壱
秋の夜。外からはリィーン、リィーンと鈴虫が鳴いてるなか、一つの横笛の音が鈴虫と混ざり合う。軽やかな鈴虫の音に、壮大な物語を語る笛の音が解け合う。自然に鈴虫たちの声が増えていく。
笛の主は十三、四ぐらいの少年。まだまだ幼さが残るが、整った顔立ちは大人の冷静さを醸し出す。見たところ若い楽士のようだ。
「ふむ。実に良い響きだ」
途端に笛の余韻だけ残して消える。声の主は少年の横でずっと耳を傾けていた老人。七十ぐらいに見える深く刻まれた顔のしわと綺麗な白髪で気品を醸し出しつつ威厳があり、長年の功績を物語っているように感じる。
「……ありがとうございます。ですがまだまだ未熟です。もっと練習に励まなければ」
「ふぉふぉ、そんなに早く上達はせんよ」
老人は上品に扇を羽ばたきながら少年をじっと見た。視線に気づいた少年は少したじろぐ。
「な、なんでしょうか?」
「いやいや、やはり成長したなぁ、と」
懐かしむように目を細めた。少年は眉間に皺を寄せながら
「人はみな成長します。お忙しいなか練習に付き合って下さりありがとうございました。先に失礼します」
ぶっきらぼうに礼をしてその場を去った。
そんな少年にふぉふぉとまた軽く笑って小さな声で呟いた。
「まだまだ若いのぉ」
時は平安。七九四年に平安京に遷都してから様々な文化が増えた。その一つ、楽(がく)は貴族を中心に発展していった。休息の一時として、教養として、宴の催し物としてなど楽は幅広く愛され続けてきた。
そんな中、楽を得意とする一族が出てきた。一つは藤原一門である。政(まつりごと)はもちろん、芸も盛んな一族である。
そしてもう一つ、楽を得意とする一族がいた。それが多家(おおのけ)であった。多家は多くの楽士を輩出してきた有名な楽家である。元々多家は官位が低く有名ではなかったのだが、多自然麿呂が楽を得意とし功績を残したのをきっかけに、優秀な楽士を多く世に送り出してきた。
そして多自然麿呂から数えて八代目といえるべき多政方、すなわち現当主である彼もまた、御年六十八にもかかわらず、未だ見事な才を発揮しているのであった。
そんな政方の才は、若かりし時から帝にも知られていた。その時から彼は年中行事等の楽士として呼ばれていた。年を取ると共に彼の演奏技術は上がっていき、元々多家の門下生は少なからずいたが、政方の下で習いたいという人が続々と出てきた。
そんな彼、政方は年を取る度に感じる事が幾つか出てきた。その内の一つ、下級貴族の端くれでも少しは楽の教養がある。だが平民たちのような貧しい人々は楽の教養が無くても何故だか楽しそうに歌ったりしている。
そんな、ふと感じたことを知らべようとするのが政方の特徴である。
なので早速、農民たちが多くいる方へと足を向けた。この時政方は六十手前。歩く度に足は重くなり、そろそろ後継者を考える時期であった。
季節が何度回っただろうか。政方は農民たちと色々な話をしたり聞いたりしながら、あの疑問を考えながら歩いていた時、前方から優しくてだけど哀しみのある歌が聞こえてきた。
歌声は子供であり、気づけば政方はその子に話しかけていた。
子供の名は「しゅう」といった。しゅうの歌は、普通の人が聴けばただの歌だが、政方にはすぐ分かった。
一見どこにでもいる普通の子供だが、常人よりも耳が良い。耳が良いだけなら、そこら辺にいる楽士と対して変わらないのだが、聞こえてくる一つの音の感が良い。小鳥のさえずり、虫の鳴き声、人が話す声から歩く音まで。全てにおける音として出るものがしゅうには「生きて」見えている。
いわば、絶対的な音感の持ち主である。滅多に出会うことのない稀な才だ。
政方は、しゅうの歌には何か人を引き付ける不思議なものを感じた。感性は人それぞれだから一概にこれだ、というものは無い。少なくとも政方はしゅうの歌に引き込まれた。
楽をする人は耳が良いほど楽器の音が良く、感情などが最も出やすい。
──だからといって感情がこんなにも伝わってくることがあるのか……!
「君は歌が上手だね。」
「じょうずかな…?でも…ぼくのむらじゃ、きみがわるいっていわれるんだ」
しゅうは悲しそうにたどたどしく喋った。
「だから、かあさんもひとがいるときは、うたったりしちゃだめだっていうんだ。なんでだめなの?」
今にも泣き出しそうなしゅうの顔に政方は言葉に窮した。
「そうか…。でも私は気味が悪いなんてこれっぽっちも思ってないよ。逆に羨ましいぐらいだよ。」
しゅうが政方を見上げる。少し泣いたのか目頭に涙が溜まっている。
「みんなの前では歌ってはいけないと言われても、私の前では歌ってくれるかな?」
「…!うん!いいよ!」
しゅうの顔が笑顔になり、政方も吊られて笑顔になった。気づけば空は鮮やかな橙色に染まっていた。
「おや、そろそろ日が暮れるから早くお帰りなさい」
「うん!またね!おじさん!」
元気に手を振りながら帰っていくしゅうを見送った後、政方も帰る方へと足を運んだのであった。
それからというもの、政方としゅうは会えば話したり、楽しく歌ったりして過ごしていた。たまに政方が横笛を持ってきたりし、しゅうに吹かせたりしていた。
最初は音が全然出なくて頬をよく膨らませていたしゅうだったが、何度か吹かせていると物覚えが良いのか、少しずつ音が出るようになった。音が出たときのしゅうの顔といったら、驚きや嬉しさで変な顔だった。そんなしゅうの顔を見て政方は思わず笑ってしまった。そんな政方の笑う姿にしゅうもなんだか笑ってしまった。
傍から見たらすごく変な人たちとして見られているだろう。実際傍を通る人たちは避けて通っていた。
しかし笑いというものは早々治まらない。だんだん、なんで笑っているのかも分からなくなるぐらい二人は笑っていた。
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