を叩く。
男の身体は哀れにも路地のゴミ置き場に吹き飛ばされ、ぐったりと動かなくなった。
「言わんこっちゃない」
悠の一撃を皮切りに、他の不良たちが一斉に悠に飛び掛かってきた。
「この野郎! ブッ殺す!!」
背後から男の一人が警棒を悠に向かって振り下ろしたが、彼は容易くその不意打ちを避けてみせる。男は悠に手首を掴まれると、足払いを受け腹に肘をもらい地面に伏した。
残りの三人の内、一番巨漢の男と金髪の優男が、正面から悠に殴りかかってくる。だが巨漢は悠の容赦ない右ストレートを顔面に、優男は膝蹴りを腹に食らいノックアウト。
「な、な、な!」
残った最後の男はあまりの光景に、後退りながら震えていた。
最後の標的を捉えた悠に睨まれ、男は思わず傍にいるエリカの方へ駆け出した。その手にはバタフライナイフが握られている。その刃を、あろうことかエリカへ向けたのだ。
人質にでもしようとしているのか、恐怖のあまり男は一線を越えてしまっている。
「馬鹿野郎! くそ!」
男の異常な行動に悠も気が付きすぐに後を追う。しかし、間に合わない。男の手は、やけに落ち着いて事の成り行きを見守っていたエリカに伸びていた。
その時だ。
悠はエリカの蒼い目が輝いているように見えた。
「オオオオラアアアアァァァァ!」
凶刃がエリカに届く寸前、男は突然割り込んできた何者かのタックルをモロに受けた。まるで車に撥ねられたかのように男の身体は宙を舞い、閉まっている店のガラス戸に体を打ち付け気を失ってしまった。
「――は? ち、千鶴!?」
男の傍に転がるバタフライナイフを奪い取りながら、獅子神千鶴が吹き飛ばした男の様子を確認している。
「まーたこいつらか。この前もシバいたってのに懲りねぇなオイ。足の骨一本や二本折って歩けなくしてやろうか? ああ?」
「ステイステイ。やめとけ、んなことしたら今度は停学じゃ済まなくなるぞ」
倒れる不良たちに今にも追い打ちしかねない千鶴を押さえる悠。
「――悪い、少し熱くなりすぎた」
痛む拳を振りながら、悠は弱々しく呟く。
「穏健派のお前にしては、珍しいこともあるもんだな」
「面目ない」
千鶴は悠の肩を軽く叩くと、それ以上何も言わずエリカの方を向いた。
「おーい乃瀬、大丈夫か? お前みたいな美味そうな女がこんなところにいると、こいつらのようなハイエナが黙っちゃいねぇ。さっさと帰んな」
こんな状況だというのに、乃瀬エリカは微笑んでいた。
「急に飛び込んで来たからビックリしたわ。ありがとう獅子神くん」
千鶴に礼を述べたエリカは、地面に転がっている悠の鞄と買い物袋を拾いあげた。二つを手に、悠の元まで近づいてくる。
「織笠くんも。助けてくれてありがとう」
「あ、ああ……」
エリカは余裕の表情だった。まるで何事もなかったかのように微笑んでいる。見惚れるような微笑みだが、この場にはあまりにも不釣り合いだった。
荷物を悠に手渡すと、エリカは優雅に金髪を靡かせてメインストリートのある方へと歩いて行った。
「何でこんなところにいたんだ? あいつ」
エリカの背中を見送りながら、千鶴が悠の隣に並ぶ。
「それを言ったら千鶴、お前だって何でここに? たしか瑩たちと一緒だったんじゃ」
「ああ、さっきまでな。で、バイトに向かって近道したら……これよ。体調万全になったらお前も復帰しろよな。パートのおばちゃん達、お前が来なくなってから明らかに美形に飢えて作業効率落ちてんだ」
「ああ、落ち着いたら顔だすよ」
「ま、病み上がりなんだから無茶すんなよ。喧嘩もほどほどにしとけ。また亜紀ちゃんに心配かけるぜ」
じゃあな、と倒れている因縁ある不良たちなどもはや眼中にない千鶴。彼もエリカに続いてメインストリートの方へと向かっていった。
痛みに震える者以外、動く物が何もなくなった路地は繁華街の喧騒すら届いてこない。
一方、先の路地での喧嘩を見つめている存在がいた。
全身を黒衣で纏い、深く被ったフードの中も黒に侵されているその者は乱立する雑居ビルの屋上から伸びる非常階段から下界を見下ろしている。
「――」
身動き一つなく、眼下に一人立つ織笠悠から目を外さない。フードの中にある闇の中に、ゆっくりと紅い光が二つ灯った。
「!」
突然背筋に悪寒が走り、悠は反射的に頭上に顔を向けた。
路地を取り囲む雑居ビルの屋上付近、そこには今にも崩れそうな朽ちかけた非常階段だけがあるだけだった。
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