幼馴染

 身支度を手早く済ませ玄関に施錠。外は程よい肌寒さが気持ち良く、凝り固まっていた体を伸ばしながら悠は歩き始めた。

 腕時計で時刻を確認すると、8時20分を過ぎたところ。静かな住宅街の路地には、人々がそれぞれ向かうべき場所へと向って歩を進めている。中には、悠と同じ『奏風高校』の制服を着た者もいた。

 奏風高校はこの町、奏風町で一番大きな進学校である。少し前までは普通のどこにでもある高校だったのだが、校舎や環境設備が数年前に一新。それを機に生徒数が増加し今では立派なマンモス校へとなっていた。

 そんな高校までは悠の足で5分ほど。最寄り駅と自宅、そのちょうど中間地点の小高い丘の上に高校はある。朝ゆっくりできる。ただそれだけの理由で悠はこの高校を受験した。悠と同じように考えた者が居るかどうかは置いておき、中学からの同級生も多くがこの学校には通っている。

「ふぅ……だいぶ体鈍ってんな。すぐに息があがる」

 久しぶりな外出。歩いただけで呼吸が早くなる。

 重たい体に鞭打ちながら歩を進めていくと、次第に周りには奏風の生徒が増えてきた。

 曲がりくねった坂道、夏と冬は『地獄のS字坂』として有名なこのくねった坂を進めば学校はもうすぐだ。

「……はぁ……はぁ」

 涼しい四月の朝とはいえ、今の倦怠感のある体でこの坂を登るのは地獄にしかならない。なんとか他の生徒に置いて行かれながらも自分のペースで坂道を登りきる。

 すると、

「あ!! 悠!」

 元気な声が朝っぱらの登校風景に響き渡る。瞬間、周囲の目が声の主に一斉集中した。

 校門の横から小走りに悠の元まで逆走してくる女生徒。おしゃれだが気取っていない若者向けの眼鏡。切れ長の目と凛とした佇まい、セミロングのサラサラした黒髪。そして誰もが見惚れるほどの美少女はピッタリと悠の目の前で急停止してみせる。

「おっはよ、悠! こうして制服姿を見るのは久しぶりね!」

「オッス……相変わらず喧しいな、瑩」

 彼女の名は華園瑩はなぞの あきら

 二人の母親が親友なこともあり、昔から華園家に悠達兄妹はお世話になっていた。つまるところ、彼女は悠にとって幼馴染という存在なのである。

 挨拶もほどほどに、瑩はゆったりした歩幅の悠の横に並んで歩き始めた。そして、カバンで塞がっていない方の彼の腕をとると、グイグイと引っ張り始める。

「んもー! なーにタラタラ歩いてんのよ! もっと時間には余裕持って来なさいよね。このまま来ないんじゃないかと思ったわ」

「……はぁ……ちゃんと来たろ。あーもう引っ張んな」

 瑩は組んでいた腕を解くと、気だるげな悠の正面に回り込み鼻先に指を突き付けて目を吊り上げた。

「さっき亜紀ちゃんと偶然一緒になった時、『兄さん、無理してないでしょうか……』なんて健気な独り言をボソボソと呟いてたのよ。だから」

 瑩の細い腕が悠の右腕に絡みつく。

「……だから、ってこれは何ですか? 華園さん」

 簡単には振りほどけないほどガッシリと腕を組まれてしまう。同時に、腕は必然的に彼女の暴力的な胸に押し当てられる形となっている。たわわな感触が容赦なく悠に襲い掛かってきた。 

「悠の保護者である亜紀ちゃんに変わって、目の行き届かない学園では私がしっかりお目付け役目して……って、大丈夫? 本当に顔色悪いわよ? やっぱりまだ体調悪い?」

 眠たそうにしか見えない悠の顔を覗き込んでくる瑩。表情には出ていなくとも、長い付き合いの幼馴染は察しが良いらしい。朝の悪夢による疲労が顔に出てしまっていたのだろう。

「大丈夫だよ、寝覚めが悪くて少し頭痛があるだけだ。てか、離れろって」

「そう? それなら元気よく行きましょう♪」

 悠の言葉を完全に無視して歩き始める瑩。生徒でごった返す校門前でも、彼女は構わずピッタリ寄り添っている。これではまるで恋人同士だ。熱々の二人に対し、男子生徒達の殺意の籠った視線が悠に突き刺さった。

『ぐぬぬ! 華園さんが!』

『隣の野郎はなんだ? 華園さんの彼氏か? クソ……羨ましい……』

『なぁなぁ、あれって……』

『ああ。例の不良じゃね?』

『噂の? 入院しているって聞いたけど』

『え、そうなの? 噂じゃあ人殺したって……』

『私が聞いた話だと――』

 刺すような視線と一緒にコソコソと陰口が聞こえてくる。声のした方を悠が睨むと、誰もが目を背けそそくさと逃げ出していった。

 イラっとして拳を握りしめる悠。

 しかし、

「おバカ、無視しなさい」

 瑩が彼の後頭部を軽く叩いた。蚊すら殺せなそうな、あまりにもひ弱な一撃。だったが、悠を止めるのには十分すぎた。

「悠のことなんて何も知らない人たちの心無い言葉よ。雑音と思って知らん顔」

 悠の腕を取る瑩の力が一層強まった。思わず頭に血が上がっていた悠は馬鹿らしくなり拳を解いていく。

「……そろそろ腕、離してくれよ。さすがに……人目が」

「一緒にお風呂入った中じゃない。今更これくらいで何を恥ずかしがるわけ?」

「っぶ! 幼稚園の時の話だろう! お前ってほんッと神経図太いよな!」

 こうして、敵意の籠った視線や悪意に曝され続けながらも悠は校門までの数十メートルを瑩に連行されたのだった。

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