乃瀬エリカ
「……」
起こしていた上体を再びベッドに寝かせ、天井に空いた穴を見つめる。
悠の日常に突然現れたあの少女は一体何者なのだろうか。などと頭の片隅で思った時だった。
「guten Morgen、織笠くん」
「!」
音一つない保健室に響く突然の流暢なドイツ語。
反射的に悠は飛び起き声のする方を向いた。すると、先ほど千鶴が倒れこんだ空きのベッドに、件の『乃瀬エリカ』が足を組んで腰掛けているではないか。
「お前、いつからそこに……」
数十秒前に亜紀たちが保健室を出ていってから、誰かが入ってきた音などしなかった。それなのに、この少女はまるでずっとそこにいたかのようにリラックスしていた。
「いつからって、今来たところよ?」
保健室のスライドドアが開いた音はしなかったが、彼女は細く長い指でドアを指している。彼女の言うように、閉まっていた筈のスライドドアは少しだけ開いていた。
「そう、か……少し、考え事してたから気が付かなかった」
上品に微笑む美少女に、思わず見惚れてしまう悠。改めて、これほど印象的な存在を忘れるわけがないと思い知らされる。
「体調はどうかしら? その様子だと大丈夫そうだけど?」
「落ち着いたよ。今は、絶賛サボり中」
見た目通りの綺麗な声色に、優雅な仕草。本当に乃瀬エリカという少女は作り物のような完璧さでそこに居る。
エリカはこうして親しげに話しかけてくるのだが、悠にしてみれば彼女と初対面も同然。だからだろうか、彼女の放つ言葉一つ一つが本当に作り物であるような気がしてしまう。
「乃瀬――さん。あんたと俺は初めまして――の筈だよな?」
気持ち悪い状況に耐えかね、悠が口火を切った。
「――あら、悲しいこと言うのね。私達、去年も同じクラスだったでしょう?」
そう言いほほ笑む彼女の蒼い目は、笑っていなかった。
彼女の蒼く深い瞳を見ていると、体育館で断片的に見た朧気な記憶が蘇ってくる。
「――違う、そこに居ていいのはあんたじゃ、ない」
ぶり返してきた頭の痛みに耐えかね、記憶の引き出しから手を離す。
――嫌々やっていた文化祭での客引き。でも、こうして残っている思い出の中で隣にいたのは――
「――っ!」
気が付くと、悠は無防備にベッドに倒れていた。数秒、数十秒、もしくは数分。どうやらまた意識を失ってしまっていたらしい。
意識は覚醒したが、視界が歪み酔ってしまいそうになる。
すぐ横のベッドには、変わらず乃瀬エリカが悠を見下ろしていた。
「どうやらまだ体調は万全じゃないようね。お大事に、織笠くん」
キラキラ光るブロンドを靡かせながら立ち上がると、彼女はそのまま保健室から出ていってしまった。
彼女が出ていくのを見届けると同時に、悠の意識は再び闇の中へと落ちていった。
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